三国志の諸葛亮孔明は、賢者として知られていますが、その才能を遺憾なく発揮したのが、南蛮遠征なのです。
そして、南蛮あたりに勢力を有していたのが孟獲と言われています。
諸葛亮はどのようにして、南方の人々や孟獲を手懐けていったのでしょうか。
諸葛亮孔明の参謀には馬謖がいましたが、馬謖は心を上手く活用する事で、南蛮地域を手中に収めようとしたのです。馬謖は有能な参謀と言えますが、他の策略はどうだったのでしょうか・・・
また、孟獲はベトナムあたりでは、英雄として語り継がれているのです。三國志の人物も語る人が変わると解釈や意味が異なって来るのでしょう。
他にも、孟獲の妻や娘も解説しています。南蛮の大王の家族は、どのような人たちなのでしょうか。何かの神とつながりがあるかも・・・
三國志の孟獲の活躍を説明していきます!
目次
三国志の勇敢な異民族南蛮の大王孟獲!
南蛮あたりを統治していた大王が、三国志の孟獲なのです。
蜀漢の南方付近も、劉備玄徳が存命中は、一応蜀漢の統治下にありました。
ですが、劉備が亡くなると支配力が弱体化し、雍闓(ようがい)が蜀漢に襲い掛かって来たのです。
そして、雍闓に呼応して戦争を拡大させたのが、南蛮王とされている孟獲と言われています。
ちなみに、雍闓は前漢時代の雍歯(ようし)の子孫とされているのです。
雍歯は、劉邦と仇な間柄でしたが、劉邦に貢献している面もあったため、結局は爵位を与えられました。
劉備は劉邦の末裔とされているため、劉邦への恩義が無くなって、雍歯の子孫の雍闓が蜂起したのでしょうか。
三国志の南蛮王孟獲は、雍闓と連携して蜀漢と戦いました。
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ベトナム付近で英雄とされたその後の孟獲
三国志では、諸葛亮孔明の知略に帰服したとされている孟獲が、ベトナムあたりでは、英雄となっているようです。
やはり、ベトナムと中国では文化圏が異なるので、諸葛亮が攻めて来て、孟獲の指導で何とかなったため英雄という流れとされています。
そして昔からベトナムは、中国の勢力圏に入るかどうかで議論のある国なのです。
孟獲が中国からの軍隊と果敢に何度も戦った姿を賛美することで、ベトナムの独立精神を鼓舞したいのでしょう。
また、三国志の時代のベトナムあたりは士燮(ししょう)が統治していたとされています。
士燮は、温厚な性格で統治し、呉の孫権とも良好な関係を築くことに成功しました。
ベトナムあたりで英雄とされることもあるのが、三国志の孟獲なのです。
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兵法三十六計の奥義!七縦七擒(しちしょうしちきん)驚くべき策士諸葛亮孔明
三国志の孟獲は、有名な兵法にもなっている七縦七擒で、諸葛亮孔明に心服したとされています。
諸葛亮孔明の参謀の馬謖は、南蛮の人々を心服させるために、心を攻める事を提案しました。
七縦七擒とは、七回捉えて七回逃がすことで、敵意を削ぎ落し、味方にしていくやり方です。
七回も負ければどのような人物も、もう無理と自覚するのでしょう。
そして、諸葛亮孔明が本当に七回も孟獲を捉えたとするなら、かなり南蛮地域を知っていたのか、南蛮地域の文化が劣っていたかのどちらかでしょう。
魏の司馬懿仲達は、遼東の公孫氏を処罰する際に大殺戮を行いました。諸葛亮の南方攻めとは、対照的でしょう。
ちなみに、南方地域には、孟獲の方が諸葛亮を七回捉えたという話もあるみたいです。
孟獲は、諸葛亮孔明の七縦七擒の兵法で、上手く帰服させられたと言えます。
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三国志孟獲の妻祝融夫人は火の神の末裔!?
