三国志の悪来典韋と許褚は、樊噲クラスの勇者と高評価されていました。
樊噲は、主君劉邦を救うために鴻門之会に、無理に参加したのです。しかし頭髪上指す姿だったため、覇王項羽も無視出来ませんでした。
そして、鴻門之会で項羽から大きい生肉を与えられた樊噲は、一気に食べたのです。項羽は、武人に高評価な将軍なので、樊噲の食べ方を気に入りました。
また樊噲は、秦の滅亡の原因である趙高が、劉邦の周りに出現しないように注意したのです。趙高がいなければ、始皇帝の秦は、もっと長続きした可能性が高いでしょう。
ちなみに、樊噲の読み方は、はんかいです。
樊噲と三國志を詳しく解説していきます!
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目次
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劉邦のために頭髪上指す形相で鴻門之会に乱入した樊噲
劉邦は、覇王項羽よりも先に秦の本拠地に突入し、項羽の功績を横取りしようとしたので、軍師范増から問責されたのです。
劉邦の腹心の樊噲は、劉邦が范増から最後を与えられる危険性を察知し、鴻門の会に突撃しました。
そして項羽の軍師范増は、項荘に剣舞を命じ、流れで劉邦を斬ろうとしていたのです。
樊噲は、髪が逆立ち項羽の部下すら恐れる気迫で、剣舞を強制終了させました。
また劉邦は、項羽よりも弱い立場なため、項羽に問題があっても批判するのが難しいのです。
ですので樊噲のように、無言で項羽の態度を変えられるような人材は、貴重だったとも言えるでしょう。
鴻門之会で、頭髪上指す迫力により、劉邦が西楚の覇王項羽(こうう)の軍師范増(はんぞう)から、最後を送られるのを防いだのです。
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三国志で鳳雛龐統は魏延に鴻門之会の再現をさせました
樊噲が劉邦を助けた鴻門之会のように、三国志の龐統は魏延に剣舞させ、益州の君主劉璋に最期を与えようとしたのです。
劉備は、仁義と後漢朝廷再興のために、益州獲得を計画していました。
そして劉備は、益州の劉璋を五斗米道の張魯から守る名目で、入蜀したのです。
また劉備の軍師龐統は、諸葛亮よりも奇策を好み、項羽の軍師范増のように、会合の際に魏延に劉璋を斬らせようとしました。
ちなみに、鳳雛龐統は、落鳳坡で最後を迎えたと伝わっているのです。
三国志の魏延文長(ぎえんぶんちょう)は、軍師鳳雛龐統士元(ほうとうしげん)に指示され、樊噲が活躍した鴻門之会のように、劉璋に最後を与え益州を獲得しようとしました。
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西楚の覇王項羽から鴻門之会で巨大な生肉と大盃のお酒をもらい食した樊噲の豪快な性格
樊噲は、鴻門之会に訪れた際に、項羽から注目され、大盃のお酒と巨大な生肉を提供されました。
覇王項羽は、樊噲の食べっぷりを気に入り、壮子であると述べたのです。
そして樊噲は、項羽から好印象の内に、主君劉邦が秦を滅亡させ、項羽を待っていたことを主張しました。
項羽の軍師范増は、劉邦が裏切っていたと考えていたのですが、項羽は劉邦を自分の部下に過ぎないとも考えていたのです。
最終的に項羽が劉邦に敗れるのは、范増のような冷徹な人材分析が、出来ていなかったからではないでしょうか。
樊噲は西楚の覇王項羽から鴻門之会で、巨大な生肉と大盃のお酒を与えられ、壮子な食べ方で評価され、主君劉邦(りゅうほう)の項羽への忠義を語りました。
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落ちぶれていた前漢の三傑の国士無双韓信に最敬礼した樊噲
樊噲は、国士無双韓信が劉邦から疑われ、楚王から淮陰侯に下げられた後も、敬っていました。
しかし韓信は、樊噲をあまり評価していなかったため、樊噲と同じくらいの人物に落ちぶれたことを嘆いていたのです。
そして韓信はとうとう、劉邦の腹心の陳豨を利用し、謀反を行いました。
