三国志ばたい!馬岱ここにいるぞ、錦馬超関係、能力、魏延最期も解説

三国志の五虎大将軍錦馬超の従兄弟の馬岱は、反骨の相魏延の野望を打ち砕きました。

馬岱は、一度魏延を討つことに失敗したとされています。魏延は猛将なので、自分を攻撃した馬岱を、許しはしないのではないでしょうか。

そして馬岱は、反骨の相魏延を、ここにいるぞと言いながら打ち取ったのです。勇将として知られている魏延と真正面から戦った場合、馬岱でも危ないのではないでしょうか。

また馬岱が、錦馬超と従兄弟関係だったからこそ、劉備から重んじられたことも説明していきます。

馬超は蜀漢の五虎大将軍に名を連ねる名将ですから、劉備も馬超の言葉を無下に出来なかったのでしょう。

三國志の馬岱を詳しく解説していきます!

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反骨の相な魏延は諸葛亮から警戒されていたので北伐の際に馬岱から火攻めに遭ったのです

三国志の馬岱は、諸葛亮の指示で、危険な魏延を司馬懿を討つ名目で火攻めしましたが、失敗しました。

魏延が、馬岱から攻撃されたことを怒ったため、諸葛亮は、馬岱を処罰したのです。

馬岱は、諸葛亮の指示を隠し刑罰を受けたので、赤壁の戦いの黄蓋な勇者と言えるでしょう。

そして黄蓋は、赤壁の戦いでわざと軍師周瑜からの刑罰を受けることで、曹操を欺きました。

馬岱も痛みを受けた分、軍師諸葛亮が魏延を斬る結果に、結び付くのではないでしょうか。

錦馬超の従兄弟の馬岱は、諸葛亮が魏延の反骨の相を危惧していたので、司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)と一緒に倒そうとしましたが失敗し、忍従を強いられました。

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潼関の戦いでの敗戦後馬岱は五斗米道の張魯に付き魏延を追い払ったのです

三国志の馬岱は、益州劉璋のために劉備が、五斗米道の張魯を攻めたので、魏延と戦いました。

魏延は、五虎大将軍に匹敵するとされていた猛将ですが、馬岱は上手く勝利したのです。

そして馬岱は、五虎大将軍で劉備の義兄弟の張飛とも戦いますが、歯が立ちませんでした。

しかし馬岱の従兄弟の錦馬超は、勇猛な張飛と見事な一騎打ちを繰り広げたため、劉備も馬一族を欲しがるようになったのです。

ちなみに、錦馬超は潼関の戦いでも、曹操軍の虎痴許褚と、一騎打ちの激戦を行えるほどの勇猛さがありました。

馬岱は、反骨の相な魏延に対抗出来ましたが、五虎大将軍張飛翼徳(ちょうひよくとく)に敗れ、馬岱の従兄弟の錦馬超は、張飛と同格な武勇を示したのです。

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馬岱はここにいるぞと発言しながら反骨の相魏延の野望に最後をもたらしたのです

三国志の馬岱は、諸葛亮亡き後に蜀漢統治を狙う魏延を、ここにいるぞと述べながら斬りました。

そして魏延は、諸葛亮だけでなく楊儀とも敵対していたのです。

楊儀は、漢中が欲しいなら、私を殺す勇気がある武将はいるか、と3度言ってみよと魏延に伝えました。

魏延は楊儀たちを侮っており、楊儀の挑発に乗ったのです。

また諸葛亮は、知略に優れていたので、魏延は主張ばかりせずに、諸葛亮の知力を生前中に学ぶべきだったかもしれません。

魏延文長(ぎえんぶんちょう)が、漢中獲得の野望を実現するために、私を殺す勇気がある武将はいるかと楊儀威公(ようぎいこう)に述べようとしたところ、馬岱がここにいるぞと言い魏延を討ちました。

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魏延は馬岱に斬られましたが蜀漢への謀反は望んでいなかったと言えます

三国志の馬岱は、ここにいるぞと述べながら魏延に最期を与えましたが、魏延は裏切るつもりはなかったと述べられるのです。

魏延は、諸葛亮の死後蜀漢を率い、北伐を敢行しようと考えていました。

そして、反骨の相が魏延にあるとされていますが、敵の魏に鞍替えしようとしたことは無く、諸葛亮と馬岱の取り越し苦労だった可能性もあるのです。

また魏延は、北伐の街亭の戦いの際に、長安急襲を主張していました。魏延は、諸葛亮が長安攻撃の許可を出さないことで、非難してもいたのです。

ですので、諸葛亮から反骨の相以外の面でも嫌われていった結果、魏延は悲惨な末路となったのかもしれません。

諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)と馬岱から、反骨の相で嫌われていた魏延は、尊大な性格でしたが、謀反の意思は少なかったのではないでしょうか。

