三国志かこうえん!夏侯淵最期、夏侯惇、兄弟、一族、逸話、弓も解説

曹操の部下で弓が得意な将軍と言えば、夏侯淵でしょう。

夏侯淵は、凄い速さで動くことが評価された将軍なのです。怒涛の軍勢は、負け知らずなのでしょうか。

そして、夏侯淵には兄の夏侯惇もいました。夏侯惇は眼帯をしていることが、トレードマークです。

また、夏侯淵以外の夏侯一族もたっぷりご紹介します。あなたも気になる夏侯一族が、見つけられるでしょう。

伝説の剣を持っていた夏侯一族の一人は、剣を自分で活用して有名、というわけではなかったのです・・・

他にも、曹操と曹丕と夏侯一族たちの関係性も論じます。誰がどのように評価されていたのでしょうか。

三国志の夏侯淵をしっかりお知らせしていきます!

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疾風迅雷な行軍の夏侯淵の欠点が見事に露呈した最期

三国志の夏侯淵は、電光石火の素早い軍事行動を評価されていましたが、定軍山の戦いで、敵の計略に見事にハマり、最後を迎えました。

軍事の速さは自らが率先して動くためで、良い方向の場合は迅速さを見せられますが、悪い方向の場合軽率さと身の危険を発生させるでしょう。

そして、曹操は夏侯淵の素早い軍勢を褒めつつも、慎重さも重要であると述べていたのです。

人材収集家の曹操は、部下のすべてを見通していたのでしょうか。

また、夏侯淵の弱点を突いた敵の軍師法正の見識も、褒めるべきでしょう。戦とは弱点を突いて勝つものと言えます。

夏侯淵は、スピード感あふれる行軍で名声を博しましたが、定軍山では裏目に出て、あえない最期となりました。

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孝のために目玉まで大事にした夏侯惇(かこうとん)の逸話

三国志の夏侯淵の兄の夏侯惇は、敵に目を射られた際に、目を捨てずに食べたとされています。

目を親から与えられたと述べられるからと言っても、ここまで来ると異次元でしょう。

夏侯惇に眼帯の画が多いのは、こういう背景があったのです。

曹操から信頼の厚い将軍ですが、計略にはあまり長けておらず博望坡の戦いで、諸葛亮孔明の火計に敗れました。

また、夏侯惇はかつて自らの師を精神的に傷つけた者を打ち取ったため、豪気さで知られてもいたのです。

そして、曹操は夏侯惇を他の家臣とは比べ物にならないくらい重用していました。

まるでもう一人の曹操に相対するかのように・・・

夏侯淵の兄弟の夏侯惇玄譲(かこうとんげんじょう)は、目を射られても孝行を忘れない性格なのです。

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死因まで忠節を尽くした夏侯惇と曹操の関係性

三国志の夏侯惇は、曹操の死期が近付いた際に、自らも巻き込まれるように亡くなりました。

あまりにも曹操に、忠誠を尽くし過ぎたためでしょうか。

夏侯惇の妻はいたと思いますが、どのような業績かはハッキリしないのです。

夏侯惇の墓は、かつての魏の都付近にあったのですが、無駄が無く剣だけが存在していたとされています。

そして、夏侯惇は、前漢時代に劉邦の元で活躍した夏侯嬰(かこうえい)の子孫なのです。

やはり、三国志で有名な武将は前の時代で著名な人物の末裔が多いので、そのへんも知っておくとより面白いでしょう。

夏侯惇は、曹操が亡くなったすぐ後くらいに、引っ張られるように共に亡くなっていきました。

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三国志夏侯淵の他の夏侯一族も解説します

夏侯一族には、夏侯玄(かこうげん)・夏侯覇(かこうは)・夏侯徽(かこうき)・夏侯楙(かこうぼう)・夏侯尚(かこうしょう)・夏侯恩(かこうおん)がいました。

  • 人格を高評価され名声を博した夏侯玄(かこうげん)
  • 定軍山の戦いで斬られた父夏侯淵の仇敵の国で栄達した夏侯覇
  • 金と女に夢中で夏侯氏一族の名声を失墜させた夏侯楙(かこうぼう)
  • 曹操の息子曹丕からも高評価な優秀夏侯尚(かこうしょう)

そして、三国志の夏侯淵の親戚の夏侯徽は、実力者司馬師が魏に反逆する心を持っていることに気付いてしまい、最後を迎えていきました。

賢女ゆえに司馬師の野心を見抜いてしまい不運に陥ったのが、夏侯徽(かこうき)と言えるでしょう。

また、伝説の剣である青釭の剣を曹操から持たされていたのが、夏侯恩(かこうおん)です。

夏侯恩は伝説な剣で活躍するのではなく、劉備軍の趙雲に負け青釭の剣まで取られたことで、有名になってしまいました。

三国志の夏侯一族はたくさんいるので、それぞれを紹介していきます。

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人格を高評価され名声を博した夏侯玄(かこうげん)

