伍子胥と三国志!漁師エピソード、孫武、臥薪嘗胆、端午の節句も解説

三国志の官渡の戦いで曹操は、張郃の降伏を、伍子胥よりも賢明であると語ったのです。

伍子胥は、楚の平王に逆らったため、大きな懸賞金をかけられ追われていました。しかし、伍子胥に味方する漁師もおり、九死に一生を得たのです。

そして、死者に鞭打ちすることで、伍子胥は父と兄の仇討ちを果たしました。ですが、どのような恨みがあっても、死者に鞭打ちを行うというのは、批判も出て来るのではないでしょうか。

また伍子胥が、呉王闔閭の子供の夫差に仕えた際の臥薪嘗胆エピソードも、説明していきます。父と兄の恨みを晴らした伍子胥は、臥薪嘗胆でも勝利したのでしょうか。

伍子胥と三國志を詳しく解説していきます!

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漁師は伍子胥に多額の懸賞金がかけられていることを知りながら助けたのです

伍子胥は、楚の平王を敵に回していたので、莫大な懸賞金で追われる身に陥っていました。

ですが長江の漁師は、伍子胥に長江を渡らせてあげただけでなく、追手からも守ってくれたのです。

なので伍子胥は、かなり高価な剣を、お礼として漁師に渡そうとしました。

漁師が頑なにお礼を断るので、理由を聞くと、伍子胥を捕えたら大金が得られるのに、剣が欲しいはずがないと述べたのです。

漁師も、兄と父を理不尽に処刑された伍子胥を不憫に感じており、仇討ちに成功して欲しい、と考えていたのではないでしょうか。

伍子胥の大きな懸賞金よりも、助けてくれることを優先した漁師に出会えたため、伍子胥は楚の平王の魔の手から逃れられました。

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楚の平王が伯嬴の美貌に惑わされ太子建を裏切ったことが伍子胥にも飛び火したのです

伍子胥は、楚の平王に太子建側の武将だと思われたので、父伍奢と兄伍尚と共に最後が来そうになりました。

楚の平王は、伍奢を捕縛することに成功したため、伍子胥たちも呼ぶように命じたのです。

しかし伍子胥は、むざむざと平王の元を訪れれば、伍奢と兄伍尚の死が無駄になると考え、亡命しました。

また、兄の伍尚に最後が来る前に、伍子胥は亡命に誘ったのですが、父の伍奢を見捨てるわけにはいかないと伍尚は述べ、結局平王から最期を送られたのです。

伍子胥は、兄伍尚(ごしょう)と父伍奢(ごしゃ)と共に、太子建の件で楚の平王から、最後を与えられそうになりましたが、後の復讐に望みを賭けました。

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孫武と呉王闔閭の助けを得て伍子胥は楚との柏挙の戦いに勝利し死者に鞭打ちしたのです

伍子胥は柏挙の戦いに勝ち、父伍奢と兄伍尚の仇である、楚の平王の死体に鞭打ちしました。

死者に伍子胥が何百回も鞭打ちしたため、伍子胥の友の申包胥は、やり過ぎであると批判したのです。

しかし伍子胥は、すでに自分は年齢をかなり重ねているので、やり方にまで拘れないと主張しました。

そして呉王闔閭と孫武と伍子胥は、楚を掌握しようとしましたが、不意に春秋の五覇勾践の父允常が襲って来たのです。

ここで允常が出て来なければ、呉が楚を併合し、後に秦国と雌雄を決していたかもしれません。

伍子胥は、呉王闔閭(こうりょ)と孫子兵法の孫武(そんぶ)を味方とし、楚に勝利し死者に鞭打つことで、兄伍尚と父伍奢の平王への無念を晴らしました。

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春秋の五覇闔閭に孫武を推薦した伍子胥と孫子兵法エピソード

