関羽と周倉!廟、エピソード評価、荊州、割臂図フィギュア、像も解説

三国志の武神関羽の腹心の部下に、周倉がいます。

周倉は、かなりのスピードを誇っており、関羽の赤兎馬クラスだったのです。このスピードなら何があっても、逃げられるのでしょうか。

そして周倉は、呉の魯粛が関羽に荊州を返すように求めた際にも、活躍したのです。関羽と周倉なら、荊州も簡単に守れたのでしょうか。

また、関羽と周倉は魏軍との一大決戦の樊城の戦いでも、大勝利しました。ただ、関羽は大損害も受けてしまい、それが絵画となったのです。

他にも、現代にも続いている関羽の人気の表れである、関羽像とフィギュアも説明していきます。あなたもフィギュア欲しいですか?

三國志の関羽と周倉を詳しく解説していきます!

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周倉は足の裏の三本の毛により関羽の赤兎馬と同じくらいの速さでした

三国志の周倉は、関羽の赤兎馬に追い付くために、自分の足で走っていたのです。

  • 関羽の赤兎馬と趙雲の名馬を盗もうとした黄巾の乱の残党裴元昭と共にいた山賊周倉
  • 荊州を呉の魯粛から守ろうとした蜀漢の関羽と周倉

そもそも関羽の赤兎馬が速過ぎたので、周倉は赤兎馬と同程度の速さの名馬をもらいました。

ですが、赤兎馬ほどの速さではなかったため、関羽にかなり遅れたので、周倉は普通に歩いてみたところ、関羽に追い付けたのです。

そして呉の呂蒙が荊州の関羽を確保しようとした際に、関羽の赤兎馬と周倉は凄い速さで退却しました。

呂蒙は、周倉のスピードの要因が足の裏の毛であることを突き止め、抜いたことで、関羽と共に終わりが来たのです。

関羽の赤兎馬は超スピードで動き、周倉も凄い速さでしたが、呂蒙に足の裏の毛を取られることで、最後を迎えました。

⇒三国志呂蒙!勉強能力、名言故事成語、魯粛、関羽、死因、陸遜も解説

関羽の赤兎馬と趙雲の名馬を盗もうとした黄巾の乱の残党裴元昭と共にいた山賊周倉

三国志の周倉は、生きるために山賊を行い、仲間の裴元昭は関羽の赤兎馬を確保しようとしたのです。

周倉は後に関羽に仕えているように、山賊にも関羽の偉大さは伝わっていました。

ですので、裴元昭は赤兎馬を盗む前に気付き、周倉と共に逆に、関羽の部下になることを希望したのです。

ただ、関羽も外面があり、山賊をしていた者をすぐに部下にすることは認めず、周倉のみを連れて行きました。

そして残された裴元昭は、泥棒癖が抜けず趙雲の馬を狙ってしまい、最期となったのです。

ちなみに、黄巾の乱の指導者張角は、南華老仙からの忠告を無視して悪に加担し、終わりが来ました。

周倉と裴元昭(はいげんしょう)は、山賊でしたが、周倉は関羽に認められたのです。

⇒南華老仙!太平要術清領書、荘子、于吉、張角弟、黄巾の乱鎮圧も解説

荊州を呉の魯粛から守ろうとした蜀漢の関羽と周倉

三国志の関羽は、荊州返還を求める呉の魯粛と会見しましたが、こじれそうだったので、周倉と共に退却しました。

かつて赤壁の戦いで孫権と劉備が合同で、超世の傑曹操を追い返したのですが、孫権軍の力によるところが大きかったのです。

孫権は曹操に対抗するためにも、劉備を味方にしておく必要があったため、荊州を関羽達に貸しました。

関羽達は益州にも勢力を拡大したので、呉の魯粛が荊州を返して欲しいと述べたのです。

周倉は魯粛との会談の際に、天下の領土は徳で持ち主が定まると発言し、魯粛と関羽の会見を終わらせました。

関羽は、呉や魯粛と話しても返還を求められるだけなので、対応するフリをして切り上げる予定だったのでしょう。

関羽は周倉と一緒に魯粛と会い、話し合いが無駄と判断し、帰国したのです。

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樊城の戦いで于禁を捕えた関羽と龐徳を確保した周倉

三国志の関羽と周倉は、樊城の戦いで水を利用して于禁軍を撃破し、猛将龐徳にも勝ちました。

関羽は龐徳との一騎打ちで、弓矢の大ダメージを受けていたのです。

ですが、于禁と龐徳は仲が悪く、龐徳は関羽を攻めきれませんでした。

そして関羽は、水を活用する事を思い付き、于禁と龐徳を捕えたのです。