三国志の夏侯淵の親戚の夏侯玄は、あの楽毅の論評で有名なのです。

楽毅は、燕を助け斉を滅亡寸前にまで追い込んだ大将軍で、諸葛亮孔明も憧れた偉人とされています。

そして夏侯玄は、張良論でも知られているのです。張良は前漢の三傑の一人で、策謀に長けていた名臣と言われています。

また、魏で権力を握り始めた司馬師に対抗しようとしたのですが、バレてしまい夏侯玄は処刑されたのです。

他にも、夏侯玄は狗と称された諸葛誕(しょかつたん)とも、名声を競うほどの人物でした。

ただ、策謀家の鍾会は、夏侯玄よりも蜀漢の大将軍姜維の方が上と述べています。

夏侯玄は、楽毅論で著名で、張良論もあるため、優れた論述家として評判でした。

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定軍山の戦いで斬られた父夏侯淵の仇敵の国で栄達した夏侯覇

夏侯覇は、父夏侯淵での恨みがあるはずの蜀漢国に亡命し、出世していきました。

親戚の夏侯玄が実力者司馬師との権力闘争に敗れ、更には夏侯覇と仲の良くない者が権限を握り始めたため、仇敵の国蜀漢に鞍替えしたのです。

そして、実は劉備の義兄弟で万夫不当の将軍張飛の妻が、夏侯覇の親戚で、張飛の娘が蜀漢の皇帝劉禅の后でした。

流れで亡命したはずの夏侯覇を蜀漢陣営は歓迎し、武将として使役したのです。

また、夏侯覇は亡命の立場が不安だからなのか、蜀漢の実力者張嶷(ちょうがい)と懇意になろうとしました。

ですが、張嶷の方が一枚上手で、お互いを知らないためまだ早過ぎると、たしなめたのです。

三国志の夏侯覇仲権(かこうはちゅうけん)は、父夏侯淵の仇敵の蜀漢に亡命し、血縁から歓迎され武将としても活躍しました。

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金と女に夢中で夏侯氏一族の名声を失墜させた夏侯楙(かこうぼう)

三国志夏侯惇の息子の夏侯楙は、武勇や知略ではなく金と女への執心で有名でした。

お金を巧みに稼ぐのではなく、お金に執着して責務を疎かにしていたのでしょう。

女に夢中になり過ぎて、乱世の奸雄曹操孟徳の娘である妻から愛想をつかされ、陥れられ処刑されそうになってしまいました。

夏侯楙は名門の夏侯氏一族だったため、結局はセーフだったのです。

そして、夏侯楙は名族出身なので、それなりの地位で出陣を命じられることが、結構ありました。

ですが、お金と女性への執着では勝てないのです。夏侯楙は敵軍に散々に翻弄されて、終わってしまいました。

夏侯楙は、お金や女性などの本筋と違う部分に力を使ってしまったため、残念なエピソードが多いのです。

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曹操の息子曹丕からも高評価な優秀夏侯尚(かこうしょう)

三国志の夏侯尚は、曹丕からも評判が良く賢人でしたが、杜襲は本質を見抜き、曹丕に夏侯尚はメリットがないと述べました。

蜀漢の孟達が関羽救出問題で身の危険を感じ、魏国に鞍替えしたきた際に、夏侯尚は勢いに乗って領土を一気に拡大したのです。

ですが、夏侯尚は曹一族の娘を妻にしていながら重んじず、他の女性を大事にしていたため、曹丕から批判されました。

曹丕は父曹操ほどには、人を見る目が無かったのでしょう。

また、夏侯尚の息子に論述が高評価な夏侯玄がいるのです。夏侯一族は、多才と言えるでしょう。

夏侯尚は、曹丕から一目置かれる人物で、批判される面もありつつも、結局は曹丕から重用され続けました。

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まとめ:三国志夏侯淵妙才(かこうえんみょうさい)の最期の逸話と兄弟と一族

三国志の夏侯淵が、電光石火の軍勢で戦果を残してきた人物であることを解説してきました。

武将として成功するには、速さが重要な要素なのでしょう。

ただ、速い事で短所が生ずる部分があることも、説明してきました。

ほどほどの中庸な有能さを磨くべきなのでしょう。

そして、夏侯惇などの他の夏侯一族も記載しました。いろいろな夏侯一族の活躍は、三国志でも見所の箇所でしょう。

また、曹丕と曹操の夏侯一族との深い関係も書きました。曹操や曹丕から評価される一族は、その時点で並ではないでしょう。

夏侯淵は有能でありながら、いつの間にか最後となった将軍なので、優秀な人の戒めにもなるでしょう!

⇒三国志黄忠とは?定軍山の戦い、最期、強さ、厳顔、夏侯淵、弓も解説

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