天才と呼ばれることも多い諸葛亮孔明について、すべてをご存知ですか?
この記事ではまずは、神の策士と称されることもある孔明の基礎知識をお教えします。あなたにも、神の存在が見えるかもしれません。
諸葛亮が放った名言な料理も、お知らせしていきます。どのような料理か、すでに知っている人もいるかもしれません。
やはり、諸葛亮孔明の妻も記載しておく必要があるでしょう。きっちり諸葛亮の妻の事を学べるのでは?
そして、諸葛亮と諸葛亮孔明、名前の違いも示していきます。結局どう違うのでしょうか?正直気になっている人もいるのでは?
また、諸葛亮と司馬懿、孔明と劉備も説明していきます。ライバルと親愛関係の違いも見えてくるでしょう。
三国志の神謀な諸葛亮じっくり解説していきます!
⇒王朗三国志!諸葛亮憤死、魏の皇帝、虞翻華歆、王元姫、孫策も解説
目次
⇒諸葛亮と蕭何!漢の三傑張良、兵站能力、最後、曹参三国志子孫も解説
神算鬼謀の策士諸葛亮孔明とは?どんな人?
諸葛亮孔明は、人物鑑定家の司馬徽から臥龍と呼ばれていました。
- 普段から天才な諸葛亮孔明の名言、肉まん料理
- 黄夫人が諸葛亮孔明の妻です
- 諸葛亮と諸葛亮孔明の名前の違い
臥龍は伏せた竜の意味で、飛び立つ機会を待っているということです。
飛び立った竜は、今の時代も日本だけでなく世界中で、活躍しているでしょう。
ちなみに、諸葛亮を伏竜と称することもあります。
そして、諸葛亮孔明のトレードマークは、羽扇ではないでしょうか。
日本でも、軍師や参謀と言えば、羽扇なイメージがあると思います。
羽扇を手にすると、あなたの頭にも奇策が舞い降りるかもしれません。
また、諸葛亮はゲームだとビームを出すケースもあります。ゲームの名前は三國無双です。
三国志の諸葛亮孔明は、著名な人物鑑定家からも、臥龍という高評価を与えられていました。
⇒三国志もうかく!孟獲嫁娘、ベトナム、七縦七擒、諸葛亮、象兵も解説
普段から天才な諸葛亮孔明の名言、肉まん料理
三国志の諸葛亮孔明は、人柱として人の首を捧げている部族に、饅頭で人の頭を作らせて奉納することをすすめました。
部族の慣習に配慮しながらも仁を行わせようと命じているので、孔明の名言と言えるでしょう。
そして、有能なはずの馬謖が諸葛亮の指示を聞かずに街亭の戦で大敗した際、馬謖を法に基づいて処罰したのです。
馬謖は有能なので惜しいが、法がしっかり行われてこそ、蜀漢は大望を果たせるという風な名言を述べました。
ただ、諸葛亮や姜維も北伐を完遂出来なかったので、結果論ですが、馬謖を生かしていたら・・・とはなるでしょう。
諸葛亮孔明は、部族を仁で導くために、肉まん料理を編み出したとされています。
⇒馬謖とは?諸葛亮孔明なぜ泣いて斬る?街亭の戦い、登山の誤算も解説
黄夫人が諸葛亮孔明の妻です
天才と称される諸葛亮孔明の妻を務め上げたのが、黄夫人です。
黄夫人の父は、才能は諸葛亮にふさわしいが、外見はあんまり・・・と述べています。
普通父は、子供の外見を良い風に言うことが多いにも関わらず、わざわざあんまりというのは・・・・
正直者だったのか、諸葛亮への礼儀なのか、それとも・・・
また、女性が結婚を求めている場合、自らの長所を言うものでしょう。
にも関わらずあまり外見が良くないというのは、何かの目的で外見を偽っているか、本当にあまり綺麗でないのどちらなのでしょうか。
ちなみに、黄夫人が実は綺麗といううわさもあります。
天才軍師な諸葛亮の妻の黄夫人は、才覚面で秀でていたのです。
⇒諸葛亮孔明の子孫と現在は?子供たち、逸話、モデル?三国志の裏話
諸葛亮と諸葛亮孔明の名前の違い
諸葛亮は、諸葛が姓で亮が名、諸葛亮孔明は、更に孔明の字(あざな)がプラスされた言い方です。
日本では、諸葛亮孔明も一般的に使われていますが、当時の中国では諸葛孔明が普通だと言えます。
亮は、かなり親しい間柄か目上の人からのみ、使用されるべきものなのです。
ですので、諸葛亮孔明というのは、謎の言い方と述べられます。
また、日本では諸葛亮孔明でも伝わるので、現代だと、あながち間違いな名前とは言えないかもしれません。
日本でも昔は幼名の名前が、青年後あたりと異なることもありました。三国志の時代には、姓名と字という文化が存在していたとうことです。
諸葛亮孔明は姓と字、諸葛亮は姓と名という違いがあります。
⇒徐庶とは?能力、母、劉備、諸葛亮孔明、三国志の隠れた軍師を解説
劉備の夢の実現を目指す諸葛亮孔明と鉄壁の防御で対抗する司馬懿仲達
諸葛亮が漢帝室再興のために北伐を行った際に、立ちはだかったのは司馬懿です。
- 諸葛亮(しょかつりょう)の死因は星の導き?