三国志の孟獲の妻祝融夫人は、諸葛亮孔明と戦い、善戦しましたが、結局は捉えられました。
実は、祝融夫人は善戦した際に、蜀漢軍の武将を何人か捕縛することに成功したのです。
火の神の末裔なので、火神の加護があったのでしょうか。
ただ、結局は、孟獲と共に諸葛亮孔明の配下となったのです。
そして、祝融夫人は、ねぶた祭りで登場する事もあります。ねぶた祭りが見られる地域の人は、次の祭りに注目してみてください。
また、祝融夫人は投げる短刀の達人ともされています。なので、ゲームなどでは武勇が高く設定されているのでしょう。
孟獲の妻で、火神の子孫とされている祝融夫人は、武勇に秀でており、諸葛亮孔明と上手く戦いました。
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孟獲の娘は花鬘
三国志の孟獲の娘の花鬘は、関羽の息子の関索と恋愛関係にあったとされています。
花鬘は、中国の舞台芸術の京劇の主人公となっている時もあるのです。
そして、関索は孟獲の援軍として現れた猛獣軍団の木鹿大王(ぼくろくだいおう)を打ち取ったと言われています。
木鹿大王は、象兵も操っていましたが、諸葛亮の猛獣兵器で圧倒されてしまったのです。
また、木鹿大王は奇怪な術を用いたとされていますが、諸葛亮孔明も赤壁の戦いで風を操ったと言われているので、孔明には通じなかったのかもしれません。
ちなみに、元々孟獲と木鹿大王は、お互いに戦う間柄だったわけですが、諸葛亮という脅威の前に共闘することになりました。
孟獲の娘の花鬘は、三国志の関羽の子供の一人の関索と恋仲だったと述べられているのです。
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三国志南蛮王孟獲(もうかく)の他の話
三国志の孟獲で、他にも把握しておくべき話もしていきます。
孟獲の有名な配下として三洞元帥の存在があるのです。3人いるのですが、諸葛亮孔明があまりにも凄過ぎていつの間にか退場してしまいました。
そして、孟獲の強力な味方として、兀突骨(ごつとつこつ)と朶思大王(だしだいおう)もいたと言われています。
兀突骨は、鉄壁と述べられる藤甲軍を率いていたので、さしもの諸葛亮もこれまでかと思われましたが、弱点の火を利用することで、蜀漢軍が勝利しました。
朶思大王は、南蛮の軍師とも言うべき存在です。毒の泉を活用することで、諸葛亮軍に対抗しました。
諸葛亮軍はかなり苦しめられたのですが、孟獲の親族が毒の対処法を教えたことで、セーフになったとされているのです。
他にも、三国志南蛮王孟獲の話で、知っておくべき内容を紹介していきます!
⇒しょかつりょう!天才諸葛亮孔明とは?名言、劉備、龐統、魏延も解説
孟獲配下の有力人物三洞元帥
三国志の孟獲の配下には、三洞元帥と呼ばれた金環三結(きんかんさんけつ)・阿会喃(あかいなん)・董荼那(とうとな)がいたとされています。
阿会喃と董荼那は、蜀漢軍に攻め込みますが、簡単に捉われてしまったのです。
諸葛亮孔明は、南蛮地域の心を攻めるために、阿会喃と董荼那を釈放しました。
ですが、孟獲は、諸葛亮と戦わなければならないので、阿会喃と董荼那を再度出撃させたのです。
しかし、蜀漢軍から董荼那が、釈放の恩を責められたため退却し、阿会喃と董荼那は、共謀して孟獲を捉え諸葛亮に差し出しました。
これで終わりだと思ったら、なんと諸葛亮が孟獲を釈放したので、その後に、阿会喃と董荼那は、孟獲に処刑されてしまったのです。
孟獲の配下には、3人の人物がいましたが、諸葛亮の作戦の前に敗れ去ってしまいました。
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まとめ:三国志の勇敢な異民族の大王孟獲(もうかく)!
三国志の孟獲は、諸葛亮孔明の蜀漢軍と必死に戦った事を解説してきました。
本気でもっと頑張ったら、諸葛亮を圧倒することもあり得たのでしょうか。
孟獲の妻の活躍で、蜀漢軍の武将が捉えられる事態が起きてしまったことも記載しました。最初から全員で出撃していたら、蜀漢軍を撃破出来たのかもしれません。
孟獲の娘の存在も書きました。あるジャンルでは、結構有名な女性だったのです。
そして、孟獲の配下で知っておくべき人々も示しました。特徴的な名前なので、覚えやすいでしょう。
違う考えの人と関わる際は、実力を見せて度量を示すことが、重要なのかもしれません。
孟獲は、三国志の中でも異質な存在と言えますので、普段の三國志の話とは異なる気分で読めるでしょう!