韓信は国士無双な大将軍なので決起出来れば、強いと言えますが、韓信の恨みのある人物に謀反を密告され、同じく前漢の三傑の蕭何に最後を与えられたのです。
樊噲は、劉邦から冷遇されていた前漢の三傑の国士無双韓信(かんしん)に、尊敬した態度を取りましたが、気持ちを静めることが出来ず、韓信は結局謀反を起こし最後を送られました。
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前漢の初代皇帝高祖劉邦が秦の趙高のような存在を側近に置いていたため諫言した樊噲
樊噲は、皇帝劉邦が宦官を重用して、秦が滅亡した要因を作り出しそうになっていたので、諫めたのです。
かつて秦国は、商鞅の変法以来、法治主義で他の国々を圧倒し、始皇帝が天下を統一しました。
しかし、始皇帝の側近に趙高がおり、丞相李斯と共に始皇帝の遺言を改竄し、秦を滅亡に導いたのです。
ですので、劉邦が宦官を大事にしてしまうと、前漢も秦国の二の舞になると、樊噲は主張しました。
ちなみに、始皇帝の丞相李斯は、趙高との権力闘争に敗れ、腰斬という残酷な処刑で最後が来たのです。
樊噲は、始皇帝が趙高(ちょうこう)を厚遇したせいで、秦が崩壊したことを知っていたため、前漢の初代皇帝高祖劉邦に宦官を重用させないようにしました。
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戚夫人と劉如意に最後を与える可能性があると劉邦から疑われ陳平から捕えられた樊噲
樊噲は、劉邦の妻呂雉の妹が妻だったため、呂雉のライバルの戚夫人と劉如意に最期を送る、と見なされたのです。
陳平は、劉邦の指示で樊噲を捕縛しましたが、最後をあげずに放置していました。
しばらくすると、劉邦が最後を迎えたので、自動的に樊噲はセーフとなったのです。
そして呂雉は、劉邦の死後に戚夫人に恨みを晴らし、劉如意に最期を与えることにも成功しました。
ちなみに呂雉は、始皇帝の本当の父親とも言われてることが多い、呂不韋の子孫とされています。
樊噲は、劉邦の腹心でしたが、呂雉(りょち)と戚夫人が後継者争いを行っていたため、陳平(ちんぺい)から捕縛されましたが、劉邦に最後が訪れたので処刑されなかったのです。
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呂雉が冒頓単于から侮られていたので樊噲は匈奴に攻め入ろうとしました
樊噲は、妻の姉の呂雉が、冒頓単于から無礼な手紙を送られたため、匈奴を成敗しようとしたのです。
しかし、冒頓単于はかつて白登山の戦いの際に、匈奴の精兵で前漢の初代皇帝高祖劉邦に勝利しました。
ですので、樊噲が大軍で出撃したとしても、匈奴に敗れる可能性が高いのです。
そして前漢には、覇王項羽の部下だった季布も仕えており、他の武将たちと異なり樊噲の匈奴討伐に反対しました。
季布がいなければ、樊噲が再び匈奴の敗北し、前漢が滅亡していた危険性もあるでしょう。
樊噲は、劉邦の妻の呂雉が、冒頓単于(ぼくとつぜんう)から見下されていたので、匈奴討伐を希望しましたが、覇王項羽の元部下の季布(きふ)は樊噲の主張の危険性に気付いていたのです。
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まとめ:樊噲(はんかい)の頭髪上指す性格と三国志と鴻門之会の生肉での能力
樊噲は、劉邦の部下の中でも、覇王項羽に似ている性格だったことを解説してきました。
樊噲がもしも項羽陣営に参加していた場合、劉邦が天下統一出来なかった可能性もあるのではないでしょうか。
そして三国志の時代にも、鴻門之会なシチュエーションを、鳳雛龐統が演出したことも説明してきました。劉備は、范増な軍師龐統を獲得するほどの人徳者だったのでしょう。
また樊噲は、劉邦からの待遇に不満を感じていた韓信に、しっかり敬礼していたことを述べてきました。
韓信に良い対応をすることで、樊噲は、謀反を未然に防ごうとしていたのかもしれません。
鴻門之会で樊噲が、生肉で壮子を見せたからこそ、西楚の覇王項羽も劉邦を許す気になったのではないでしょうか。