三国志には様々な将軍がいますが、あの諸葛亮からあまり評価されなかったにも関わらず活躍した魏延文長(ぎえんぶんちょう)がいるのです。
蜀にもいろいろな将軍がいますが、劉備の義兄弟張飛や勇敢な趙雲や馬超に匹敵するのが、魏延ではないでしょうか。
皆が張飛が就任すると思っていた立場をゲットしたり、重要な戦にはほぼ出陣し、戦果も挙げていたりしているためです。
あなたは夢で見たことを信じていますか?魏延は、夢で最期を予告された将軍でもあるのです。
蜀漢の軍師と言えば諸葛亮孔明と述べられますが、魏延はあまり諸葛亮と連携出来ていませんでした。それが後に災いし・・・
三國志蜀漢の選りすぐりの将軍である魏延をお知らせしていきます!
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三国志の魏延将軍とは?
魏延は、誇り高い性格で勇敢な将軍だったのです。
五虎大将軍の一人に黄忠がいますが、黄忠が敵と通じていると疑われた際、魏延が救出しています。
黄忠のその後の活躍も、魏延がいてこそかもしれません。
そして、蜀漢は劉備亡き後、人材難に陥っていきますが、魏延は数少ない勇猛な武将でした。
諸葛亮孔明が、北伐を何度も起こすことが出来たのも、魏延将軍がいたからでしょう。
ただ、諸葛亮孔明は、魏延が反骨心が大き過ぎるとして、心からの信任ではなかったようです。
また、蜀漢の北伐の際に、馬謖が大敗した出来事がありますが、魏延を将軍で馬謖が参謀であれば、勝利もあり得たかもしれません。
三国志の魏延は、勇猛果敢な将軍として知られていました。
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魏延は有能!万夫不当の張飛亡き後の大将軍
三国志の魏延は、劉備の配下において大将軍と言えるのです。
- 五虎大将軍と魏延
- 劉備玄徳から高い評価な魏延
蜀漢の大将軍として5人がいますが、魏延はどうだったのでしょうか。
蜀漢のトップである劉備玄徳から将軍として高評価な人物が、魏延でした。
劉備は関羽や張飛などのかなり勇猛な将軍を惹き付けているので、魏延の才能をすぐに見抜いたのでしょう。
関羽が神のような尊大さを持ち、張飛が目下を酷使したように、魏延も反骨という性格上の弱点を有していました。
人格も伴ってこそ、真の大将軍かもしれません。
ちなみに、関羽は同盟者のはずの呉の軍勢に打ち負かされ、張飛は味方であるはずの部下から打ち取られて、残念な末路を迎えました。
魏延は、劉備の部下の中でも大将軍と述べるべき人材なのです。
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五虎大将軍と魏延
勇猛な将軍として活躍した魏延は、なぜか五虎大将軍に入っていません。
三国志の諸葛亮孔明の北伐の際に、特に活躍したのが魏延ですし、劉備からも将軍として信任されていました。
最終的に魏延は、蜀漢に反抗した者として処罰されているので、関羽や張飛や趙雲や馬超や黄忠と同列には、出来なかったのかもしれません。
ただ、馬超は一族をかなり戦で失っており、馬超の責任と言うべき面もあり、黄忠も元は敵の将軍として戦っていた人物でもあります。
蜀漢のトップの劉備玄徳が、ある意味どんな人でも受け入れる器の持ち主とも、言えるでしょう。
三国志の魏延は、蜀漢の五虎大将軍に加えて六虎大将軍の一人、と言うべき武将だったのです。
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劉備玄徳から高い評価な魏延
魏延の有能な武勇を高く評価していた劉備は、諸葛亮孔明の魏延への批判を聞き流していました。
定軍山の戦いで、曹操配下の猛将夏侯淵を打ち負かした劉備らは、漢中あたりの守備をなんと魏延に頼んだのです。
実は、その当時は、劉備の義兄弟であるだけでなく勇将でもある張飛が、漢中の守護にふさわしいという意見があったとされています。
劉備としては、張飛は、何か異変が起きた際に大将軍として派遣するために、手元に置いておきたかったのかもしれません。
それに、張飛はあまり知力面の評判は良くないので、敵に謀略で敗れる事を警戒したとも言えるでしょう。
三国志の魏延は、劉備がいたことで、蜀漢の将軍として安全に活躍出来たのです。
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魏延の最後、夢で死が訪れた将軍
三国志の魏延は、夢の中で角が現れ、最後が近付いたのです。
- 魏延が反骨の相で諸葛亮孔明と敵対!?
