嚢中の錐!毛遂由来、史記故事意味、ことわざ四字熟語、現代語訳解説

戦国四君の平原君の食客の毛遂は、故事成語の嚢中の錐を語ることで、自らの実力を誇示しました。

そして、嚢中の錐を主張した毛遂は、平原君の人材登用の問題点も露呈させたのです。平原君は毛遂がいたからこそ、戦国四君たり得たのではないでしょうか。

また、嚢中の錐の故事を作り出した毛遂の論戦は、春申君に趙を助けさせました。春申君も戦国四君なので、毛遂は戦国四君に認められるほどの才能、でもあったのでしょう。

ちなみに、四字熟語の嚢中の錐の読み方は、のうちゅうのきりです。

史記のことわざの嚢中の錐を、書き下し文や漢文ではなく、現代語訳で意味や由来や逸話と共に、わかりやすく解説していきます!

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史記の故事成語である嚢中の錐の意味は戦国四君の平原君の食客の毛遂が優れた能力を隠し通せなかったことに由来しているのです

秦の王齕が趙の邯鄲を襲撃したため、平原君は食客の中から選りすぐりの人材を集め、楚との合従を計画しましたが、後一人が見つかりませんでした。

ですので、毛遂が楚との合従作戦に参加したいと述べましたが、平原君は当初毛遂が能力不足だと考えていたのです。

すると、毛遂は自分は錐の嚢中に処るが如しと語り、才能を自負したため、平原君は楚への合従に連れて行くことにしました。

危難の際は、手段を選ばず才覚を示すことで、事態が好転することもあるのでしょう。

故事成語の嚢中の錐は、戦国四君の平原君の食客の毛遂(もうすい)が、錐の嚢中に処るが如しで能力を誇示し、楚との合従に同行したことに由来しています。

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史記の故事の嚢中の錐で知られる毛遂は中華人民共和国の建国者毛沢東の先祖とも言われています

中華人民共和国の建国の際に、多大な貢献をした毛沢東は、戦国四君の平原君の食客の毛遂の子孫と伝わっているのです。

そもそも中国では、国民党の蒋介石が共産党の毛沢東よりも強勢だったのですが、毛沢東たちの民心掌握により形成が逆転しました。

そして毛沢東と共産党は、中国から撤退せざるを得なくなった日本軍の武器と満州地域を確保するだけでなく、ヨシフスターリンとも強く結び付いたのです。

故事成語の嚢中の錐で飛躍した毛遂の末裔には、中華人民共和国建国者の毛沢東(もうたくとう)がおり、毛沢東は日本軍の領地と武器を獲得し、ソビエト連邦と連携することで、蒋介石(しょうかいせき)と渡り合いました。

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ことわざの嚢中の錐で毛遂は趙と楚の合従を成し遂げ戦国四君の平原君の食客登用の不明も認識させました

戦国四君の平原君は、毛遂が有能な食客であることを気付けなかったので、非常に恥じたのです。

毛遂は、平原君が自惚れていると見抜いていたからこそ、普段は才能を発揮せず、ここぞという場面を狙っていたのではないでしょうか。

そして結局平原君は、食客をたくさん集めていましたが、毛遂との故事で分かるように、他の戦国四君よりも劣っていると言えるでしょう。

ですので、平原君が戦国四君に連なり生き残れたのは、強運な面も大きいのではないでしょうか。

故事成語の嚢中の錐で、戦国四君の平原君趙勝(へいげんくんちょうしょう)に礼遇された毛遂は、平原君の食客採用の見識不足を悟らせることも出来たのです。

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毛遂は嚢中の錐で自薦するだけあって考烈王を説き伏せるだけでなく戦国四君の平原君の食客の無能さも示したのです

初め毛遂のことを見下していた、平原君から選ばれたはずの食客たちは、考烈王に合従を決定させることが出来ませんでした。

しかし毛遂が考烈王と話した途端、考烈王は秦への恨みを思い出し本当の敵に気付き、趙との合従に応じたのです。

そして毛遂は、考烈王を説得し終えた後、自らを軽んじていた食客たちを、他人を頼みにする人材に過ぎないと叱責しました。

そもそも平原君が、そこまで能力が高いとは言い難いため、選んだ食客も結局は才能に乏しい人物だったのでしょう。

故事成語の嚢中の錐で毛遂は、戦国四君の平原君と趙を救いましたが、平原君が厳選した食客は、他人にすがって生きる人物に過ぎなかったのです。

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考烈王がことわざの嚢中の錐で有名な毛遂の論説に心が動かされたため戦国四君の春申君が趙を救いに来たのです

