三国志で飛将と呼ばれていたのが、呂布奉先将軍なのです。
呂布奉先は、義理の父親でも裏切るほどの自己中心的な人物でした。疑心暗鬼をまき散らす武将だったのです。
そして、呂布奉先は伝説的な強さを誇っていました。ある凄い武器と名馬が、呂布奉先の強さを決定的なものとしていたのです。
また、呂布奉先は実在しないといううわさもあります。伝説的武将呂布奉先は果たして・・・
他にも、呂布奉先と乱世の奸雄曹操の深いつながりも語ります。人材収集家な曹操は、呂布をどのように扱ったのでしょうか。
あの仁義な劉備も、裏切りな呂布奉先と関係があるのです。劉備は呂布に、どのように相対するのでしょうか。
三國志の呂布奉先を詳しく説明していきます!
⇒李信と三国志!呂布子孫、始皇帝評価、実在大将軍、嫁最後死亡も解説
目次
⇒呂不韋と三国志!呂布違い、始皇帝死亡関係、妻子孫、最後書物も解説
呂布奉先の伝説的強さの秘密は方天画戟と赤兎馬
三国志の呂布奉先は、人の中には呂布がおり、馬の中には赤兎馬がいると評されるほどでした。
呂布奉先で忘れてはいけないのは、かっこいい武器の方天画戟と優れた名馬の赤兎馬の存在です。
そして呂布奉先は、武勇で知られる張飛と関羽だけでなく、さらに劉備を加えた3人と戦っても、互角以上に戦える将軍でした。
一騎打ちではなく3人なので、三騎打ちと言えます。
張飛は万夫不当で、関羽は武神と呼ばれることも多いので、呂布奉先の凄さが伝わってくるでしょう。
呂布奉先に、諸葛亮孔明のような神クラスの賢者が味方したとしたら、三国志を呂布奉先が統一したのでしょうか。
呂布奉先は、人中の呂布、馬中の赤兎で評判な伝説的強さを発揮した将軍でした。
⇒劉備の部下一覧!どんな配下?諸葛亮孔明、関羽、張飛、評価も解説!
赤兎馬と共に最強な強さを有していた呂布奉先は実在した?実在しない?妻は?
三国志の呂布奉先は、歴史書や他の資料から実在したと述べられ、妻の貂蝉(ちょうせん)は実在しないと言われています。
貂蝉はかなりの美人で、四大美人の一人ですが、創作の存在とされているのです。
四大美人にも関わらず創作にすぎないというのは・・・
そして、貂蝉は呂布奉先を妖艶な美しさで虜とし、呂布の義父の董卓も貂蝉を好んでいたのです。
こうなると呂布と董卓が争うのは必定で、この状況こそ貂蝉を養育した王允(おういん)の思惑でした。
王允は董卓が専横を極めており、除きたかったのですが、武勇の士である呂布が董卓の側にいると、難しかったためです。
呂布奉先は、実在したという見方が強く、妻の貂蝉は実在していない可能性が高いとされています。
⇒ちょうせん三国志!美女貂蝉、父、呂布、最後、美人、かわいいも解説
裏切りの果てに最後に劉備に裏切られた呂布奉先と曹操
三国志の呂布奉先は、超世の傑曹操孟徳に敗れ捕らわれ、かつて劉備を助けたにも関わらず、過去の裏切りを批判された末に、処刑されました。
曹操は人材収集家として知られており、呂布が類まれな武勇を持っているので、失うのは惜しいと感じていたのです。
曹操の傍らに劉備がいたのですが、呂布に助けてもらったこともあったのですが、呂布から裏切られた苦い経験もありました。
曹操が呂布の口車に乗り呂布を解放しかけると、劉備は呂布が義父二人を裏切ったことを持ち出して、呂布に最期をけしかけたのです。
呂布奉先は自己利益で裏切りを繰り返しましたが、結局は曹操に打ち負かされ、劉備から裏切られて最後を迎えました。
⇒三国志劉備玄徳の性格!魅力的な人柄、カリスマ性、エピソードの話
呂布奉先とは伝説的な強さを誇った裏切り者な将軍のことです
三国志の呂布奉先は、2人の義父を打ち取った裏切りな武将です。
呂布奉先は、初め丁原に重用されて義理の親子関係を結びました。
ですが、涼州の実力者董卓が中央政府に進出してきて、丁原と争い出すと、丁原を見限って董卓に鞍替えしたのです。
そして、董卓と呂布も義理の親子関係となりました。
しかしそれも長くは続かず、呂布の小さい落ち度で董卓が過度に責め立てたことで、関係が悪化したのです。
董卓の政治への不満も高まっていたので、呂布は義父であるはずの董卓を丁原の時の様に見限りました。
また、丁原も董卓も、武勇に優れた武将として、知られていたのです。だからこそ、呂布の最強な武勇に目をかけたのでしょう。
呂布奉先は、丁原と董卓の二人の義父を斬った裏切り者な人物です。
⇒三国志とうたく!董卓いい人?逸話最期、皇帝、呂布貂蝉、曹操も解説
三国志の呂布奉先は前漢の李広将軍に似ていた最強飛将
三国志の呂布奉先は、前漢の李広と同じくらいの武勇があったため、李広が飛将軍と呼ばれていたように、飛将と言われているのです。
- 呂布奉先には停戦させるために遠くから戟を射抜いた逸話があります
- 呂布奉先はどんな人?読み方は?身長は?
