夫差!呉王闔閭、臥薪嘗胆、越王勾践、西施故事、伍子胥剣自決も解説

呉王夫差は、故事成語の呉越同舟な越王勾践と、臥薪嘗胆を演じたのです。

会稽の恥を受けても、諦めず再起を図った越王勾践に、呉王夫差は敗れました。呉王夫差も、無駄な女色を控えていれば、充分張り合えたのではないでしょうか。

そして闔閭のために、呉王夫差は越王勾践に勝ち、敵討ちに成功したのです。父親の仇討ちを成し遂げた夫差は、大業を達成し、退廃してしまったのでしょう。

また越王勾践は、中国古代四大美女の西施を利用し、呉王夫差を篭絡したのです。敵国から美人をもらう際は、夫差王の故事を思い出すべきでしょう。

ちなみに、夫差の読み方は、ふさです。

夫差を詳しく解説していきます!

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越王勾践が会稽の恥を臥薪嘗胆したため呉王夫差は自決する羽目に陥りました

呉王夫差は、一時は越王勾践を従属させましたが、勾践が忍耐強く勝機を待ったため、結局は敗北したのです。

そして夫差王は、かつて勾践に勝ちながらも、許してあげているので、今度は自分も許容してもらおうとしました。

范蠡が反対したにも関わらず、勾践王は、島流しで生かしてあげようとしましたが、呉王夫差は自刃したのです。

もしも夫差が、島で再び忍従の時を過ごしていたら、息子が勾践に勝つドラマもあったのでしょうか。

ちなみに、越王勾践は好敵手がいなくなり気力が減退したのか、後には功労者文種に最期を送る悪行も働いています。

呉王夫差は、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)な越王勾践(こうせん)から仕返しされ、島流しで許されそうになりましたが、結局自決な最後を選びました。

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伍子胥は呉王夫差に強諫が聞き入れられなかったので斉に子供を預けたところ裏切りを責められ属鏤の剣で自決させられました

呉王夫差は、伍子胥が斉攻略を批判していながら、斉に子供を送り保身を図ったため、最後を与えたのです。

また伯嚭という悪臣が、呉王夫差にはおり、伍子胥と対立していたので、伍子胥は内憂外患に陥っていました。

そして伍子胥が予測した通り、中原に進出した呉王夫差は、初めこそ勢いがありましたが、次第に消耗していき、越王勾践の決起も重なり滅亡していったのです。

中原に無理に進出せずに、呉が国力を溜めていれば、中原の諸国が自然と、呉王夫差の元に集ったのではないでしょうか。

呉王夫差は、普段から伍子胥(ごししょ)の諫言に辟易していたので、斉での背反行為を利用して自決させましたが、伍子胥の方が慧眼だったため、越王勾践に最後をもたらされました。

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父親の春秋の五覇闔閭のために臥薪嘗胆し越王勾践に会稽の恥を与えた呉王夫差

呉王夫差は、父の闔閭が、越王勾践から致命傷をもたらされ最後を送られたので、臥薪し機会を待ったのです。

また闔閭が死に際に、勾践への恨みを覚えておけ、と述べていたため、呉王夫差は家臣に何度も闔閭の遺言を言わせ続け、忘れないようにしました。

そして越王勾践は、夫差王が臥薪し、力を蓄えていることを警戒し急襲したのですが、返り討ちに遭ったのです。

後には夫差の方が敗戦するため、チャンスが与えられたらしっかり受け取らなければ、天から罰を受けてしまうのでしょう。

呉王夫差は、臥薪嘗胆の精神で国を豊かにし、父親の春秋の五覇闔閭(こうりょ)の仇討ちに成功し、越王勾践に会稽の恥を味わわせました。

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呉王夫差は父親の闔閭の覇業に貢献した伍子胥を味方とすることで後継者争いを制したのです

呉王夫差は、春秋の五覇の闔閭からは、冷酷で知略不足とされていたので、伍子胥を抱き込み即位しました。

伍子胥は、夫差を本気で支えるために、呉王になれたお礼を辞退してもいたのです。

しかし、伍子胥の甘い見通しは、呉王夫差の増長を招き、闔閭が見抜いていた通り、呉を壊滅させました。

そして、夫差が中原に侵攻出来たのは、夫差の努力だけでなく、父親の闔閭や先祖の呉への貢献があったからでしょう。

ですので、闔閭や祖先への恩返しを大事にし、中原進出という私利私欲を控えるのが、夫差にとってのベストだったのではないでしょうか。

呉王夫差は、伍子胥の強力な援護で、春秋の五覇闔閭の後継者となれたにも関わらず、伍子胥への恩と決意を忘れ、呉を滅亡させてしまったのです。

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晋と呉王夫差が勝負し疲弊したため臥薪嘗胆していた越王勾践は侵攻し会稽の恥を雪ぎました

