陳平と三国志!能力評価、魏無知、賄賂、子孫逸話、劉邦張良も解説

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三国志の超世の傑曹操からも高評価だったのが、陳平なのです。

陳平は、魏無知から高く評価されていたため、劉邦に仕えられました。しかし陳平には、兄嫁と賄賂で黒い噂が存在していたのです・・・

そして陳平は、劉邦から不正を追及された際に、見事に反論しました。本当の策士は、不正すらも活用する人物のことなのでしょうか。

また、陳平は策謀を行い過ぎたので、子孫に悪影響が出ると思っていました。何かに秀でている人は、それ相応に何かを犠牲にしているものなのでしょう。

他にも、三国志の賈詡が、陳平レベルの知力と称されていたことも説明していきます。賈詡は、曹操の部下の中でも、黒い評判のある軍師でした。

陳平と三國志を詳しく解説していきます!

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信陵君の子孫の魏無知は道徳よりも能力を優先して陳平を劉邦に推薦したのです

陳平は、賄賂と兄嫁の件で非道徳とされていましたが、魏無知は陳平の才能を高評価していました。

そもそも陳平の主君劉邦も、女好きで大ウソつき、と言われている程度の人物だったのです。

ですので、陳平と劉邦は、同じ穴の狢とも述べられるでしょう。

そして、魏無知の祖先の信陵君魏無忌は、孟嘗君と平原君と春申君と共に、戦国四君として評判でした。

また信陵君は、陳平の主君劉邦からも敬われていたため、信陵君の祭祀が頻繁に行われたのです。

陳平は、信陵君魏無忌(しんりょうくんぎむき)の末裔の魏無知(ぎむち)から、兄嫁と賄賂の悪評が知られていたにも関わらず、能力を買われ劉邦におすすめされました。

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金蝉脱殻の兵法で劉邦を西楚の覇王項羽から逃がした陳平

陳平は、主君劉邦が覇王項羽に勝つのは難しいと見抜いたため、紀信を囮に使い劉邦を脱出させたのです。

そして紀信は、劉邦を逃がしたため、項羽から処刑されました。

劉邦が天下を統一出来たのは、紀信のような忠臣を獲得していたからではないでしょうか。

また陳平は、裏切り易い魏豹を紀信たちと共に残すことで、魏豹にも上手く最後を与えました。

ちなみに金蝉脱殻は、兵法三十六計にあり、金蝉が殻を本物のように見せ、状況を改善させる作戦を意味しています。

陳平は、紀信(きしん)を劉邦の身代わりとする金蝉脱殻の計略で、覇王項羽から逃れるだけでなく、油断ならない魏豹(ぎひょう)にも最期をあげたのです。

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陳平は賄賂の件で劉邦から詰問されましたが理路整然と道理を述べました

陳平は、西楚の覇王項羽が、意見を聞かないだけでなく処罰も行おうとし無一文で脱出したため、賄賂が必要だったのです。

劉邦は賄賂に理由があったことを知り、更には項羽軍の内情を知る陳平が、使えると考えました。

そして陳平は、項羽は疑心暗鬼の塊なので、軍師の范増と仲違いさせられると主張したのです。

劉邦は陳平に多額の金銭を与えると、陳平は見事に、范増と覇王項羽を離間させることに成功しました。

范増は項羽陣営一の策士でしたが、項羽の本当の信頼は獲得出来なかったのです。

西楚の覇王項羽(こうう)に意見したために、罰せられそうになった陳平は、賄賂を使う必要がありましたが、劉邦の誤解を解き范増(はんぞう)を失脚させました。

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前漢の三傑のひとりの国士無双韓信が斉王を望んだ際に陳平は張良と共に支持しました