ちなみに、李広は秦の大将軍李信の子孫とされています。
そして、呂布奉先を三国志の著者陳寿は、虎並みの最強の武勇があるが知略に欠けていて、人格的にも問題が多いと論評しました。
呂布奉先の知略を補ったのは陳宮(ちんきゅう)ですが、呂布は自分を信じていたので、あまり陳宮の話を聞かなかったのです。
陳宮の知略不足なのか、呂布の傲慢さなのか、敵の曹操が有能過ぎたのか・・・
呂布奉先は、飛将と称されるほどの最強な武将でしたが、知力が足りず、部下の献策も取り入れませんでした。
⇒陳宮三国志!最期会話、曹操関係、呂布、劉備、ちんきゅう能力も解説
呂布奉先には停戦させるために遠くから戟を射抜いた逸話があります
三国志の呂布奉先は、劉備が大軍から攻められ危機に陥ったため、敵軍に戟に弓が当たったら停戦するように申し出、見事命中させました。
呂布奉先は、本当に凄い弓術を持っていたということです。
そして、呂布は曹操に捕えられた際に、名言を放ちました。
私を味方とすれば天下を得たも同然である、曹操が歩兵を統制し、私が騎兵を指揮すれば良いだけだからである、という風に述べているのです。
捕われている身分なのに、この自信が出て来るところが、伝説的な最強将軍呂布奉先の凄さでしょう。
強さがずば抜けていても、いつ裏切られるか分からない恐れが、すべてを台無しにしていったのです。
呂布奉先は、劉備と敵軍の前で、遠くの戟に矢を当てることに成功した逸話を持っています。
⇒曹操と呂布!最後命乞い、劉備死因、戦い最期、中国三国志最強も解説
呂布奉先はどんな人?読み方は?身長は?
三国志の時代に、呂布奉先は目先の利益ばかりを求めて裏切りを重ねたことで、逆に追い詰められ、裏切りな性格が死因となってしまいました。
ただ、歴史的な背景として、戦乱の時代に裏切ったり鞍替えしたりするのは、日常的に行われており、ずーっと忠誠を尽くすことの方が稀と言えます。
呂布奉先の読み方は、りょふほうせんで、姓が呂、名が布、字が奉先です。
名はかなり近しい人同士で使うもので、一般の関係なら呂奉先と呼びます。
また、日本では呂布奉先が結構使用されているため、間違いとは言い切れないのです。
そして、呂布奉先は身長が210㎝くらいと言われています。ここから繰り出される方天画戟は、強烈でしょう。
呂布奉先は、利益打算を追求し過ぎ、最終的には死因を生み出してしまったのです。
⇒人中の呂布馬中の赤兎!異名飛将軍、妻、逸話曹操、死因最後も解説
まとめ:三国志呂布奉先(りょふほうせん)は最強で伝説的な強さ
三國志の呂布奉先が、どれくらい最強な将軍かを解説してきました。最強な強さでも、裏切り過ぎるとアウトだったのです。
呂布奉先の方天画戟と赤兎馬も説明しました。武勇に長けた張飛や関羽にも対抗し得たのは、この2つのアイテムがあったからなのでしょうか。
そして、呂布奉先の美人な妻貂蝉が、実在しない可能性を有していることも述べました。
いた方が夢があると言えるので、もしかしたらいる可能性に賭けてみるのも良いでしょう。
また、人材収集家曹操からも、呂布は見放されるほどの裏切りパワーがあったことも、書きました。
曹操が呂布を生かして将軍として率いたら、曹操が三国志を統一していたかもしれません。
武勇や才能を鼻にかけ、自己利益を追い求め、裏切り続けた者である呂布奉先の末路から、あなたは何が見えますか?