呉王夫差は、越王勾践が従順に仕えていたので、すっかり油断してしまい、覇者となることに執着し、大損害を被ったのです。

結局越王勾践は、美女西施や伯嚭を上手く利用し、呉王夫差への報復の機会を長年待っていたに過ぎませんでした。

そして呉王夫差は、夢見ていた中原の覇者にも、晋の趙鞅の妨害があり、なれたとは言い難かったのです。

ちなみに趙鞅は、儒教の孔子と外見が似ていた陽虎が、魯で大問題を起こしていたにも関わらず、部下に迎え、陽虎の強固な信頼を獲得しました。

呉王夫差は、中原で覇者に就任することに固執し、越王勾践の会稽の恥の恨みが大きかったことを忘れ、晋の趙鞅(ちょうおう)の邪魔立てにも遭ったのです。

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孔子の弟子の孔門十哲の子貢は魯を守るために斉と呉王夫差を操ったのです

呉王夫差は、腹心の伍子胥から、越王勾践の危険性を再三聞かされていましたが、子貢の巧みな弁舌に乗せられました。

子貢は、斉が魯を攻めたため、呉王夫差に越王勾践の弊害よりも、斉の方が危ないと思わせたのです。

そして、呉王夫差が安心して斉を攻撃出来るように、子貢は越王勾践からも、軍勢を出させることを主張しました。

ちなみに、孔門十哲の子貢は、聖人孔子を壮大な天の高さに例えることで、皆に孔子の凄さを伝えていたのです。

呉王夫差は、儒教の孔子(こうし)の弟子子貢(しこう)の話術で、忠臣伍子胥が語る越王勾践の災いよりも斉との決戦を選び、覇者であることを一時的に天下に示しました。

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中国古代四大美女の西施に越王勾践は兵法三十六計の美人計を行わせ呉王夫差を堕落させたのです

呉王夫差は、越王勾践に会稽の恥をもたらしたので、美女の西施を獲得出来ましたが、美人計の罠にも掛かりました。

また越王勾践が、夫差王に提供した美女には、鄭旦もいたので、夫差はいつの間にか、越が敵であることを忘れていったのでしょう。

そして西施は、呉王夫差を誘惑するほどの魔女だったため、越王たちからも恐がられ、残念な最後が来ました。

また中国古代四大美女には、三国志の連環の計の貂蝉もおり、美人に翻弄される武将が再び垣間見えるのです。

呉王夫差は、臥薪嘗胆の末に越王勾践に勝利し、油断したので、美女の鄭旦(ていたん)と西施(せいし)の虜となり、美人な西施と共に無念な最期が訪れました。

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まとめ:呉王夫差(ふさ)と闔閭西施と越王勾践伍子胥と故事の臥薪嘗胆会稽の恥

夫差が、どのような経緯で闔閭を継ぎ、呉王として越王勾践と相対したかを解説してきました。闔閭がもっと慎重に後継者を判断していれば、呉の滅亡を避けられたかもしれません。

そして伍子胥が、夫差のための必死の努力が逆に仇となり、自決したことも説明してきました。賢臣が、必ずしも名君に出会えるとは、限らないのでしょう。

また、論語の孔子の弟子の子貢が、巧妙な弁舌で、呉王夫差を斉討伐に向かわせたことも述べてきました。

夫差が、子貢を呉に仕えさせていれば、斉だけでなく晋にも勝てたのではないでしょうか。

ちなみに、呉王夫差矛は、何百年以上経つにも関わらず朽ちておらず、越王勾践剣と共に、不思議な名剣とされているのです。

夫差は、越王勾践との臥薪嘗胆合戦に敗れましたが、名臣伍子胥と美女西施も得られたので、呉王な人生を謳歌したと言えるでしょう。

⇒越王勾践!剣、臥薪嘗胆、呉王夫差、范蠡、文種、春秋の五覇も解説

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