五丈原の戦いと諸葛亮!司馬懿、武将、隕石星、星落秋風歌、雨も解説

三国志の天才軍師諸葛亮孔明の有終の美は、五丈原の戦いでしょう。

諸葛亮に五丈原の戦いで最期が来る前兆が、星に現れていました。隕石星を見逃さなかったのが、諸葛亮のライバルの司馬懿なのです。

そして諸葛亮は、自らの死期が近いことに気付き、司馬懿に女性向けの服を送り、決戦させようとしました。

司馬懿は、諸葛亮の意図を見抜きましたが、魏の武将たちは騒ぎ出したわけですが、結局どうなったのでしょうか。

また諸葛亮が、五丈原の戦い以後の、蜀漢の未来統治をしていたことも説明していきます。蜀漢はやはり、諸葛亮がいてこその国家だと分かるでしょう。

三國志の五丈原の戦いと諸葛亮を詳しく解説していきます!

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五丈原の戦いで星が流れ隕石が落下したため司馬懿は諸葛亮の命運が尽きたことを見抜いたのです

三国志の五丈原の戦いの最中、隕石が落ちて来たので、星占いに詳しい司馬懿は、諸葛亮が長くないことに気付きました。

諸葛亮は、祈祷を行い長生きしようとしましたが、反骨の相の魏延に邪魔され、ここでも孔明は天意を無くしたことが示されてしまったのです。

そして蜀漢軍が撤退を始めたので、司馬懿は、そろそろ諸葛亮は最期を迎えただろうと思い、進軍するとなんと、まだ孔明の姿がありました。

即座に司馬懿は、進軍を取り止めたのですが、実は諸葛亮は本当に亡くなっており、司馬懿は孔明の木像を本物と誤解したのです。

司馬懿が五丈原で戦っていると、星が輝き隕石が落下したので、司馬懿は諸葛亮が最後を迎えたと見通しましたが、再度諸葛亮の策に翻弄されました。

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諸葛亮の歌である星落秋風五丈原を作詞した土井晩翠


三国志の五丈原の戦いの諸葛亮に因んだ、星落秋風五丈原は、荒城の月で有名な土井晩翠が作詞したのです。

諸葛亮をあまり知らない人は、土井晩翠の星落秋風五丈原をチェックすると、孔明の凄さが伝わって来るでしょう。

そして土井晩翠は、荒城の月の際も、戦国時代で有名な義の上杉謙信のことをイメージしています。

また、諸葛亮も上杉謙信も正しい心を持ちながらも、無念な最期を迎えているのです。

ちなみに上杉謙信は手取川の戦いで、足利将軍家や武士の正義をないがしろにする織田軍に、見事勝利しましたが、すぐに最後が訪れました。

土井晩翠(どいばんすい)は、自らが作詞することで、上杉謙信と諸葛亮の生前の無念を、晴らそうとしたのかもしれません。

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諸葛亮は焦っており五丈原の戦いで司馬懿を挑発し誘い出そうとしました

三国志の五丈原の戦いで、司馬懿は諸葛亮の作戦を見抜き、防御を固めたので、孔明は仲達に女性向けの服をあげたのです。

諸葛亮は、仁義で尊敬される人物でしたが、寿命が近付いていることを悟っていたため、どうにかして司馬懿を討ちたいと考えていました。

司馬懿は、諸葛亮の挑発を聞き流していましたが、他の魏の武将たちは、孔明にかなり怒っていたのです。

司馬懿はこのままだと誰かが、蜀漢軍を攻めると考えたため、皇帝曹叡に仮の出陣を願い出ました。

すると、司馬懿の意を察した曹叡は、魏の武将たちに出陣禁止を強く命じたのです。

諸葛亮は五丈原の戦いで、司馬懿を女性向けの服で挑発しましたが、皇帝曹叡元仲(そうえいげんちゅう)と司馬懿は賢かったので、適切に対処されてしまいました。

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諸葛亮は五丈原の戦いで最後の策を魅せたため死せる孔明生ける仲達を走らすの故事が誕生したのです

