張良と諸葛亮!世界最強軍師、孔明、太公望、蕭何、韓信、劉備も解説

三国志の天才軍師諸葛亮と前漢の三傑のひとり張良は、同じくらいの賢者でしょう。

張良と諸葛亮と孟子を同じくらいに高評価しているのが、朱子です。孟子は性善説で知られているので、張良と諸葛亮も性善説のな性格と言えるかもしれません。

そして、諸葛亮が周の文王の軍師太公望に比肩する、という意見もあるのです。太公望は伝説的な軍師なので、諸葛亮も今の時代からすると、伝説な部類に含まれるかもしれません。

また、張良と共に前漢の三傑と高評価されていた韓信は、魏延に似ていました。魏延は諸葛亮から、反骨の相として嫌われていたので、災いを招く土壌は存在していたのです。

張良と三國志の諸葛亮を詳しく解説していきます!

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朱子は張良と諸葛亮を性善説の孟子と共に高評価しています

三国志の諸葛亮は、朱子から前漢の三傑の張良と孟子クラスの偉人、と言われていました。

孟子は、人の本質は善である、という性善説を主張していたのです。

孟子が生きていた春秋戦国時代は、乱世だったため、考え方があまり支持されることはありませんでした。

諸葛亮も、主君劉備の理想のために、かなり難しい北伐を繰り返したので、理想主義な孟子に似ているかもしれません。

そして張良は、劉邦への貢献が大きかったにも関わらず、多くを求めませんでした。

後に、劉邦配下の多くの武将が粛清されているので、張良が恩賞の際に、孟子な人の良さを発揮したのは当たりだったのでしょう。

軍師諸葛亮と張良は、朱子から性善説孟子に匹敵する賢者、だと思われていました。

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諸葛亮は燕の楽毅に憧れていましたが太公望クラスという説も存在しています

三国志の諸葛亮は、自らを楽毅のような人物と述べていたのですが、周の文王の軍師太公望呂尚に似ている、と主張している人もいたのです。

楽毅は弱燕の昭王を補佐し、強大な斉を倒した大将軍と伝わっています。

そして太公望呂尚は、曹操も尊敬していた周の文王と釣りの最中に出会った、とされているのです。

また諸葛亮は、政治家として有名で大将軍としての実績は大きくないため、太公望呂尚に近い存在かもしれません。

ただ、楽毅が昭王の理想のために努力した姿と、諸葛亮が劉備の理想のために北伐を繰り返したことは、似ていると言えるでしょう。

弱燕を助けた楽毅は、諸葛亮が理想とする人物でしたが、太公望呂尚と孔明の能力が同じくらいという人物評もあります。

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前漢の三傑張良は黄石公から太公望の兵法書を獲得し劉邦の覇業を支えたのです


三国志の諸葛亮クラスの軍師張良は、黄石公な仙人に丁寧に対応したことで、太公望の兵法を獲得しました。

張良がある時、橋の辺りを歩いていると、不思議な仙人に出会ったのです。

仙人は、靴を投げ飛ばし、張良に取って来るように指示しました。

張良は、態度が悪いと感じながらも、拾って来ると、何日か後に会おうと仙人は述べたのです。

仙人は張良に、その後もいろいろな要求をしましたが、張良が上手くこなしたため、太公望の兵法書を授け、仙人の正体が黄石であることも判明しました。

諸葛亮と同じくらいの知力の張良は、黄石公の難題をこなすことで、太公望呂尚の兵法書をもらい、劉邦の皇帝就任に貢献したのです。

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諸葛亮から反骨の相として非難されていた魏延は張良と共に前漢の三傑だった韓信の策を使おうとしました

三国志の諸葛亮は、出師の表を劉禅に提出し北伐に出撃しましたが、魏延は長安攻撃を望んでいたのです。

長安には夏侯楙がおり、能力が低いため、魏延は急に攻めれば勝てると考えていました。

ですが諸葛亮は、長安を占領出来たとしても、統治するのは難しいと思っていたのです。

そして諸葛亮は、北伐の度に無難な作戦を行い続け、結局は魏を威圧するだけで終わりました。

魏延の長安攻めは、上手くいく可能性としては、あり得るので、チャレンジしておけば・・・

張良と共に前漢の三傑、と高評価されていた韓信のように、長安を攻撃しようとした魏延文長(ぎえんぶんちょう)は、諸葛亮から反骨の相で毛嫌いされていたこともあり、献策が取り上げられることはありませんでした。

