三国志にはたくさんの参謀がいますが、賈詡も外せないでしょう。
賈詡は、前漢の劉邦時代の伝説的な策士に、匹敵すると評価されることもあるのです。策士を目指している人は、必須の人物と言えるでしょう。
賈詡も、危機に陥ってしまったことがあるのです。どのような機転を利かせて突破したのでしょうか。
そして、賈詡は主君に仇敵と戦うのではなく、むしろ利用する道を選ばせました。どのような奥深い背景が、あったのでしょうか。
また、李傕や郭汜らの悪な人物と賈詡の関わり合いも論じています。賈詡は己の知略で、悪をどう利用したのでしょうか。
他にも、賈詡と荀彧と司馬懿も書いています。賢者な荀彧と司馬懿は、賈詡とどう異なるのでしょうか。
三國志の賈詡の賢い活躍をお知らせしていきます!
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目次
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死中で魅せた賈詡の兵法!借屍還魂を使う大胆不敵な性格
賈詡は、後漢の支配外の異民族に囲まれた際に、周りの者が斬られる中、異民族から畏怖された人物の親戚を語ることで、賈詡は死地を脱しました。
ちなみに、賈詡はその人物と親戚ではなかったとされています・・・
死を目前にして手段を選ばなかったのか、臨機応変の知略と言うべきか。
兵法三十六計に、他の権威を利用して優位性を作り出す借屍還魂(しゃくしかんこん)がありますが、賈詡のやり方はまさに、この兵法でしょう。
乱世の奸雄曹操も後漢皇帝の権威を利用して、他の諸侯に指示を出していたため、借屍還魂の活用者と言えます。
三国志の賈詡は、危険な異民族に遭遇した際、借屍還魂の兵法で、死を免れ生存しました。
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他人の弱点を巧みに操った賈詡と優位性を利用した司馬懿
賈詡と司馬懿はどちらも軍師ですが、状況の利用方法が異なるのです。
賈詡は、異民族に囲まれて異民族に恐れられている武将の名前を利用するなどの、人の弱点を突くやり方が多いと言えます。
司馬懿は諸葛亮孔明との戦いに見られるように、強国としての優位性を活かした防御術などの、有利な情勢を使う手法が多いのです。
司馬懿は名門と言うべき出身で、賈詡はそうでもないからでしょう。
自分の家柄が良いなら司馬懿をそれほどでない人は、賈詡を見習うべきと述べられます。
あなたは、賈詡と司馬懿の出身が入れ替わったら、どのような策を使うと思いますか?
三国志の司馬懿仲達と賈詡は、二人とも天才軍師ですが、置かれている状況により、策の手法が異なっていました。
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袁兄弟と劉表父子の話で曹操の後継者問題を終結させた賈詡の名言
曹操が息子の曹丕と曹植で悩んでいた際に、賈詡は、袁紹と劉表の息子たちが、後継者争いで家を弱体化させた事例を出し、曹操を悟らせました。
- 仇敵な乱世の奸雄曹操にむしろ味方した天才な賈詡
- 後漢の名臣にして超世の傑曹操の張良な荀彧と賈詡
そもそも袁紹は四世三公の名門で、一時期は曹操よりも大勢力だったのです。
しかし、袁紹の息子の袁譚(えんたん)と袁尚(えんしょう)が袁家内部で分裂し争うことで、衰退していきました。
また、劉表は息子で長男の劉琦(りゅうき)から、劉琮(りゅうそう)に後継者を変更したことで、家中が混乱したのです。
賈詡は、袁紹や劉表と同じ末路にならないように曹操を導きました。
ちなみに、賈詡は見事後継者になれた曹丕から、褒美をもらっています。
三国志の賈詡は、袁紹の息子たちと劉表の子供たちの事を曹操に話すことで、曹丕後継者に一役買いました。
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仇敵な乱世の奸雄曹操にむしろ味方した天才な賈詡
曹操と賈詡の主君張繡(ちょうしゅう)は、犬猿の仲でしたが、曹操は天下を得ようとしているので、賈詡たちと戦うよりも、仇敵を受け入れる度量の広さを取ることを計算したのです。
いがみ合っている間柄だと誰しも、やっつけたいという心理が働くものですが、曹操クラスになると、敵すらも駒の一つなのでしょう。
かつて前漢皇帝劉邦が、仇敵雍歯(ようし)にしっかり褒美をあげることで、他の武将が離れていくことを食い止めたことに似ています。
また、曹操は最終的には大勢力になりますので、大勢力になっていた場合は、賈詡の作戦は通じないかもしれません。
三国志の賈詡は、曹操と張繡の関係性を詳細に分析したからこそ、張繡と仲が悪い曹操の軍門に下りました。
