三国志の張飛は、一人で何千人もの敵を威嚇出来るイメージではないでしょうか。
劉備と関羽と張飛のつながりも解説していきます。なぜ、3兄弟が偉人となれたかが分かるでしょう。
張飛が最強とされる理由のひとつに、長坂の戦いが挙げられます。弱小勢力でも、張飛のような勇者がいたら助かるでしょう。
そして、張飛の最後も説明していきます。張飛の人格上の欠点が露呈した末路です。
何かでどんなに上手くいっても、一つの問題点ですべてが崩れることもあるのでしょう。
また、張飛の娘と血縁についても記載しています。結構不思議な縁にも、出会えるのでしょう。
三國志の張飛翼徳の万夫不当な活躍を語ります!
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目次
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三国志張飛翼徳(ちょうひよくとく)
三国志の張飛翼徳は、武勇あふれるオーラで、敵将たちを圧倒しました。
また、張飛は益徳(えきとく)と呼ばれることもあります。
張飛は非常に勇猛なのですが、酒を飲むと危ないのです。現代でも酒を与えると、張飛のような末路の人は、いるかもしれません。
かつて劉備に留守を任されていた際に、酒に取り込まれてしまい正気を失い部下に当たり、人中の呂布と呼ばれた呂布に攻め込まれ、領地を奪われたのです。
ただ、呂布は傍若無人で身勝手だったため、最終的には曹操に処刑されてしまいました。
張飛は、酒で重大なものを失いましたが、人の弱点を突いた呂布は、自らの身自体を無くしました。
どちらがマシでしょうか。
張飛は、どのような敵をも威嚇出来る雰囲気を有していました。
⇒呂布奉先とは!伝説的強さ最強、実在?最後死因、妻、読み方も解説
三国志の崇高な義兄弟劉備玄徳と関羽雲長と張飛益徳
劉備と関羽と張飛は、三国志の乱世の中で、高い志で結び付いた仲間だったのです。
張飛ら三兄弟では、桃園の誓いが有名とされています。
桃園の前で、漢帝室再興と人民救済を誓い合ったのです。
3人の志は、桃のように豊かに実ったのでしょうか。
ただ、関羽が呉の策略で打ち取られた際に、劉備と関羽と張飛に固い絆があったため、無理にでも呉に攻め入る流れが発生したのです。
そのままの流れで相次いで、劉備と張飛も亡くなってしまいました。
実は桃園の誓いの際に、同じ日に死のうという決意も含まれていたのです・・・
何かを決意したとしても、内容には注意しておいてください。
三国志の劉備と関羽と張飛は、深過ぎる絆で上手くいきましたが、滅亡してしまう要因にもなりました。
⇒三国志劉備玄徳の性格!魅力的な人柄、カリスマ性、エピソードの話
三国志の関羽と張飛はどっちが強い?
武神な関羽雲長と万夫不当な張飛翼徳は、同じくらいの強さですが、本気を出したら関羽が勝つでしょう。
やはり、関羽は神とされることも多いので、人の中で武勇に優れた張飛とは次元が違うためです。
ただ、張飛は威圧感で敵を一蹴したことがあるため、関羽の不意を突いた場合、勝てる可能性はあるでしょう。
もしかしたら、関羽も張飛もお互いが仲間で、ホッとしているかもしれません。
関羽の愛用武器は青龍偃月刀で、張飛は蛇矛が得意武器と言われています。
関羽には愛馬の赤兎馬ですが、張飛の愛馬はあまりハッキリしないのです。
三国志の張飛と関羽は、基本的には同等くらいの強さを持っています。
⇒関羽の子孫!現在、息子、皆殺し、関平、関興、娘、張飛、趙雲も解説
三国志張飛が最強の評価をされ得る長坂の戦い
張飛翼徳は長坂の戦いで、気迫により魏の大軍を威圧して、食い止めました。
張飛の大喝の画像がありますが、髪は逆立ち、非常に迫力があります。
劉備が最終的に蜀漢皇帝となれたのも、張飛のような一騎当千の猛将がいたからでしょう。
