越王勾践!剣、臥薪嘗胆、呉王夫差、范蠡、文種、春秋の五覇も解説

臥薪嘗胆の故事成語で有名な人物が、越王勾践です。

越王勾践の父も優秀な大王でした。呉王闔閭が他国を攻めている隙を突いて、覇業を成そうとしたのです。

そして、越王勾践も呉王闔閭と戦う羽目になりました。果たして、歴戦の大王である闔閭と、どのように戦ったのでしょうか。

越王勾践剣という名剣も存在しているのです。ですが、残念な事件が起きた剣でもあります。気になる人も要チェックです。

また、越王勾践にも有能な軍師の范蠡がいました。范蠡がいたからこそ、勾践は春秋の五覇の仲間入りが出来たのでしょう。

他にも、日本の歴史の臥薪嘗胆な話も書いています。鎌倉時代後期の後醍醐天皇たちの物語です。

越王勾践を詳しく解説していきます!

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允常の息子越王勾践

越王勾践の父允常は、呉王闔閭が楚に攻撃を仕掛けて気を取られている隙に、呉の本国を急襲しました。

闔閭(こうりょ)の弟夫概(ふがい)も野望を抱いて、越の允常(いんじょう)に呼応して反乱を起こしたのです。

闔閭も歴戦の猛者だったため、すぐに帰国し夫概らを撃破しました。

そして、楚も危機から救われたのです。どこかの一国を攻略したとしても他国があるので、中国統一はなかなか難しいことだったのでしょう。

ちなみに、夫概の子孫たちは、楚や百済で名前を変更し存続したと、言われています。

一回負けたから最期とかではなく、どこかで再起を狙えると考えると、失敗の際の希望も持てるでしょう。

呉王闔閭が楚を攻略している際に、越の允常と夫概が呉に攻め入りましたが、反転し防御したのです。

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春秋の五覇の頂上決戦!越王勾践と呉王闔閭

越王勾践と呉王闔閭はどちらも、春秋時代の実力者で、激しい戦を展開しました。

かつて越国が、闔閭が楚を攻撃している間に、呉の本国に攻めて来た仕返しをしたいと狙っていたのです。

そして闔閭は、允常が最後を迎え、子供の勾践に変更となる時期なら、攻め易いと考え仕掛けました。

勾践の軍師に范蠡がおり、罪人に呉軍の前で自殺させる作戦で、闔閭の呉軍の不意を突いて、越軍が勝利したのです。

闔閭は不意打ちの天罰を受けたのか、傷を負ってしまい、そのまま最後が訪れました。

ちなみに、春秋の五覇には、斉の桓公と楚の荘王と晋の文公もいます。

越王勾践は参謀范蠡(はんれい)の奇計で、春秋の五覇闔閭を打ち負かしました。

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春秋の五覇越王勾践の剣

越王勾践は、勾践剣と呼ばれる名剣を持っていたと言われています。

勾践剣は、1960年くらいに発見され、勾践剣を他国へ貸してあげたところ、入れ物にぶつけてしまい、亀裂が発生したのです。

全部が割れてしまわなかったので、セーフとも言えるでしょう。

そして、越王勾践剣はきれいなまま、何千年もの時を超えて来たのです。春秋の五覇越王勾践の魔力なのでしょうか。

また、多くの宝石で装飾されているので、王が持つにふさわしい見栄えも持っています。

越王勾践剣が、偽物や嘘といううわさもあるようです。いわゆるオーパーツな立ち位置なので、うわさもたくさんなのでしょう。

越王の勾践剣は、まさに春秋の五覇な出来栄えで、美しい鋭利を放っているのです。

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越王勾践と呉王夫差伍子胥の臥薪嘗胆対決

呉王は、父闔閭が越王勾践に敗れたため、復讐のために臥薪することで、英気を養いました。

越王勾践は、呉王が臥薪していることで警戒し、先手必勝の攻撃を仕掛けたのです。

呉王夫差は伍子胥(ごししょ)の補佐を受け、越王勾践を逆に負かしました。

そして越王勾践は、会稽の恥を忍んで、呉王夫差に降伏したのです。

呉王夫差の軍師伍子胥は、越王勾践の底力を警戒し、処刑するように進言しましたが、夫差は勾践を生かしました。

夫差王の心が広いとも取れますが、後の勾践の挽回を見ると、伍子胥が正しく夫差王が甘いと言えるでしょう。

呉王夫差は父の仇討ちのために、忍耐強く待ち、越王勾践に見事勝利したのです。

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范蠡は軍事と参謀で文種は内政により勾践の臥薪嘗胆を支えました