- 魏延と馬岱(ばたい)
- 魏延の真の死因とは?
角という漢字は、刀と用いるに分解出来ます。
魏延は頭に角が現れたので、すなわち処刑されることが予測可能なのです。
夢で角が出現してきっちり夢を把握すれば、防げるケースもあるでしょう。
ですが、魏延を恐れているからなのか、夢を聞いた人物は真実を教えませんでした。
普段から人の話を聞くようにしておけば、人の良い話も自然と出て来て災難を防げるのかもしれません。
三国志は、夢で未来が見えるなどの不思議な話もあるので、その点に着目して見るのも面白いでしょう。
魏延は、夢で最期を示すお告げが来たにも関わらず、対処しきれずに、破滅してしまったのです。
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魏延が反骨の相で諸葛亮孔明と敵対!?
魏延は、主君を裏切って劉備に降伏しただけでなく、頭の後ろの方が出ている反骨の相があったことで、諸葛亮から遠ざけられていました。
魏延は北伐の際に、諸葛亮孔明に別働隊として、長安奇襲を行いたいと願い出ていたのです。
ちなみに、国士無双と呼ばれ前漢の三傑の一人でもあった韓信が、かつて似たような作戦を行い成功しています。
韓信は、弱小であった後の漢の皇帝劉邦を軍隊の奇計で押し上げていくのです。
また、諸葛亮孔明の北伐が結果的にはあまり上手くいかなった点を考えると、勇敢な魏延将軍の奇計でもしかしたらと考えたくなる人も多いでしょう。
三国志の魏延は、諸葛亮孔明から批判されるほどの反骨の相を有していました。
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魏延と馬岱(ばたい)
魏延は諸葛亮孔明に見透かされ、馬岱に上手く打ち取られてしまいました。
諸葛亮孔明は、自らが亡くなった後に魏延が反骨の相を発揮し、蜀漢が混乱する事をおそれていたためです。
馬岱は、五虎大将軍の馬超の親戚とされている人物です。
ちなみに、魏延を打ち取る際に馬岱は、ここにいるぞと言いながら処刑したとされています。
どんなに勇猛で勇敢でも人心を得られていなければ、すべてを失ってしまうのかもしれません。
今川義元は、織田信長からの奇襲で、桶狭間で打ち取られたとされているため、海道一の弓取りと称され領域も拡大していた今川義元に高評価を付ける人は、少ないようなものでしょうか。
三国志の魏延は、諸葛亮の遠謀により馬岱から処刑されました。
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魏延の真の死因とは?
魏延は、楊儀(ようぎ)という文官とも敵対関係にあったので、真の死因は蜀漢内に敵が多過ぎたことにあるでしょう。
三国志の魏延は誇りから、他人に威張ろうとしてしまう部分があったのではないでしょうか。
その誇りが、戦においては敵を挫く武器になったのかもしれません。
魏延は馬岱に打ち取られるわけですが、楊儀がかなり関与しているのです。
楊儀は魏延の首が届くとかなり罵倒したとされています。こういうことをわざわざ口に出してしまうのは、楊儀自身の人柄も歪んでいる面があるためでしょう。
そして、楊儀自身も人を罵倒する癖で、魏への内通まで口に出してしまったので、あえない最期を迎えました。
三国志の魏延は、自らの性格から発生した災いが、本当の死因となってしまったと言えるのです。
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まとめ:三国志の魏延文長とは?
魏延は、張飛らに比類する大将軍として活躍したことを解説してきました。劉備は本当に、将軍を集める才能に長けていたと言えるでしょう。
夢で最期を垣間見た人物が、魏延であることも述べてきました。魏延ほどの有能な人物になると、未来が見通せたのでしょうか。
三国志の魏延は、反骨の相で知られる人物ですが、人生の後半あたりに敵が増え出したのは、反骨の相ゆえと言えるでしょう。
もしかしたら諸葛亮孔明が、魏延の反骨心を警戒していたので、魏延自身も反骨の方に追い込まれてしまった面も、あるのでは?
そして魏延は、楊儀や馬岱などの蜀漢の味方と言うべき人々から締め出されていき、処刑されてしまいました。
魏や呉に亡命していれば、更に別の形で活躍する事もあり得たかもしれません。
三国志の魏延は、ダークヒーローな面もある味わい深い人物なので、少しでも興味が出たら何回も読んでみてください!