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前漢の三傑には張良以外にも国士無双韓信がいました


三国志の諸葛亮クラスの軍師張良は、前漢の三傑とも言われており、韓信も三傑のひとりだったのです。

韓信は若い頃はニートな生活をしており、人からご飯を恵んでもらっていました。

しかし韓信は、将軍の才能を秘めていたので、劉邦の大将軍に就任した途端、連戦連勝し覇王項羽を追い詰めたのです。

ただ、平和になってしまうと韓信の大将軍の才能は、あまり活かされないため、韓信は乱世を望み謀反を起こしたと言われています。

ちなみに韓信は、大出世した後、かつてご飯を恵まれた恩に報いているのです。

国士無双で大将軍として活躍した韓信(かんしん)は、諸葛亮と並び評される賢者張良と共に前漢の三傑でしたが、タイミングを逸したため、あえない最期を迎えました。

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諸葛亮は劉備にとっての蕭何であり蕭何は張良と共に前漢の三傑だったのです

三国志の諸葛亮は、張良と並び称されていた蕭何以上の政治家、と言われています。

蕭何は劉邦の後方支援を行い、蕭何がいたからこそ劉邦は、連戦連敗しても覇王項羽と戦い続けられたのです。

そして蕭何は、韓信や劉邦の他の功臣たちが粛清される中、生き永らえました。

張良も上手く生き残っているので、偉人とは、長生き出来る人とも言い換えられるでしょう。

また諸葛亮は、主君劉備から三顧の礼で招かれた逸材ですので、劉邦が蕭何から受けた以上の評価を、主君からされていると述べられます。

蕭何は張良と共に前漢の三傑と称され、劉邦の皇帝就任のために後方支援に尽力し、諸葛亮は蕭何以上とも評価されることもあり、劉備は三顧の礼で諸葛亮を軍師としました。

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蕭何は同じ前漢の三傑の韓信を欺いて最後を与え諸葛亮も韓信な魏延に最期をもたらしたのです

三国志の諸葛亮は、魏延の反骨の相を危惧しており、後継者姜維と馬岱に魏延に最期を与えさせました。

魏延は諸葛亮の死後は、蜀漢の代表になれると考えていたのですが、諸葛亮は後継者には姜維がふさわしいと思っていたのです。

五丈原の戦いの最中諸葛亮が亡くなったので、蜀漢軍が姜維の指示で撤退し始めると、魏延は北伐を続けようとしました。

魏延は、味方の中に潜り込んでいた馬岱の思惑に気付かず、馬岱にあっさり斬られたのです。

そして韓信は、蕭何を信頼していたので、謀反の件で捕らえられることを見抜けず、いつの間にか最期となりました。

諸葛亮から反骨の相で批判されていた魏延は、韓信を真似ようとしましたが、欺かれて最後を迎える点も真似てしまったのです。

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まとめ:張良子房(ちょうりょうしぼう)と三国志の諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)は世界最強の軍師

三國志の諸葛亮と前漢の三傑のひとり張良が、どれくらい凄い軍師かを解説してきました。凄い策を思い付きたくなったら、張良か諸葛亮を知ると良いでしょう。

そして張良が、太公望の兵法書で、天下に号令をかけたことも説明してきました。太公望に匹敵するとされた諸葛亮は、張良以上なのでしょうか。

また、張良と同じく前漢の三傑だった韓信と、似たような末路を迎えた魏延も述べてきました。

魏延は、国士無双とされながらも残念な最後で終わった韓信ではなく、他の三傑の張良か蕭何を、見習うべきだったのかもしれません。

張良と諸葛亮は、世界最強と言うべき軍師なので、参謀になりたい人は、要チェックな二人でしょう。

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