于禁は曹操軍に歴戦の勇将であるながら命惜しさに降伏し、龐徳は最近曹操に仕えたにも関わらず最後まで抵抗しました。

于禁は確かに生き残ったのですが、後に帰国した際に、恥ずかしさで憤死してしまったのです。

周倉と関羽は樊城の戦いで、難敵龐徳令明(ほうとくれいめい)と于禁文則(うきんぶんそく)を水攻めで倒しました。

⇒三国志うきん!于禁憤死、青州兵、関羽死因、曹操絵、豊臣秀吉も解説

冨嶽三十六景の葛飾北斎の娘応為の関羽割臂図のエピソード

三国志の関羽は、樊城の戦いで龐徳から毒矢攻撃され、名医華佗の手術を受けた様子が関羽割臂図で描かれました。

関羽は軍師馬良と囲碁を行いながら、華佗の対応を受けたと言われています。

関羽を凄さを演出したのか、それとも手術の痛みを紛らわすための囲碁だったのか・・・

そして関羽の手術風景は、歌川国芳も浮世絵に残しています。

江戸時代の日本においても、関羽の凄さは知れ渡っていたのでしょう。

ちなみに、馬良は街亭の戦いの馬謖の兄であり、眉が白かったので白眉と呼ばれる秀才でした。

葛飾応為の関羽割臂図は、痛い手術中でも堂々としているため、関羽がどのような性格かがにじみ出ているのです。

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関帝廟に祀られた関羽周倉とそろばんと孔子廟

三国志の周倉は、山賊出身でありながら、最終的には関羽と共に関帝廟にいるのです。

周倉と関羽以外にも関帝廟には、関羽の息子の関平も存在しています。

そして呂蒙の荊州攻めの際に、関羽と周倉と関平は3人共、最後となりました。

また、関羽と周倉たちは武勇で勇名ですが、孔子は知力で知られています。

関帝廟は武廟で、孔子廟が文廟と言われているのです。

孔子は論語で勇名で聖人として高評価であり、食べ物にもこだわっていたと言われています。

ちなみに、関羽はそろばんの発案者と伝わっており、ビジネスの神とされることもあるのです。

関羽と周倉と関平は、関帝廟に祀られており、武廟と呼ばれてもいます。

⇒馬謖登山の理由!斬る意味、なぜ、長安、最期死因、北伐、舜禹も解説

荊州の関羽像と青龍偃月刀付きの大人気フィギュア

三国志の関羽は、荊州でかなり大きな関羽像が、建築されるほどの人気を誇っているのです。

関羽の偉大さを示すためか、超大きかったのですが、巨大さが法律違反となってしまいました。

関羽でも、現代の法律には勝てないのかもしれません・・・

そして関羽は、フィギュアも売られているので、家に一個は配置しておくと、武神の加護があるのではないでしょうか。

関羽フィギュアは、木製やきれいな色のものも多いので、プレゼントにも最適でしょう。

また、関羽は普段から青龍偃月刀を利用していました。関羽が戦や一騎打ちで強いのは、青龍偃月刀があったからこそでしょう。

関羽は、荊州に関羽像が誕生するほどの武将で、フィギュアも大評判なのです。

⇒関羽と呂布!強さ、赤兎馬、虎牢関の戦い一騎打ち、活躍、魅力も解説

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まとめ:三国志の関帝廟の関羽雲長(かんううんちょう)と周倉(しゅうそう)のエピソードと評価

三國志の関羽と周倉が、名コンビだったことを解説してきました。関羽の仲間が、劉備と張飛だけだったと考えている人は、要チェックでしょう。

周倉の速さの秘密が、足の裏にあったことも説明してきました。他の人も足の裏に毛を設置すれば、凄いスピードになれるのでしょうか。

そして関羽が樊城の戦いで、龐徳から毒矢攻撃を受け、手術されている様子が、絵画となっていることも書きました。

関羽クラスになると、ただの手術も凄いエピソードに変化するのでしょう。

また、関羽と周倉の関帝廟が、孔子廟と同じくらい評価されていることも記載しました。孔子は聖人と呼ばれていたので、関羽は武の聖人かもしれません。

関羽は、周倉がいたからこそ、関帝廟に祀られるほどの大活躍を残せたのでしょう。

⇒張飛死因!最後エピソード、死亡逸話、最期どんな人?劉備関羽も解説

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