孫子と三国志!兵法三十六計、名言子孫、諸葛亮孔明、曹操戦術も解説

三国志の超世の傑曹操は、孫子の兵法の注釈書を残した偉人、としても有名です。

孫子は、何十回も勝利を獲得することは、望ましいことだがベストではないと語っています。ではどのようにすれば、兵法での勝利を得られるのでしょうか。

そして、日本の有名な戦国大名の武田信玄も、孫子の兵法の愛好者とされています。孫子の風林火山を、織田信長や徳川家康も畏怖していたのでしょう。

また三国志の諸葛亮が、孫子レベルの兵法三十六計を上手く利用したことも、記載していきます。諸葛亮のライバル軍師の司馬懿は、知略の深さでも知られていますが、どのような兵法を披露したのでしょうか。

他にも孫子は、敵と己を深く把握することが重要、と述べています。己と敵の理解が欠けていた場合は、どのような事態に陥ってしまうのでしょうか。

孫子と三國志を詳しく解説していきます!

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連戦連勝は良いことだが最上ではないという孫子の名言

孫子は、何百回も戦い勝利し続けることは、好ましいと言えるが、最も良いとは言えないと語っています。

そもそも、どのような強い軍隊もいつかは敗れることがあり、戦を繰り返すと国が疲弊するのです。

ですので、孫子は戦争を行わずに勝利するには、どうすれば良いかを、兵法としています。

そして三国志の曹操は、赤壁の戦い前夜荊州という広大な地域を、戦わずに投降させました。孫子の兵法を注釈した者にふさわしい成果、なのではないでしょうか。

三国志の曹操孟徳(そうそうもうとく)も参考にしていた孫子は、戦わずに勝利することを目的とした兵法で、連戦連勝の弊害を名言として残しているのです。

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第一次世界大戦に負けたヴィルヘルム二世はドイツ皇帝を退位させられる前に孫子に出会いたかったと語ったのです


ヴィルヘルム二世は、ドイツ統一の英雄ビスマルクに対抗して、無理な軍拡を行い、第一次世界大戦でイギリスとフランスと戦い敗北しました。

孫子の兵法は、いかに戦わずに勝つかを目的としているため、ヴィルヘルム二世が盾突いたビスマルクに近い考え、と言えるでしょう。

そしてドイツ統一の立役者ビスマルクは、ヨーロッパで複雑な外交を展開することで、フランスを孤立化させていました。

ヴィルヘルム二世が、フランスを他のヨーロッパの諸国と組ませないように注意していれば、そもそも第一次世界大戦が起きなかった可能性はあるでしょう。

孫子の兵法は、ドイツ皇帝を退位させられただけでなく、第一次世界大戦にも敗北した、ヴィルヘルム二世からも高評価されていました。

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日本の戦国大名の武田信玄は孫子の兵法の風林火山を旗印としていました

孫子の兵法には、風林火山陰雷の名言が書かれており、武田信玄は軍事的に他大名を圧倒するために、風林火山を軍旗としたのです。

風林火山は、自然の優れた部分を孫子が兵法に応用したもの、とされています。

そして武田信玄は、孫子の兵法の風林火山な軍略で、三方ヶ原の戦いにおいて、後の江戸幕府初代将軍徳川家康に圧勝しました。

徳川家康は、信玄軍に追われたのですが、北伐に敗れた諸葛亮と同様に、浜松城で兵法三十六計の空城の計を展開し、武田軍を退却させたのです。

武田信玄(たけだしんげん)は、孫子の兵法の名言風林火山な軍団で、徳川家康(とくがわいえやす)を三方ヶ原の戦いで破りましたが、家康は諸葛亮な兵法で難を逃れました。

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三国志の諸葛亮孔明は兵法三十六計の空城の計で孫子クラスの軍略を示し司馬懿を退却させました


