馬謖とは?諸葛亮孔明なぜ泣いて斬る?街亭の戦い、登山の誤算も解説

三国志の馬謖(ばしょく)は、諸葛孔明の愛弟子のような立場でした。

諸葛亮の弟子であれば、さぞや優秀と思えるのではないでしょうか。

馬謖の才能が炸裂したのが、蜀漢の南方制圧戦なのです。賢い馬謖らしい攻め方で、反乱の多い南蛮地域を手中に収めました。

三国志の蜀の歴史において、街亭の戦いも超重要です。果たして馬謖はどのような働きをしたのか、それとも・・・

結局馬謖は、諸葛孔明から泣いて処刑されてしまいました。なぜ有能なはずの馬謖が、孔明から批判されなければならなかったのか。

三国志の蜀漢の有能な将軍に馬超がいますが、馬謖と馬が同じです。何か関係があるのでしょうか。

諸葛孔明の参謀とも言える馬謖について詳しく解説していきます!

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馬謖幼常の能力!秘策心攻

馬謖は、諸葛孔明の相談役も行っており、心を攻める事で南方地域を制圧すべきと説いたのです。

劉備死後に蜀の南方地域が反乱を起こしたのですが、どう攻略すべきか諸葛孔明も悩んでいました。

結局蜀の南蛮と呼ばれる領域が反抗して来るのは、蜀漢の実力を知らないことも背景の一つと馬謖は見抜いたわけです。

南蛮と呼ばれる民衆たちも、何回も大将が蜀漢に負ければ、反抗が無理と悟る可能性が高いということです。

ちなみに、南蛮地域の頭目を孟獲と言います。象兵や奇術を利用して諸葛亮の蜀漢を翻弄しますが、最後は心服するのです。

三國志の馬謖は、諸葛孔明への的確な献策で南方制圧に貢献しました。

⇒三国志もうかく!孟獲嫁娘、ベトナム、七縦七擒、諸葛亮、象兵も解説

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諸葛亮孔明からの高い評価な馬謖

劉備は、馬謖のことを言葉が先走るから注意するように述べていたにも関わらず、諸葛亮は馬謖を重用しました。

諸葛亮は劉備と深い信頼関係で結ばれていたため、その劉備の話を聞かないというのは、馬謖が余程大事と考えたからでしょう。

三国志の劉備玄徳は人物眼に優れていることで知られていますが、やはり劉備の予測通り馬謖は一大決戦で大失態を演じてしまったのです。

馬謖自身が諸葛孔明のように謀略に優れていて弁舌も巧みで、似ているため手放せなかったのでしょう。

将軍としてではなく、弁舌だけで決着がつく外交官のようなポストであれば、天寿を全う出来たかもしれません。

諸葛孔明は、馬謖を非常に可愛がっていたため、重要視し過ぎたのです。

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街亭(がいてい)の戦いの馬謖の誤算!?

馬謖は、街亭の戦いにおいて山頂に布陣することで、水源を絶たれ孤立し大敗北しました。

そもそも街亭の戦において、魏延などの歴戦の将軍を派遣すべきという意見が多数派だったのです。

諸葛孔明は、その意見ではなく、馬謖を抜擢しました。

馬謖は戦での功績があまりなく、諸将に侮られている面もありました。馬謖としては、街亭の戦で功績を挙げ、蜀でも一人前と思われたいという目論見もあったのでしょう。

結局戦の勝ち負けは、戦いの前から決しているのかもしれません。馬謖が、功名心でなく漢帝室再興のために将軍を務めていた場合、志で魏軍に勝てた可能性があるでしょう。

三国志の馬謖は、街亭の一大決戦で敗退してしまったのです。

⇒しょうかい三国志の野心家!鍾会の乱、鄧艾能力、姜維、司馬昭も解説

兵法家な馬謖の能力が仇となった間違った登山

馬謖は、諸葛孔明から言われた麓あたりへの布陣をせずに、山頂に軍勢を集め魏軍に勝とうとしたのです。

そもそも兵法書では、高い場所の方が有利というものがあります。山頂に登山するのは、兵法書を好む馬謖らしい行動でしょう。

そして、山頂に水源があると馬謖は考えていたのですが、なんとあまりなかったのです・・・

魏軍に山の付近の水を押さえられ、逆に山頂で追い詰められた馬謖は、無理な突撃を魏に繰り返し壊滅してしまいました。

ちなみに、馬謖の副将の王平は、山頂への布陣を強く諫めたのですが、王平の無学を侮って無視したのです。王平は文字が書けないが、名将の誉れ高い人物とされています。

馬謖は、独断専行で孔明の考えを聞かず登山し、敗北を決定的なものとしてしまいました。

⇒三国志王平と馬謖の対比!街亭の戦い、能力、最後、蜀の劉備も解説

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なぜ諸葛亮孔明は泣いて馬謖を斬る?