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後漢の名臣にして超世の傑曹操の張良な荀彧と賈詡
賈詡は三国志の列伝で、名臣で賢者な荀彧のかなり近くに、掲載されています。
三国志の作者陳寿は、賈詡を荀彧と同じような存在に考えていたのでしょう。
ただ、賈詡は悪を奨励してしまったり、他人の弱点を突いたりといったような、荀彧なら行わないような策も多いです。
また、呉の主君孫権は、賈詡が三公という非常に高い位を与えられた際に、批判的だったとされています。
賈詡は策謀が多く、徳があるとは言えないからでしょう。
それに、荀彧は後漢朝廷に仕えていた面がありますが、賈詡は生き残るために曹操に味方していた策士でした。
賈詡は、志があるというよりも、生きる事を重視していたのかもしれません。
賈詡は、三国志の書籍で荀彧と同じような立ち位置で、書かれています。
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賈詡は前漢のレジェンドな軍師張良や陳平の次くらいの策士
賈詡は、漢建国者劉邦の代表的な参謀に連なるくらいの軍師、と三国志の作者から評されています。
- 賈詡の入れ知恵で天下の主?な李傕(りかく)
- 賈詡の策、董卓の仇討ちで長安を得た郭汜(かくし)
三国志の著者陳寿からここまで褒められるのは、珍しいでしょう。
策士を目指している人は、賈詡を良く学ぶべきでは?
そして、張良の主君で皇帝の劉邦が、呂雉皇后の息子よりも、他の女性の子供を後継者にしようとし出したことがありました。
張良は、呂雉皇后の息子に、劉邦でも呼べなかった賢者を招かせることで、後継者問題を終わらせたのです。
賈詡は、曹操の後継者問題を解消させた人物としても知られているので、張良に似ていると言えるでしょう。
三国志の著者陳寿からも賈詡は、陳平や張良クラスの天才軍師と評価されています。
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賈詡の入れ知恵で天下の主?な李傕(りかく)
三国志の李傕は、董卓が呂布に打ち取られた後、都長安に居るべきという賈詡の策で、一時的に天下を得ました。
そもそも董卓は、後漢の中央政府の中常侍(ちゅうじょうじ)を追い払うために、中央政府に呼ばれていたのです。
にも関わらず、中常侍たちが衰退していくと今度は、董卓が専横を極めていきました。
他人の力をむやみに使うと、前よりも状況が悪化する良い例でしょう。
そして、董卓も打ち取られその後に、董卓の部下だった李傕らに、都で権力を握らせたのが賈詡なのです。
賈詡によって、悪が継続してしまったという見方と、ある種の秩序でセーフな面もあったという意見があります。
李傕(りかく)は、天才策士賈詡の献策で、悪でありながら天下の長安に居座り、一定の秩序を作り出しました。
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賈詡の策、董卓の仇討ちで長安を得た郭汜(かくし)
三国志の郭汜は、賈詡の献策により主董卓の仇討ちを行うことで、李傕と共に長安を獲得しました。
悪逆無道な董卓も、郭汜らにとっては主君なので、仇討と言えるのです。
董卓ほどではないですが、郭汜も無道で人民は飢えに苦しみました。
また、郭汜の妻は、李傕から郭汜が他の女性を与えられ、自らの地位が危うくなることを恐れていたのです。
なので、郭汜の妻は謀略で、郭汜と李傕の中をかき乱してしまいました。
長安を牛耳っていた郭汜と李傕は、結局は悪に近いため、内部対立で滅びる定めだったのでしょう。
郭汜(かくし)は、主君の仇討ちで長安を支配しましたが、悪を続けることで転げ落ちていきました。
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まとめ:三国志の賈詡文和(かくぶんわ)は天才軍師で陳平や張良な策士能力
三国志の賈詡の凄い参謀能力を解説してきました。あなたも真似したくなりました?
張良と陳平が気になっている人も、賈詡は把握しておくべき賢人なのです。賈詡を知ると、張良や陳平の事がより一層詳しく分かるでしょう。
賈詡の策略は、死地でも力を発揮したのです。賈詡の策を身に付けておくと、何があっても無事に生存出来るのでは?
賈詡は仇敵曹操に仕えてからは、曹氏の存続に努めたのです。賈詡の名言が無ければ、曹操の後継者争いは解決しなかったかもしれません。
そして、司馬懿と荀彧と賈詡の違いや、似ている部分も説明しました。同じ軍師や参謀でも、立場や生き方が異なると、結果も違うということです。
賈詡は善な軍師ではなく、状況ごとに臨機応変に対処する天才策士なので、複雑な環境にいる人も参考にしやすいでしょう!