- 諸葛亮孔明と劉備玄徳は理想的な君臣関係
蜀漢も司馬懿の才知を警戒していたので、司馬懿が蜀漢対策を行い出すと、魏の君主の曹叡(そうえい)に、仲達を疑わせるように仕向けました。
諸葛亮孔明の脅威が迫って来ると、やはり司馬懿しか諸葛亮を防げないという意見が生じ、再び司馬懿仲達は復活します。
蜀漢の諸葛亮は様々な策略で魏を攻撃しようとしますが、結局は司馬懿が防御に徹することで、あまりダメージを与えられないのです。
また、諸葛亮は司馬懿の防御を崩すために、挑発的な行為を行ったこともありました。
魏の他の武将たちは怒って反撃しようとしましたが、皇帝の発言で封じたのです。
魏の賢人司馬懿仲達は、諸葛亮との戦で防御を徹底する事で、結果的な勝利を収めていきました。
⇒姜維の北伐!第五次、諸葛亮の遺志、蜀の伯約能力、評価、最後も解説
諸葛亮(しょかつりょう)の死因は星の導き?
司馬懿は星占いにも長けており、大きなスターが流れるのを見て、諸葛亮孔明の死を予見したのです。
天才な知略を誇った諸葛亮孔明も、50歳くらいで亡くなってしまいました。
また、諸葛亮が行った漢帝室再興のための北伐も、5度ほど行われたにも関わらず、結局は、そこまで成果が上がっていませんでした。
諸葛亮の夢が潰えてしまったことも、死因のひとつかもしれません。
諸葛亮の後を姜維が継ぎますが、姜維も北伐を敢行するだけで、魏を打倒出来なかったのです。
そして、諸葛亮は魏との戦いで働き過ぎたことも、死因と言われています。
蜀漢で要害を守り防御をかなり固めて、魏ではなくもっと西方や南方に進出したとしたら・・・諸葛亮も史実より長生き出来たのかもしれません。
大きな星が空から落ちた時、諸葛亮という三国志の大賢者も亡くなってしまいました。
⇒諸葛亮孔明死因、どんな人?逸話、赤壁の戦い、司馬懿仲達、妻も解説
諸葛亮孔明と劉備玄徳は理想的な君臣関係
諸葛亮は劉備から、蜀漢の行く末と劉備の息子の劉禅を託されるほどの強固な信頼関係を築いていました。
かつて生前劉備は、諸葛亮との間柄を水魚の交わりのようだと称したとされています。
そして、劉備には関羽のような若い時からの仲間もいましたが、諸葛亮は関羽の自尊心を満たすような対応をすることで、上手く劉備陣営に加わっていくのです。
また、劉備が諸葛亮に今後を託した場面には、別の意見もあります。
わざと劉禅と蜀漢の未来を断れない状況を作り出すことで、諸葛亮が本当に今後も劉備の目的のために働くよう仕向けたという意見です。
三国志でも裏切りの事例はたくさんありますし、劉備自身も主君をどんどん変えていったので、安心出来ない面もあったのでしょう。
劉備玄徳は、自らの息子の劉禅と漢帝室再興の夢を諸葛亮孔明に託しながら、亡くなっていきました。
⇒三国志劉備玄徳の性格!魅力的な人柄、カリスマ性、エピソードの話
鳳雛な龐統士元と臥龍な諸葛亮孔明
人物鑑定家として著名な司馬徽から、龐統(ほうとう)は鳳雛(ほうすう)、諸葛亮は臥龍と述べられていました。
劉備は、臥龍か鳳雛のどちらかでも得られれば、夢が叶えられるという風に言われていたのです。
なんと、劉備は、臥龍と鳳雛の2人を得ました。
劉備は、大変なカリスマ性を有していると言えます。人材収集家として知られる曹操孟徳も、悔しがったでしょう。
そして、龐統は益州の劉璋が劉備をあまり警戒していなかったため、このチャンスを活かすように劉備に進言しました。
龐統は、奇策に長けていると言えるでしょう。
諸葛亮と龐統はどちらも賢人ですが、諸葛亮は正統派な参謀で、龐統は奇策を使える参謀だったのです。
⇒ほうとう三国志!龐統能力、評価、最後、鬼才、名言、生きていたら
魏延の武は評価しつつも反骨の相を警戒した諸葛亮孔明
三國志の諸葛亮孔明は、魏延の将軍としての有能さは称賛しつつも、反骨の相を危険視していました。
魏延は元々韓玄の配下にいたのですが、見限って劉備に付きました。
劉備は魏延の武勇を好んでいたのですが、理由があったにせよ韓玄という主君を殺害した上で、劉備陣営に加わったのです。
このいわゆる反骨なところを諸葛亮孔明は、危惧していました。
諸葛亮孔明が生きている内は渋々従っていた魏延も、諸葛亮死後は誰も抑える者がいなくなるのです。
残念ながら魏延は、蜀漢の方針に逆らう動きを見せたため、蜀漢の馬岱に処刑されてしまいました。
魏延は反骨の相があったので諸葛亮から遠ざけられつつも、武勇の高さから将軍として活躍したのです。
⇒三国志魏延将軍とは?有能、最後死因、諸葛亮、反骨の相、馬岱も解説
まとめ:神謀天才諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)とは?どんな人?
凄い賢さな諸葛亮孔明の活躍と策謀を示してきました。あなたも読んだだけで、前よりも賢くなれたのではないでしょうか。
諸葛亮クラスの偉人になると、今に伝わる料理も生み出してしまうのでしょう。肉まん好きは、孔明に感謝すべきかもしれません。
諸葛亮の妻になれる人は、やはり奇才なところがなければならないのでしょう。
もしも魏に司馬懿仲達がいなければ、諸葛亮も容易に漢帝室再興が行えたのかもしれません。
周瑜は諸葛亮の賢さに手こずり嘆いたとされていますが、諸葛亮は司馬懿の存在を嘆いていたのではないでしょうか。
諸葛亮の死は、星にも表れていたと言われています。これからの日本の未来も星に出ているのでしょうか。
三国志の諸葛亮孔明はとにかく賢い偉人なので、内容を読むと気分もスッキリするでしょう!