三国志の五丈原の戦いで、諸葛亮は自らの死すら策に利用する事で、司馬懿を圧倒しました。

諸葛亮に最後が来た後の策に、司馬懿は翻弄されたので、死者はさすがに分からない、と仲達は周りに語ったのです。

そして兵法三十六計に、昔の権威やパワーを利用する借屍還魂があります。

諸葛亮は自らが亡くなった後も、知略に長けていたので、ただの孔明の木像ですら司馬懿を驚かせることが出来ました。

五丈原の戦いは、死者であるはずの諸葛亮に再度魂が宿った、借屍還魂の事例と言えるでしょう。

司馬懿は、諸葛亮の借屍還魂(しゃくしかんこん)の兵法にハマり、五丈原の戦いで蜀漢軍を撃破するチャンスを失いました。

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五丈原の戦いで諸葛亮が死去すると魏延が暴走する危険性があるので孔明は姜維に策を授けていたのです


三国志の五丈原の戦いで諸葛亮は、自分が亡くなると、魏延が自己主張を大きくしていくと見抜いていたので、後継者の姜維に対処法を教えていました。

そして魏延は、楊儀とも敵対していたため、魏延は武勇がありながらも、蜀漢内で孤立していたのです。

魏延は、馬岱が味方のふりをしていたことを見抜けず、威張っていたところを馬岱に斬られました。

また、司馬懿が魏延の孤立を利用して、魏に鞍替えさせなかったのは、蜀漢内で潰し合いをさせるためだったのかもしれません。

ちなみに、楊儀も自己主張を批判的に述べる人物、だったので、後にあえない最期となったのです。

諸葛亮は魏延が、五丈原の戦い後に企みを実行すると見なしていたので、姜維伯約(きょういはくやく)を活用し、魏延文長(ぎえんぶんちょう)の野望を潰しました。

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五丈原の戦い以前の北伐で司馬懿を雨で討てなかった諸葛亮

三国志の五丈原の戦い前夜の北伐で、諸葛亮は司馬懿を追い詰め、魏の勇将張郃に最後を与えましたが、長引く雨により退却しました。

かつて諸葛亮は、赤壁の戦いで魏の曹操の大軍を火攻めで破るために、東南の風を呼び寄せたと言われています。

長雨が続くということは、すでに孔明は天意を失っているとも言えるでしょう。

そして張郃は、蜀漢の馬謖を街亭の戦いで破った、武将なのです。

北伐で張郃を討てたということは、馬謖の雪辱に成功した、とも述べられるでしょう。

諸葛亮は五丈原の戦い直前の北伐で、雨で天意を悟りましたが、張郃儁乂(ちょうこうしゅんがい)を斬ることで、馬謖の仇討ちを果たしました。

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呉の孫権は諸葛亮の五丈原の戦いと連携し合肥新城の戦いを行ったのです


三国志の諸葛亮の五丈原の戦いに、司馬懿が釘付けになっていたので、孫権は魏を攻略出来ると考えました。

しかし、合肥新城は魏の皇帝曹叡も要害である、と述べるほどの拠点だったのです。

孫権は大軍で合肥新城を攻めましたが、結局攻めあぐね、五丈原の戦いで諸葛亮軍が退却したため、孫権の思惑も頓挫しました。

そして諸葛亮が、五丈原の戦い最後を迎えたことは、孫権や呉にとっても、魏を倒すラストチャンスを失ったことを意味するのではないでしょうか。

孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)は合肥新城の戦いを行うことで、曹叡の魏に勝つことを目指しましたが、五丈原の戦いで諸葛亮に最期が訪れたので、終了しました。

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まとめ:三国志五丈原の戦いの諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)と司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)と隕石星

三國志の五丈原の戦いの、諸葛亮と司馬懿の策略の応酬を、わかりやすく解説してきました。

司馬懿が、諸葛亮の死期を見抜いたり挑発に乗らなかったりしていますが、諸葛亮の木像に騙されてもいるので、勝敗は五分五分と言えるでしょう。

そして、諸葛亮と司馬懿の五丈原の戦いが、故事になっていることも説明してきました。諸葛亮や司馬懿クラスになると、バトルしただけで、故事を作り出してしまうのでしょう。

また、諸葛亮の五丈原の戦い以前の雨と、孫権の合肥新城の戦いも語りました。五丈原の戦いがある意味、三国志の蜀漢と呉の最後の挽回のチャンス、だったと述べられるのではないでしょうか。

天才軍師として名高い諸葛亮が最後を迎えたのが、五丈原の戦いなので、今回も三国志を知りたい人に必須の内容でしょう。

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