戦国四君の平原君に、毛遂が嚢中の錐で強く自薦したことで、毛遂が考烈王を説得するチャンスが訪れ、結果的に趙が助かりました。

また春申君は、考烈王が即位出来るように命懸けで、秦の宰相范雎と昭襄王を説き伏せたほどの人物です。

しかし後年、春申君は李園の妹李環の美しさに惑わされ、李園に制されて最後を迎えました。

春申君が李園に最期を加えられていなければ、再び春申君が秦を脅かすチャンスも、あったのではないでしょうか。

故事成語の嚢中の錐を誕生させた毛遂が、考烈王熊完(こうれつおうゆうかん)を得心させたことで、戦国四君の春申君黄歇(しゅんしんくんこうけつ)の援軍が趙に訪れ、秦の王齕(おうこつ)を撃退出来たのです。

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毛遂は嚢中の錐の自薦に過ぎなかったため戦国四君の平原君の食客に侮られていましたが論戦で敬服させ考烈王も合従に同意したのです

ことわざの嚢中の錐を用い、平原君の楚との合従計画に参加した毛遂は、まずは平原君の食客たちを論破しました。

そして平原君と楚の考烈王が、かなり時間を掛けても、合従確定とならなかったので、毛遂は巧みな話術を披露したのです。

初めは毛遂の無礼な態度に怒っていた考烈王も、毛遂の話で本当の敵である秦の危険性を悟り、趙と合従しました。

また楚は、後に項燕大将軍が秦の李信と蒙恬に大勝利し、昌平君を最後の楚王に迎えているので、考烈王の秦への抵抗は無駄ではなかったと言えるでしょう。

故事成語の嚢中の錐で、戦国四君の平原君の楚との合従を助けた毛遂は、食客から軽んじられていましたが実力を示し、考烈王も敬服させることに成功したのです。

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嚢中の錐の毛遂が食客をしていた戦国四君の平原君の妻は信陵君の姉だったので趙の危機に信陵君も援軍を派遣しました

ことわざの嚢中の錐で活躍した毛遂が仕えていた、平原君の妻は、戦国四君の信陵君の姉だったのです。

ですので、趙の苦難は信陵君の問題でもあったため、信陵君は魏の将軍晋鄙に最期を与えて、強引に趙を援助しました。

そして信陵君は、春申君と共に趙を助けましたが、晋鄙の部下の恨みも得ていたので、後に謀反の噂を立てられ失脚していったのです。

信陵君が魏王に即位出来ていれば、秦の天下統一が阻まれた可能性もあるでしょう。

故事成語の嚢中の錐で、著名な毛遂が食客を務めていた平原君の嫁が、戦国四君の信陵君魏無忌(しんりょうくんぎむき)の姉だったため、魏の援軍が趙の危難を退けましたが、信陵君は強引な対応をしていたので、災いを招きました。

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まとめ:嚢中の錐(のうちゅうのきり)の由来は毛遂の故事逸話と現代語訳ことわざ意味と史記の四字熟語

史記のことわざの嚢中の錐は、戦国四君の平原君の食客だった毛遂の故事が、意味の由来であることを、現代語訳で解説してきました。

毛遂が自薦するだけでなく、しっかりと結果を出したからこそ、嚢中の錐が故事成語と成り得たのでしょう。

そして、中華人民共和国建国者の毛沢東が、毛遂の子孫であることも説明してきました。毛遂が嚢中の錐で出世したからこそ、毛沢東も躍進したのでしょうか。

また、毛遂が嚢中の錐で平原君に評価された際に、活躍出来なかった食客の末路も述べてきました。本当の能力が伴っていなければ、後に大恥に繋がってしまうのではないでしょうか。

戦国四君の平原君の食客の毛遂は、故事成語の嚢中の錐を語ったからこそ、趙に援軍を呼べたため、自薦が良い結果を生むこともあるのでしょう。

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