諸葛亮は、街亭の戦いで部下の馬謖が、命令を無視して登山したため、北伐軍が壊滅寸前に陥ったのです。

このまま通常通り撤退してしまうと、司馬懿に弱点を見せることになるので、諸葛亮は空城にも関わらず防備が完璧なフリを装いました。

そして諸葛亮が城の上で、美しく静かな琴を演奏していると、司馬懿は疑心暗鬼に陥り軍を退かせたのです。

司馬懿は諸葛亮に勝つことに失敗しましたが、慎重さがあったからこそ、戦で大敗し難かったのではないでしょうか。

街亭の戦いで馬謖幼常(ばしょくようじょう)が登山の失態を演じたので、三国志の諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)は孫子な策の兵法三十六計の空城の計で、司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)を撤退させました。

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敵を知り己を把握すれば百戦しても敗北しないでしょうという孫子の兵法の名言

孫子は、敵をしっかり分析し、自分自身のこともきっちり理解すれば、何度戦をしても敗れないと語ったのです。

道教の代表者である老子は、他人を知る者は智者で自己を知る者は明者、と述べています。

春秋戦国時代の諸子百家が栄えた時代からすでに、他人と自己を深く理解してこそ、それぞれの戦略や考えが始まる、と主張されていたいうことなのでしょう。

そして孫子の兵法では、自分を認識するだけでは勝ったり負けたりを繰り返し、自己も他人も分からなければ全敗するでしょう、と書かれているのです。

孫子の兵法には、自己を深く認識し敵を多面的にリサーチすれば、何回戦争しても勝利可能でしょう、という名言もあります。

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乱世の奸雄曹操は孫子をまとめ直し孫子の兵法で三国志の世界を席巻しました

曹操は三国志の世界で、後漢皇帝献帝劉協を超える実力を保持していましたが、孫子の兵法を活用したからではないでしょうか。

曹操の戦は、大勢力の袁紹に勝利した官渡の戦いに代表されるように、巧みな兵法を駆使しているのです。

そして、今の時代に孫子の書物が残っているのは、曹操が編纂し直したからだとも言われています。

また曹操は、孫子だけでなく呉子にも比肩する兵法、と評価されてもいるのです。

ちなみに呉子こと呉起は、楚で法家の実力を示し楚を強国にしましたが、既得権益者の反感を買い悲惨な最後が訪れました。

三国志の超世の傑曹操は、孫子の兵法を活用し官渡の戦いで勝っただけでなく、孫子の兵法を現代にまで伝える役割も担っています。

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小覇王孫策と江東の虎孫堅と赤壁の戦いの勝者孫権は孫子こと孫武の子孫と言われているのです


孫子こと孫武には、三国志の呉の大皇帝孫権が、子孫としていました。

孫権が赤壁の戦いで、曹操の圧倒的な大勢力に勝ったのは、大兵法家孫子の子孫な自負があったからではないでしょうか。

そして孫子こと孫武は、呉王闔閭に仕え、復讐に燃える伍子胥と共に、大国楚に大勝したと伝わっています。

ですので、呉で孫権と小覇王孫策が発展したのは、先祖孫子の恩恵かもしれません。

孫子の子孫の江東の虎孫堅文台(そんけんぶんだい)が下地を作り、江東の小覇王孫策伯符(そんさくはくふ)が切り開き大皇帝孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)が統治した呉は、孫子こと孫武が春秋の五覇闔閭が呉王だったことからも、ゆかりが深いのです。

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まとめ:孫子(そんし)の名言子孫と三国志曹操と諸葛亮孔明の兵法三十六計

孫子が、どれくらい凄い兵法を残しているかを解説してきました。春秋戦国時代は戦ばかりだったので、死に近い時代だからこそ誕生した兵法、なのでしょう。

そして孫子の兵法が、ドイツ皇帝だったヴィルヘルム二世からも評判、だったことも説明してきました。

孫子は戦わずに勝つことを目標としているので、多くの人々が読めば、どんどん戦争が終結するのではないでしょうか。

また、赤壁の戦いで有名な呉の君主孫権と兄の江東の小覇王孫策が、孫子の末裔と言われていることも述べてきました。三国志の世界でも、春秋戦国時代のヒーローは、人気だったのでしょう。

孫子の兵法と明言を深く知ることで、あなたも、超世の傑曹操や諸葛亮クラスの兵法が、繰り出せるかもしれません。

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