陳平は、韓信の斉王就任を拒否すると、劉邦と項羽と共に並び立つ存在になりかえない、と考えたのです。

国士無双韓信の軍師には、蒯通がおり、三国志の諸葛亮のように、天下三分の計を主張していました。

そして西楚の覇王項羽も、韓信の大勢力を警戒しており、韓信が劉邦に尽くしても最後は裏切られる、と語り味方にしようとしたのです。

しかし韓信は、項羽から以前軽んじられたことを覚えていたので、覇王項羽側には付きませんでした。

前漢の三傑の張良子房(ちょうりょうしぼう)と陳平は、国士無双韓信(かんしん)を斉王とすることで、覇王項羽に鞍替えさせたり独立させたりすることを防いだのです。

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前漢の劉邦のために陳平は陰謀な奇策を過度に利用したので子孫繁栄が難しいと考えていたのです

陳平は、主君劉邦を助けるために、たくさんの謀略を駆使したため、子孫に罰が来ると思っていました。

そして三国志の賈詡は、陳平の子孫ではありませんが、張良や陳平クラスの策士と評価されていたのです。

賈詡は宛城の戦いで、乱世の奸雄曹操の息子の曹昂と典韋に最後をもたらしたため、陳平並みの知略があると言えるでしょう。

また三国志の諸葛亮は、何でも自分で行おうとしたため、陳平のように分担させるべきと諫言されていました。

諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)からも見習わられた陳平は、子孫繁栄を犠牲にしてまで、前漢の初代皇帝劉邦のために、三国志の賈詡文和(かくぶんわ)のような巧みな謀略を展開したのです。

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冒頓単于の妻に前漢の美女による弊害を語り劉邦を助けさせた陳平

陳平は、劉邦が白登山の戦いで、匈奴の冒頓単于に包囲された際に、奇計で劉邦を救いました。

劉邦が降伏した場合、前漢の美女が匈奴の届けられ、冒頓単于の妻の立場が危うくなる、と陳平は述べたのです。

そして冒頓単于は、父親から疎んじられていたので、忠誠心の厚い軍勢を集めようとしました。

冒頓単于は、部下に自分が射たら射よと厳命し、自らの愛馬を射たり愛人を射たりすることで、絶対的な忠誠心を獲得し、父に部下と共に最後を与えたのです。

劉邦が、白登山の戦いで匈奴に取り囲まれた際に、陳平は冒頓単于(ぼくとつぜんう)の妻に、前漢の美人の危険性を語ることで、主君劉邦を救出しました。

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三国志の曹操は人材登用の際に陳平のように兄嫁や賄賂の悪い噂があっても能力が高ければ良いと述べました

三国志の乱世の奸雄曹操は、陳平のような非道徳さがあったとしても、才能で評価すると語ったのです。

曹操は、敵将の中から張遼を見出し、合肥の戦いで孫権の大軍を撃破させました。

また、曹操は部下の夏侯淵が、定軍山の戦いで法正の巧みな策に敗れた際に、法正を獲得出来ていなかったことを嘆いたのです。

そして、陳平の主君劉邦の部下曹参の子孫が、曹操とも言われています。

曹参は策略ではなく、黄老思想の無な政治で、無駄なことを控え、前漢の政治を充実させたのです。

陳平は賄賂と兄嫁で悪評がありましたが、三国志の超世の傑曹操孟徳(そうそうもうとく)からも、高評価されるほどの逸材でした。

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まとめ:陳平(ちんぺい)の能力と三国志での評価と魏無知逸話

陳平が、どれくらいの策士能力があり、三国志でも高評価だったかを解説してきました。

三国志の世界に陳平が再誕した場合、諸葛亮でも対抗出来ない可能性があるでしょう。

そして陳平が、兵法三十六計の金蝉脱殻で、劉邦を項羽の魔の手から脱出させたことも、説明してきました。

劉邦のように天下を取りたければ、仲間を犠牲にすることも重要なのでしょうか。

また陳平が、国士無双韓信の斉王就任の意義を、理解していたことも述べてきました。もしも韓信が第三勢力となっていた場合、劉邦の時代には、天下統一出来なかったかもしれません。

前漢の三傑の張良では思い付かない、陳平の策謀があったからこそ、劉邦と前漢の天下が長続きしたのではないでしょうか。

⇒諸葛亮と蕭何!漢の三傑張良、兵站能力、最後、曹参三国志子孫も解説

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