越王勾践には、范蠡と文種という二人の名臣がいたのです。

勾践は、呉王夫差に膝を屈し、富国強兵に励み、嘗胆し復讐のチャンスをうかがいました。

そして、呉王の部下伯嚭は貪欲で知られていたため、賄賂を握らせることで、呉王夫差と賢臣伍子胥をかき乱したのです。

とうとう呉王は伍子胥を煙たがり、最後を与えてしまいました。

さらに、呉王夫差は中原で他の国々に威勢を見せつけるために、大軍で出発したのです。

千載一遇の機会が到来したため、范蠡は越王勾践に戦の許可を出しました。

ちなみに、越王勾践と范蠡は、呉王夫差を堕落させるために、古代中国四大美女の西施を利用したと言われています。

一緒にいるべき異性は、美女かだけでなく、内面や才能で判断すべきなのでしょう。

越王勾践と范蠡は、呉王の家臣団が乱れ中原を目指すまで、雌伏したのです。

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臥薪嘗胆で勝利を得た越王勾践のその後

越王勾践は、呉王夫差を捕らえて生かそうとしたのですが、夫差は最後を選び、呉国も滅亡しました。

故事成語で、天が与えたものを受け取らなければ、むしろその罰を受けるというものがありますが、越国と呉国の関係に当てはまるでしょう。

呉王夫差が賢臣伍子胥の発言で、越王勾践たちを会稽で処分しておけば、呉国が無くなるという罰も、発生しなかったのではないでしょうか。

越王勾践は、呉の領土も統括するようになり、呉王夫差の代わりに中原で、覇を唱えました。

しかし、気が緩んだのか越王勾践は、功臣文種に最期を与えたり范蠡に去られたりしたのです。

越王勾践は、天から与えられたチャンスをつかみ、呉国と夫差王を滅ぼし、天下に号令をかけました。

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天勾践を空しゅうする莫れ時に范蠡無きにしも非ずの故事

鎌倉幕府の北条氏や武士たちから抑えこまれていた後醍醐天皇に、家臣が贈ったのが、天勾践を空しゅうするなかれ時に范蠡無きにしも非ずの言葉です。

臥薪嘗胆の故事成語で有名な越王勾践が、呉王夫差にやり込められたにも関わらず、名臣范蠡の助けで最後には打ち勝ったように、後醍醐天皇にも有能な部下によるチャンスが来ますと、述べたのです。

後に、後醍醐天皇の元には楠木正成や足利尊氏などの武将が集いました。

また、日清戦争に勝利した大日本帝国を警戒するロシアたちから三国干渉を受けた際も、臥薪嘗胆がスローガンだったのです。

後醍醐天皇が越王勾践のように忍耐を行っていると、范蠡な部下たちが集まり、鎌倉幕府や北条氏を打ち負かしていきました。

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まとめ:臥薪嘗胆(がしんしょうたん)な越王勾践(こうせん)


越王勾践と呉王夫差が、どのような臥薪嘗胆を行ったかを解説してきました。根気強い方が、結局勝利するのでしょう。

呉王夫差が伍子胥の忠言を活かせずに、越王勾践の再起を許したことも述べました。チャンスが何度もあるわけでは、ないのでしょう。

越王勾践剣という凄い剣も説明しました。勾践のような英雄王を目指している人は、素晴らしい武器から揃えてみるのも良いでしょう。

日本史にも、勾践や范蠡な人物がいることも記載しました。現代の日本にも、勾践たちのような忍耐強い偉人は、潜んでいるのでしょうか。

臥薪嘗胆な生き方と勝ち方を知る際に不可欠な人材が、越王勾践なのです。

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