街亭での敗戦の責任により、諸葛亮は馬謖を処刑したのです。

馬謖は確かに、諸葛亮の指示を聞かずに山頂に陣を構えて敗北を招いたわけですが、馬謖ほどの有能な人材が少ないという面もありました。

諸葛亮は馬謖を重用していて、本当は処罰したくないという本音があったので、泣いてと表現されたのです。

蜀漢の歴史を見ると諸葛亮と馬謖が出陣した際が、漢帝室再興の最後のチャンスだったような気がします。

有能な人材も揃っていましたし、魏側からの内応者もいました。

法制度に基づいて国を統治していきたい諸葛孔明は、馬謖を処罰しないことで国を揺るがせることをおそれてもいたのでしょう。

諸葛亮孔明は、馬謖を嫌々処罰しなければならない状況に陥ったのです。

⇒姜維の北伐!第五次、諸葛亮の遺志、蜀の伯約能力、評価、最後も解説

街亭の戦いの敗北の原因を見通していた劉備

諸葛亮は劉備から、馬謖は口ばかりであるとの警告をわざわざ受けていたため、馬謖の街亭の戦いでの敗北は、諸葛亮にも責任があるでしょう。

口ばかりということは、重要な場面で人を丸め込む可能性があるわけです。見事に、街亭の戦いで副将の王平を得意の弁舌でまくし立てて屈服させ、有効な献策を取り入れませんでした。

王平を将軍にして馬謖を参謀にしていれば、大敗北にはならなかったと言えます。

ちなみに、魏延が少数の軍勢で長安を急襲する作戦も、存在していました。蜀漢は小国なので、魏延の奇策を利用するくらいでないと、漢帝室再興は難しかったのかもしれません。

三国志の諸葛孔明は、劉備の忠告よりも馬謖の方を選んだので、失敗しました。

⇒三国志魏延将軍とは?有能、最後死因、諸葛亮、反骨の相、馬岱も解説

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三国志馬謖幼常(ばしょくようじょう)の他の話

三国志の馬謖の他の重要な内容も書いていきます。

  • 馬謖と馬超はどんな関係?兄弟は?
  • 馬謖の妻と子供と諸葛亮孔明

三國志には馬超という五虎大将軍にも選ばれたとされている猛将が存在していますが、馬謖とはどのような関係なのでしょうか。

そして、馬謖と妻は、馬謖の処刑後どのような処遇を受けたのかも解説していきます。

厳格さで知られる諸葛孔明ですから、馬謖の親族も当然な結果になったのでしょうか。

ちなみに、三国志の著者の陳寿の親族は、馬謖と共に処罰を受けたとされています。もしかしたら、陳寿の筆も馬謖の話を書く際に影響したかもしれません・・・

馬謖についていろいろ知っておきたい人に役立つ内容が揃っています。ぜひご覧ください。

⇒三国志錦馬超!曹操、潼関の戦い、最後、妻、劉備、馬騰、馬岱も解説

馬謖と馬超はどんな関係?兄弟は?

馬謖と馬超は、同じ馬ですが血縁関係がないのです。

ただ、かなり昔に遡るか厳密に調べていくと、血縁な可能性はあるでしょう。

馬謖は文官として才能を発揮しましたが、馬超は将軍として能力がありました。二人が将軍と軍師として組んだら、凄いコラボになったかもしれません。

そして、、馬謖の兄には馬良という有能な官吏がいます。優秀な者のことを白眉と言うことがありますが、馬良が才能にあふれ眉が白かったことに起因します。

また、夷陵の戦いの際に、劉備の布陣の危険性に気付き諸葛亮にたずねにいったのが馬良とされています。ですが間に合わずに、劉備は陸遜の火攻めで大敗してしまったのです。

三国志の馬謖と馬超は、血縁関係ではないため、注意しておいてください。

⇒三国志りくそん!陸遜最後、劉備夷陵の戦い、諸葛亮、子孫陸抗も解説

馬謖の妻と子供と諸葛亮孔明

馬謖には妻と子どもがいましたが、諸葛亮は子どもに普段通りきっちり対応したとされています。

街亭の戦いの責任を馬謖の子どもは負わずに済んだのでしょうか。

実は、馬謖の子どもの活躍はあまり残っていないのです。蜀漢などで活躍していたら、おそらくは記録があるはずなので、どういうことなのでしょうか。

禍根を絶つために、馬謖と共に処刑されていたにも関わらず、記録上は生存していることにした可能性もあるでしょう。

昔の中国では、誰かが失敗すると一族などが処刑されるというのは普通のことです。

諸葛亮に限ってそんなことはないと言い切れるでしょうか・・・

三国志の馬謖の妻と子供がどうなったかは、ハッキリとは分からないと言えます。

⇒諸葛亮孔明の子孫と現在は?子供たち、逸話、モデル?三国志の裏話

まとめ:三国志馬謖幼常の能力、街亭の戦いのなぜ!

三国志の馬謖が、諸葛亮孔明からも称賛されるほどの才能を有していたことを解説してきました。諸葛亮から認められるのは、それだけでかなり素晴らしいことでしょう。

馬謖の献策により南蛮方面を上手く制圧し、心からの心服を獲得していったことも示しました。南蛮あたりの軍勢を利用できるのは、魏や呉との対抗関係上かなり有利でしょう。

そして、諸葛亮は泣きながら馬謖を斬る必要が出てきたことも説明しました。非情な決断は、果たして良い結果をもたらしたのでしょうか。

また、馬謖の街亭の戦いでの失敗は誰の責任と言えるかも述べてきました。複雑な状況があるので、馬謖一人が原因とは言い難いのです。

馬謖と馬超のつながりや馬謖と妻についてもご紹介しました。馬謖の人間関係も結構豊富にあるということです。

諸葛孔明からかなり可愛がられた馬謖なので、三国志に興味がある人はしっかり知るべき人物でしょう!

⇒三国志とうがい蜀攻略!鄧艾妻、司馬懿、しょうかい、きょういも解説

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