三国志とうたく!董卓いい人?逸話最期、皇帝、呂布貂蝉、曹操も解説

悪逆無道で、洛陽から長安に遷都した人物と言えば、三国志の董卓でしょう。

董卓は実は、いい人な逸話もあるのです。後年の董卓からは、想像出来ないエピソードでしょう。

董卓が、巧みに兵法を利用し危機を脱した話も、述べています。董卓は悪の道に染まらなければ、いい人で有能な武人だったのでしょうか。

そして、董卓は勇猛な呂布奉先を味方とすることで、武を押さえ専横を行ったことも説明していきます。

自分の好きにしたいなら、軍事力を確保するのは、昔から同じなのでしょうか。

また、美女貂蝉により董卓が最後へと転落していくことも、語っていきます。美人をどう扱うかが、武将としての力の見せ所でもあるでしょう。

三國志の董卓を詳しく解説していきます!

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卓越した武力で出世した董卓はどんな人?いい人

三国志の董卓は義侠な人物で、異民族と交流し、優れた武力で頭角を現していきました。

異民族が治安を乱したため、董卓は軍勢を率いて見事に倒したのです。

若い頃の董卓は、武勇に長けたいい人な武将と言えるでしょう。

もしかしたら、人望を集めて出世して酒池肉林するためだったかもしれませんが・・・

そして、董卓がいい人を装い?ながら過ごしていると、朝廷で大将軍何進と実力者袁紹が、董卓を洛陽に呼んで十常侍を退治しようと考え始めたのです。

董卓は十常侍たちを袁紹たちと共に、追い払いました。何進たちは、董卓が十常侍に成り代わるだけ、と気付いていなかったのでしょう。

董卓は、侠客な人で、異民族からの信頼も厚く、悪い者を討伐してもいました。

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最後を逃れた手練れな董卓の金蝉脱殻な逸話

三国志の董卓は、異民族の軍勢に包囲されましたが、川を止めることで道を作り出し、自分が通った後に川の水を流し、死地を脱しました。

兵法三十六計に、敵に拠点に留まっているふりをして欺き、脱出する金蝉脱殻(きんせんだっかく)がありますが、正にこの兵法でしょう。

そして、董卓は金蝉脱殻で上手く脱出しましたが、他の武将たちの軍勢は大損害を受けたため、董卓軍が他の軍よりも力を持つようになりました。

また、董卓は曹操から暗殺されそうになった際も、とっさに察知したのです。

董卓は悪でありながらも勘が良いので、長く三国志の世界に居座れたのでしょう。

董卓は、兵法を上手く活用することで、自分の軍勢を温存し、他軍を圧倒する実力を有する存在になり始めたのです。

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飛将呂布の義父となった董卓の洛陽での栄華

三国志の董卓は、呂布奉先と深く結び付くことで、最強な武力を入手しました。

呂布は元々は、丁原と義理の父子関係だったのですが、董卓に乗り換えたのです。

父子関係というのは非常に重いので、それを簡単に董卓に変更した呂布は、また自己愛で裏切りを行うのではないでしょうか。

また、呂布の愛馬の赤兎馬は、丁原から董卓に鞍替えさせるために、贈られたと言われています。

呂布の卓越した武力を得るために、皆必死なのでしょう。

ちなみに、義理の父親だったはずの丁原に最後を与えたのは、呂布です。

呂布にとって義理の父子関係とは、ただの形か、相手の機嫌を取るための手段、に過ぎなかったのでしょうか。

董卓は、最強な呂布と義理の父子関係を結ぶことで、誰も勝てないほどの武力を獲得しました。

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反董卓連合軍の討伐を行った董卓の長安遷都

三国志の董卓は、自らの政治に反発する勢力たちの連合軍を討伐しました。

朝廷で実権を掌握した董卓たちは、乱暴狼藉を行い、後漢朝廷を支持する者たちから恨まれていたのです。

董卓に歯向かう乱世の奸雄曹操にも勝利し、一見董卓の天下が安泰に思えました。

ですが、虎牢関の戦いで、董卓軍の武勇に長けた幹部である華雄が、当時無名な関羽雲長に打ち取られるなどの大敗北を喫したのです。