伍子胥は、兵法に長けている孫武を闔閭におすすめしたため、闔閭は後に春秋の五覇と称されました。

闔閭は、孫子兵法を読んだ後、孫武に美人200人ほどで実践させたのです。

孫武が、孫子兵法通りしっかり説明し続けたのですが、美人たちはふざけるばかりで、きっちり行いませんでした。

ですので孫武は、兵法通り闔閭のお気に入りに最後を与えたところ、美女たちは孫武を畏怖し、練兵が完了したのです。

闔閭は、お気に入りの美女が斬られたので、意気消沈していましたが、孫武の才能は認め評価しました。

伍子胥は、春秋の五覇闔閭に、孫子の兵法だけでなく孫武将軍を推薦することで、楚への復讐の準備を行ったのです。

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呉王夫差と伍子胥は春秋の五覇勾践会稽の恥を与えましたが臥薪嘗胆に敗れたのです

伍子胥は、呉王闔閭が越王勾践との戦のダメージで最後を迎えたため、息子の呉王夫差を助け勾践を打ち負かしました。

呉王夫差は、父闔閭が越王勾践に敗れてから、臥薪し、国力をアップさせたのです。

そして越王勾践は、呉王夫差に負けた後に、嘗胆することで会稽の恥の恨みを忘れませんでした。

呉王夫差は、越王勾践が従順な味方になったと思い込んでいたため、中原に大軍で出撃したところ、勾践に背後を攻撃されたのです。

かつて呉王闔閭と伍子胥は、越王勾践の父允常の急襲で、楚攻略の妨害に遭ったため、再び越軍に不意を突かれたということでしょう。

伍子胥は、夫差王と共に呉を強大化させましたが、越王勾践(こうせん)の方が臥薪嘗胆しており、最終的には敗北しました。

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伍子胥が呉王夫差の忠臣でありながら悲惨な最後を迎えたので端午の節句が誕生したのです

伍子胥は、呉王への忠誠心の厚い名臣でしたが、夫差に理解されず、越王勾践に買収された伯嚭にも陥れられました。

伯嚭は、呉王闔閭と孫武と伍子胥と連携し、楚を壊滅させた人物です。

しかし越王勾践から腹黒さを見抜かれ、買収の欲に溺れ、伍子胥を讒言し続けました。

そして伯嚭は、伍子胥に最期を与えることに成功しましたが、越王勾践が呉に攻めて来た際に、悪人であるとして自らにも最後が来たのです。

伍子胥は、呉王夫差(ふさ)を覇者にしようとしていましたが失敗し、更には伯嚭(はくひ)が勾践に買収されたため、伍子胥には最後が訪れましたが、伯嚭も越王勾践から悪臣として見せしめにされました。

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三国志の曹操は官渡の戦いで袁紹から鞍替えして来た張郃を伍子胥よりも賢いと述べたのです

伍子胥は、呉王夫差に越王勾践の危険性を訴え続けましたが、理解されず自害を命じられました。

そして曹操は、張郃が袁紹に進言しても聞き入れられず、追い詰められて投降して来たため、伍子胥にならずに済んでよかったと語ったのです。

四世三公の名門袁紹は、張郃を失っただけでなく、官渡の戦いでも曹操に敗れました。

また張郃は、街亭の戦いで、諸葛亮の参謀の馬謖に実戦の過酷さを教えたのです。

三国志の張郃儁乂(ちょうこうしゅんがい)は超世の傑曹操孟徳(そうそうもうとく)から、伍子胥のように暗君に仕え続けなかったとして高評価され、張郃は街亭の戦いで諸葛亮の部下の馬謖にも勝利しました。

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まとめ:死者に鞭打つ悲傷な伍子胥(ごししょ)と三国志張郃と孫武関係と臥薪嘗胆エピソード

伍子胥が、兄と父が楚の平王に最期を送られながらも、最終的には死者に鞭打てたことを解説してきました。

伍子胥の父と兄も、あの世で喜んでいたのではないでしょうか。

そして孫武の孫子の兵法も、伍子胥の平王への報復に貢献したことも、説明してきました。孫子は、三国志の乱世の奸雄曹操も参考にしたほどの兵法なので、伍子胥もかなり助かったでしょう。

また三国志の張郃が、伍子胥のようにならなかったことも述べてきました。ただ伍子胥は、官渡の戦いで曹操の軍門に下った張郃よりも、忠臣だと言えるかもしれません。

伍子胥は、孫子の兵法の孫武と連携し、死者に鞭打ち、雪辱に成功した悲壮な武将だったのです。

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