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馬岱は南蛮の孟獲攻めの際祝融夫人を確保することに成功したのです

三国志の馬岱は、孟獲の敵討ちを企んでいた祝融夫人を、諸葛亮の策で確保しました。

祝融夫人は、孟獲の妻で、火の神の子孫と言われています。

そして諸葛亮は、馬謖の心攻策を採用し、南蛮の人々の心服を目指していたので、孟獲軍を何度も敗北させて許していたのです。

祝融夫人は、孟獲軍に喝を入れるために出撃し、諸葛亮の部下の武将に、一騎打ちで勝利しました。

正面からは難しいと考えた諸葛亮は、魏延にわざと退却させ馬岱に祝融を攻撃させ、再び孟獲軍に勝ったのです。

馬岱は、武勇に優れた魏延と組むことで、武力に長けた祝融(しゅくゆう)夫人を打ち負かし、南蛮の孟獲(もうかく)たちを心服させていきました。

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五虎大将軍錦馬超は最期が訪れた際従兄弟関係の馬岱を劉備に託したのです

三国志の馬岱は、錦馬超が昭烈皇帝劉備に重用を頼んでくれた甲斐もあって、蜀漢で活躍しました。

馬超と馬岱は、乱世の奸雄曹操と潼関の戦いで死闘を行ったために、一族の多くを失ったのです。

錦馬超は、残り少ない一族である馬岱を劉備に託す悲痛な願いを語り、最後を迎えました。

そして、馬超馬岱と共に潼関の戦いで曹操と激突した龐徳は、曹操陣営に鞍替えし、五虎大将軍関羽を斬る寸前にまで追い込んだのです。

結局龐徳は敗れましたが、龐徳の曹操への忠誠心は高く評価され、後世に語り継がれました。

馬岱は、五虎大将軍錦馬超孟起(ばちょうもうき)の数少ない一族だったので、劉備玄徳(りゅうびげんとく)から目を掛けてもらえたのです。

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馬岱と従兄弟関係の錦馬超は春秋戦国時代の趙奢の子孫とされています

三国志の馬岱の従兄弟の五虎大将軍馬超は、趙国の名将趙奢の子孫と伝わっているのです。

趙奢は、戦国四君の一人平原君の身内が、税を軽んじていたので厳罰にしました。

平原君は趙奢に抗議しましたが、趙奢は税と法の重要性を語り、むしろ平原君から王へ推薦されたのです。

そして趙奢は、大国化していた秦を、狭い地形を利用して破った人物でした。

錦馬超と馬岱が、強大な曹操と潼関の戦いで勝負したことに、似ているでしょう。

ちなみに、趙奢の趙国は、騎馬軍が強力なことで知られていました。馬岱と馬超は騎馬の用兵に長けていたため、ここも似ていると言えます。

春秋戦国時代の名将趙奢の末裔が、馬岱の従兄弟錦馬超であり、趙奢(ちょうしゃ)は馬一族と同様に大国と戦っていました。

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まとめ:三国志馬岱(ばたい)の能力とここにいるぞで魏延最期と従兄弟関係錦馬超

三國志の馬岱が、魏延の反骨の相に上手く対処し、錦馬超の従兄弟として活躍したことを解説してきました。

馬岱は、馬一族の存亡の危機だったからこそ、人一倍頑張ったのかもしれません。

そして、馬岱が潼関の戦いの後、魏延と戦い退けたことも説明してきました。魏延は五虎大将軍張飛クラスとされているので、馬岱も、五虎大将軍に入れる可能性があったのではないでしょうか。

また、馬岱が諸葛亮の作戦で、孟獲の妻祝融夫人を捕縛したことも述べてきました。馬岱がいたからこそ、諸葛亮と馬謖の南蛮心攻策が成功に近付いたのではないでしょうか。

馬岱は、五虎大将軍錦馬超の従兄弟としてふさわしい能力を発揮し、魏延の野望をここにいるぞで砕いた勇将でしょう。

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