禰衡!能力性格、孔融評価、太鼓技能、最後死因、楊修司馬懿、も解説

三国志の論破王と言えば、禰衡でしょう。

禰衡は、高い技能を鼻にかけて、人を論破しまくっていました。当然恨む者も多かったのですが、一理あることも多く、誰も手を出せなかったのです。

なんと批判的な禰衡から評価されたのが、荀彧なのです。荀彧のどのような点が、禰衡のお眼鏡にかなったのでしょうか。

とうとう禰衡は、あの曹操孟徳とも直接対決しました。今の時代でも慕われている曹操に、禰衡は何をしたのでしょうか。

そして、禰衡と才能を認め合った人物が孔融です。論語の孔子の末裔孔融は、禰衡をどのように活用したのでしょうか。

禰衡と比較すべき人物として、楊修と司馬懿がいます。3人共優秀な人材ですが、どこが異なっていたのでしょうか。

三國志の禰衡を解説していきます!

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能力があふれ傲慢な性格の禰衡

三国志の禰衡は、才覚に優れていたため、皆をキツく論評し反感を買っていました。

今の時代なら、コメンテーターとして大人気だったかもしれません。

優れた能力とされることが多い曹操の部下たちもこき下ろし、乱世の奸雄で超世の傑曹操孟徳すら批判したのが、禰衡です。

禰衡は、大胆不敵な性格とも言えますし、才能に絶対の自信を持っていたとも述べられるでしょう。

そして、聖人孔子の師と言われることもある老子に、ねじ曲がった樹木は伐られないという風な話があります。

禰衡は、真っ直ぐに主張し過ぎて目立ってしまい、立派な木であることをアピールし過ぎて、死因を増やしたのでしょう。

禰衡は、他人の弱点ばかり強調して威張っていたため、恨まれながらも名声を博していました。

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太鼓技能でも曹操を圧倒した禰衡

三国志の禰衡は、達人な太鼓技術で、曹操からの難題をこなしました。

太鼓を間違えると着替えるものだったのですが、スムーズに着替えたため、むしろ失敗すらも技術に見えるほどだったのです。

人材収集家の曹操すら持て余してしまい、禰衡は曹操への批判を繰り返しました。

とうとう曹操も堪忍袋の緒が切れ、処刑しようとしたのですが、禰衡は名声があるため、誰かに始末させようと考えたのです。

禰衡は、自らの能力で人に克つことに固執して、曹操の驚くべき企みに対処しきれませんでした。

超世の傑曹操孟徳すらも驚嘆させた禰衡は、あくなき批判を続けることで、自らの死因も創り出してしまったのです。

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荀彧はイケメンなので禰衡からも評価

三国志の荀彧は、禰衡から弔問向け、すなわち、容貌がイケメンと述べられたのです。

禰衡は、純粋に人を評価出来ず、何かしらの皮肉を交えてしか、発言出来ないのかもしれません。

荀彧は曹操からは、自らの張良子房であると言われていました。張良子房は、前漢の建国者劉邦の部下で三傑のひとりでもあるのです。

そして、禰衡が曹操を批判し過ぎて最後につながっていったように、荀彧も曹操の後漢朝廷での権力拡大に抵抗することで、最期が訪れてしまいました。

禰衡に支持された孔融と楊修が、曹操に最期を与えられたように、禰衡から一定の支持を受けた荀彧も、結局は、曹操から追い詰められたのです。

禰衡は皆を批判していましたが、荀彧は優れた外見だったため、イケメンさを評価していました。

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黄祖から最後を贈られた禰衡

三国志の禰衡は、自らの正解を黄祖にも突き付けることで、またもや怒りを買い、とうとう最後を迎えました。

黄祖は初めの頃は、禰衡の才能を高評価していたのですが、次第に、批判が多過ぎ侮辱的な態度が増えたため、激怒したのです。

ただ、黄祖も禰衡が亡くなった後に後悔してはいます。

やはり禰衡は、人の気分を悪くする人ですが、優れた才能があることは間違いないのでしょう。

そして黄祖は、曹操のように、借刀殺人する賢さはなかったと言えます。借刀殺人とは、兵法三十六計のひとつであり、他人の力や権力を間接的に利用する事で、自分の目的を遂げるやり方です。