また、長坂の戦いでは、劉備の後継者の阿斗を趙雲が救ったという逸話もあります。
長坂の戦いは、弱小のはずの劉備が有能な部下に支えられていることも示した出来事なのです。
そして、張飛に匹敵する大将軍に魏延がいます。なぜなら、張飛が就任するはずの役割に、魏延が任命されたためです。
蜀漢は劉備が生きている内は、人材豊富だったのでしょう。
三国志の張飛は、大迫力な威嚇で曹操軍を抑えました。
⇒三国志魏延将軍とは?有能、最後死因、諸葛亮、反骨の相、馬岱も解説
三国志の張飛に忍び寄る最後、窮鼠猫を嚙むが死因
勇敢な将軍である張飛にも、最後が訪れました、張飛は部下にキツくし過ぎて反撃され、亡くなったのです。
張飛は自分が上官だからなのか、非常に部下に苛烈でした。
劉備玄徳は、張飛の部下への対応をたしなめましたが、あまり効果がなかったのでしょう。
それに、張飛が斬られた際は、義兄弟の関羽の報復をしようとしており、怒りで更に苛烈になっていたのです。
その怒りが報復相手に向いていれば、残念な最後にならなかったのではないでしょうか。
自分以下だと侮っていると、思わぬ仕返しに遭うこともあるのでしょう。まさに窮鼠猫を嚙むな事件と言えます。
張飛の最後は、部下への態度の悪さから訪れたのです。
⇒関羽最後!雲長首、言葉、像、強さ身長、娘妻、張飛死因、曹操も解説
三国志の張飛の娘は夏侯覇の血縁
張飛の娘は、敬哀皇后と張皇后で、劉禅の皇后であり、勇将夏侯淵の息子の夏侯覇の縁者です。
ある時、張飛は散歩していたのですが、育ちが良さそうな美人を見かけました。
それが夏侯覇の親戚の女性だったのです。
夏侯淵が魏の名将ですから、夏侯覇も魏の武将でした。
しかし、魏の政局が不安定になったため、夏侯覇は蜀漢に亡命したのです。
張飛のいわゆる縁戚と言えるので、夏侯覇は、蜀漢ですんなり受け入れられました。
もしかしたら、魏側の鞍替えを促すために、夏侯覇を利用しようとした面もあるのかもしれません。
この流れでどんどん魏の武将が鞍替えしてくれば、蜀漢の天下に!?
張飛の2人の娘は、劉禅の皇后になっており、魏の実力者夏侯淵の子孫である夏侯覇の親戚です。
⇒劉備の息子は無能?どんな人?名前は劉禅アト、他の義理の子供も解説
張飛の子孫の張遵(ちょうじゅん)と諸葛亮の子孫の諸葛瞻(しょかつせん)は、魏に果敢に立ち向かいました
三国志張飛の子孫の張遵と諸葛瞻は、魏の侵攻に抵抗しましたが、戦の最中に亡くなりました。
張飛がかつて長坂の戦いで、敵を威嚇して追い返したような芸当は、張遵には無理だったのでしょう。
呉に援軍要請をしていたのですが、間に合わずに戦死しているので、呉軍が来るまで忍耐強く待っていれば、あるいは・・・
張遵は、蜀漢の皇帝劉禅の皇后と血縁関係があったため、蜀漢で重用されました。
張飛のようにその辺の市民から出世したわけではないので、張遵は、土壇場のド根性が無かったのかもしれません。
良い家に生まれたからといって、良い生き方が出来るとは、限らないのでしょう。
張飛の子孫の張遵は、魏に対抗しましたが、戦で亡くなってしまいました。
⇒三国志とうがい蜀攻略!鄧艾妻、司馬懿、しょうかい、きょういも解説
まとめ:三國志張飛翼徳!
張飛翼徳は、三国志でも有数の勇将であることを解説してきました。勇敢な人物を目指している人も、参考になるでしょう。
張飛を語る上で欠かせない劉備玄徳と関羽雲長も記載しました。この3兄弟を把握してこそ、三国志がどのような物語か分かるでしょう。
三国志の張飛は、最強の呼び声もあります。最強な人になりたい人も、使える内容ではないでしょうか。
張飛は、あえない最後を迎えました。自業自得とは、このことかもしれません。
張飛の娘は、魏の名将ともつながりがあることを示しました。蜀漢と魏は戦っていたのに、不思議なこともあるのです。
三国志の張飛翼徳は、勇者と呼ぶべき偉人なので、強敵や大事業に挑戦する前は要チェックでしょう。