ただ、董卓にはまだ最強な呂布がいたため、何とか反董卓連合軍を跳ね返せました。

ちなみに、段々追い詰められてきた董卓は、洛陽から長安への遷都を強行し、挽回を狙ったと言われています。

反董卓連合軍が迫りましたが、何とか討伐して、董卓たちは生き永らえたのです。

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少帝から献帝に皇帝を変更した董卓

三国志の董卓は、そこまで問題の無い皇帝を無理やり変えるほどの権勢を誇っていました。

ただ、献帝劉協は、和い頃から聡明と言われていたため、皇帝変更が必ずしも間違いとは述べられないでしょう。

董卓は劉協と話した際に、冷静に順序立てて語るので、賢さを感じ取ったのです。

そして、少帝は董卓の軍師李儒から毒殺されました。悪な董卓の参謀ですから、毒殺程度手軽なものだったのでしょう。

また、董卓が最後を迎えた後、今度は曹操が権力を握り、献帝を利用して乱世を平定していきました。

曹操は董卓のような横暴さを出さず、狡猾に献帝を活用したため、誰も曹操を排除出来なかったのです。

董卓は、献帝へと皇帝を変え、前の皇帝を腹心の李儒に葬り去らせました。

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美女貂蝉は色香で董卓を惑わし最期に追い込みました

三国志の董卓は、権勢を極めましたが、美人貂蝉に翻弄され、呂布と争いました。

董卓の専横を憎む王允は、娘の美女貂蝉に、董卓と呂布の両方に、まるで妻のように気を持たせる対応をさせたのです。

董卓も呂布も自己利益を貪る性格であるため、王允の狙い通り、美人貂蝉を求めて戦い始めました。

董卓の軍師李儒は、呂布に赤兎馬をあげたように、貂蝉も渡せば良いと述べたのです。

結局呂布は王允たちに味方し、義理の父親であるはずの董卓に最後をあげました。

呂布は、上手く董卓を打ち取り生き残りましたが、自己愛で裏切りを何度も行う呂布の悪名も、天下に伝わったのです。

董卓は、呂布を手懐けていましたが、かつての丁原の時のように呂布が裏切り、最期を迎えました。

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七星宝刀で董卓を暗殺しようとした曹操の笑裏蔵刀

三国志の曹操は、董卓の横暴を止めるために、一旦は取り入り、チャンスを見つけて宝剣で消そうとしましたが、失敗したのです。

兵法三十六計に、本当の目的を隠して、上辺は協調して機会を待つ笑裏蔵刀(しょうりぞうとう)がありますが、このやり方が上手くいかなかったのでしょう。

曹操は後には、超世の傑と評価されるほどの英雄ですが、若い頃は失敗も多いのです。

曹操は、董卓への暗殺が失策となり、董卓にも暗殺の真意を見抜かれたため、逃亡しました。

曹操は、その後に反董卓連合軍と共に董卓を攻撃するので、暗殺が上手くいかなかった方が、出世出来たと言えるでしょう。

曹操孟徳は、専横な董卓に笑裏蔵刀で上手く近付きましたが、覚られたため、逆に追われる立場に陥ったのです。

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まとめ:三国志の董卓仲穎(とうたくちゅうえい)の逸話と最後

三國志の董卓の武勇伝と、若い頃はいい人な面もあることを解説してきました。悪な董卓だといい人な逸話も何かの作戦に思えるでしょう。

後漢の都洛陽で董卓は、権勢を極め、あの呂布奉先も味方していたことも説明しました。董卓は抜け目ない武将なので、良い方向に力を使えば、偉人として名を残していたでしょう。

そして、董卓が自らに反対する勢力を討伐し、優勢に戦ったことも記載しました。やはり、董卓は真面目に生きていれば、有能な武将だったのではないでしょうか。

また、董卓は美女貂蝉を呂布と取り合ったことで、最後につながったことも語りました。欲望の果てに董卓は、三國志の世界からもはみ出てしまったのでしょう。

董卓は、三国志の偉人の中でも、真の悪と言えるので、知っておくと教訓になるでしょう。

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