黄祖は、禰衡の批判に耐えられず最期を与えましたが、才能を惜しんでもいました。

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優れた能力で人を侮る禰衡を高評価した孔融

三国志の禰衡は、論語の孔子の子孫な孔融からは、好印象でした。

  • 毒舌禰衡からも高評価な楊修
  • 禰衡と楊修を超える賢者司馬懿

孔融自身が、昔の考えで皆を批判し、時の実力者曹操からも煙たがられていたためでしょう。

孔融はなかなか曹操に自分の意見が受け入れられないからか、論破王禰衡を曹操の元に送り込みました。

曹操も禰衡の評判を聞いていたため、才能面を重用してはいたのですが・・・

孔融は禰衡のように、曹操の非難を繰り返したため、とうとう、禰衡が黄祖に処分されたように、処刑されてしまいました。

ちなみに、孔融は聖人な孔子の子孫でもあるのです。孔子の末裔らしく学問を究めており、曹操の息子の曹丕は、孔融の文章を非常に好んでいました。

聖人孔子の末裔の孔融は、評価した禰衡と同じように、処刑な末路となりました。

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毒舌禰衡からも高評価な楊修

三国志の楊修は、皆に批判的な禰衡から、孔融と共に褒められた人物なのです。

褒められていると良い意味に取れると思いますが、禰衡はいわくつきで、禰衡と気が合うと、実力者や曹操から処罰されてしまうという法則があります。

禰衡自身が、曹操から迷惑がられ黄祖に送り付けられ、最後となってしまったのです。

楊修は、才能のある曹植に付いていたのですが、曹植は曹操の後継者争いに脱落していきました。

曹操は楊修を処刑することで、曹植の巻き返しを阻止することにしたのです。

厳しい論評で知られる禰衡から評価されるほどの人物だった楊修(ようしゅう)は、曹操から次第に遠ざけられていき、最後が来ました。

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禰衡と楊修を超える賢者司馬懿

三国志の司馬懿仲達は、禰衡や楊修が能力をひけらかして、実力者から消されていく中、虎視眈々と天下をうかがいました。

才覚がある方が、一見良いように見えると思いますが、しっかり出してしまう事で、弱点にもなり得るのです。

禰衡は恨みを買い、楊修は警戒されました。

偉大な思想家である老子は、良い商人は品物を奥深くに隠していて何も持っていないように見える、という風に述べています。

司馬懿は、曹操の前では従順を装い曹操の後継者曹丕に取り入ることで、安全に勢力を拡大していきました。

後に、曹操の子孫の天下を奪ったのは、司馬懿の子孫たちです。

禰衡と楊修を超える才能を持っていたのが、老子の無を体得していた司馬懿仲達と言えます。

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禰衡の素晴らしい作品鸚鵡賦を李白も評価、記憶技能四字熟語、読み方

詩仙と言われるほどの李白からも、禰衡の作品は評判だったため、どれくらいの技能かは推して知るべしでしょう。

李白も、禰衡と同じであまり権力に馴染まなかったので、共感出来るところが多かったのではないでしょうか。

李白はお酒も好んでいたため、酒仙と言われることもあります。

ちなみに、禰衡の読み方は、ねいこうやでいこうです。

禰衡は、一度見ただけの碑文をしっかり暗記していたため、記憶力が高いことを四字熟語で、禰衡一覧と言います。

また、張松も、曹操の著作孟徳新書をすぐに暗記したとされています。三國志は本当に、凄い能力の持ち主ばかりなのです。

三国志の禰衡は、記憶技能にも長けているだけでなく、作品も高評価でした。

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まとめ:三国志の禰衡(ねいこう)の能力と性格と評価

三国志の禰衡が、どれくらい批判的で危険な事を行っていたかを解説しました。どんなに能力が高くとも、性格が伴っていなかれば、水の泡なのでしょう。

名だたる武将たちを厳しく批評した禰衡に認められた、孔融と楊修が、あえない最後を迎えたことも説明しました。

誰かに評価してもらえたからといって、有頂天にならないように、注意すべきなのでしょう。

そして禰衡は、太鼓技能で逆に、曹操の度肝を抜いたことも述べました。どのようなシチュエーションでも、人々の想像の上を行く禰衡は、どうにかして上手く能力を活かせなかったのでしょうか。

禰衡は、非常に批判的で、何が起ころうと論破し続けた人物なので、どう見るかが重要でしょう。

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