関羽と呂布!強さ、赤兎馬、虎牢関の戦い一騎打ち、活躍、魅力も解説

三国志の武神関羽と人中の呂布は、深い関係があるのです。

三国志の序盤の見せ場である虎牢関の戦いで、関羽と呂布は一騎打ち状態になりました。関羽は武神なので、簡単に勝ったのでしょうか。

呂布の強さを増加させている赤兎馬も語っていきます。赤兎馬を呂布の後に獲得した幸運な武将は、誰なのでしょうか。

そして、呂布と関羽の外見がどうだったかも説明していきます。外見が良いと一騎打ちも映えるでしょう。

また、呂布と覇王項羽の強さ比較も書いていきます。項羽は中国を代表する武勇ですが、呂布は対抗出来るのでしょうか。

他にも、呂布と関係が深い曹操、関羽と因縁な呂蒙も述べていきます。果たして誰がどう強いのでしょうか。

三國志の関羽と呂布を詳しく解説していきます!

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武神関羽以上の強さと言える虎牢関の戦いの呂布と一騎打ち

三国志の関羽は武勇に優れた人物ですが、虎牢関の戦いで、関羽と張飛と劉備3人と呂布が互角くらいだったので、呂布奉先(りょふほうせん)はそれ以上の武将と述べられます。

そもそも関羽も張飛も、他の武将たちよりも強い武人と言われているのです。

更に劉備まで加えて戦えるのですから、呂布は相当の強さでしょう。

そして戦と言うのは、武力的な強さだけでは決まらない、という教訓も得られるのではないでしょうか。

虎牢関の戦いで結局は、呂布側が勝利したわけではないためです。

ちなみに、後の方で、呂布と劉備たちが一時的に味方になってはいます。

呂布の強さは、三國志の世界でも卓越したものなので、関羽を超えているでしょう。

⇒かゆう三国志!華雄関羽、ゆしょうはんほう、赤兎馬呂布、李儒も解説

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呂布の強さと活躍の秘訣赤兎馬を得た関羽

三国志の呂布は、人中の呂布馬中の赤兎と呼ばれていましたが、関羽が赤兎馬を継承しました。

そもそも、1日に何百里も走れると言われていた赤兎馬は、呂布が董卓からもらったのです。

董卓は後漢朝廷で権力を獲得しようとしており、武勇に優れた呂布を味方とするために、呂布に赤兎馬をあげました。

呂布が大活躍したのは、赤兎馬があってこそかもしれません。

そして赤兎馬は、呂布が処刑された後に、曹操が関羽の関心を獲得するために、赤兎馬をあげたのです。

赤兎馬ほどの名馬になると、関羽クラスの武人でなければ、乗り手になれないでしょう。

皆が欲しがる赤兎馬を利用した武将として、呂布以外にも関羽がいました。

⇒曹操別れ見逃す関羽!称号、贈り物、赤兎馬、孫権、張遼、劉備も解説

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呂布はイケメンで関羽は髭が美しく魅力的です

三国志の呂布と関羽は、外見の美しさでも人気とされています。

呂布が美男子として描写されることが多いのは、妻の貂蝉が古代中国四大美女だからでしょう。

イケメンと美人のラブロマンスの方が、絵になり興味を持つ人が多いのではないでしょうか。

そして関羽は、美髯公と言われることもあり、諸葛亮孔明から髭殿と呼ばれていました。

関羽は自尊心が高く尊大なため、諸葛亮はあえて髭殿と言うことで、尊大さを和らげようとしたのかもしれません。

外見も美しく着飾ってこそ、有名な偉人となれるのでしょうか。

イケメンな呂布と美髯公な関羽雲長(かんううんちょう)は、共に美しい外見を持っていたと述べられるでしょう。

⇒関羽の子孫!現在、息子、皆殺し、関平、関興、娘、張飛、趙雲も解説

呂布は妻に古代中国四大美女貂蝉がいるため関羽よりも異性に強いと言えるでしょう


三国志の呂布には、傾国の美女な貂蝉が付いているので、関羽の異性関係では、太刀打ち出来ないのではないでしょうか。

そもそも呂布は、董卓を義父としていましたが、貂蝉を得るために、董卓を討ったのです。

これくらい美人に入れ込んでこそ、古代四大美女クラスが獲得出来るのでしょう。

また、異性関係を掌握していなければ、寝首をかかれる恐れもあるのではないでしょうか。

そして関羽は、呂布の美人妻を欲しがったという噂も存在しています。

貂蝉は、関羽の心も虜にしていたのでしょうか。

ちなみに呂布は、方天画戟で武勇を魅せ、関羽は青龍偃月刀で勝利を重ねました。

呂布は異性関係も強い武人であり、関羽も欲しがるほどの妻を得ていたのかもしれません。

⇒ちょうせん三国志!美女貂蝉、父、呂布、最後、美人、かわいいも解説

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覇王項羽と飛将呂布は同じくらいの強さで項羽は関羽に勝つでしょう

三国志の呂布は、勇猛な李広将軍に似ているので、飛将と言われていましたが、覇王項羽とも近いのではないでしょうか。

  • 関羽より強いと言えるのは呂布以外に呂蒙でしょう
  • 飛将軍呂布に曹操は下邳で勝利したため呂布より強いと述べられるでしょう

前漢の建国者は高祖劉邦ですが、項羽は、劉邦に何度も勝利したのです。

しかも覇王項羽は彭城の戦いで、何十万もの劉邦軍をわずか数万で撃破したこともあります。

対する呂布は、黒山賊の張燕の大軍をわずか数十騎ほどで打ち負かしたのです。

黒山賊は犯罪者やならず者の集まりですから、この2つの戦いだと項羽の方が若干強いかもしれません。

ちなみに、覇王項羽と飛将軍呂布は、残念な最後でした。いくら武勇面を鍛えても、限界があるのではないでしょうか。

関羽は武神ですが、飛将軍呂布や覇王項羽には勝てないでしょう。

⇒三国志そんさく!小覇王孫策、性格、玉璽、兄弟孫権周瑜、曹操も解説

関羽より強いと言えるのは呂布以外に呂蒙でしょう


三国志の関羽は、騙し討ちにより呉の呂蒙から、最後を与えられました。

関羽は、蜀漢と呉の対立地域である荊州を治めていたのです。

そして劉備は、益州などを獲得したら、呉の孫権に荊州を返還すると述べていました。

ですが、いつまで経っても劉備たちが返還しないため、呂蒙は策略で取り戻すことにしたのです。

関羽は人格的に問題があり他人を見下していたので、呂蒙たちはわざとへりくだりました。

関羽は呂蒙たちに安心して大軍を北に向けたため、一気に呉が荊州を押さえたのです。

関羽はまだ寿命があったにも関わらず討たれ、最後が来ました。

呂蒙子明(りょもうしめい)は策略を利用しましたが、関羽に勝利したため、関羽より強いと言えるのではないでしょうか。

⇒三国志呂蒙!勉強能力、名言故事成語、魯粛、関羽、死因、陸遜も解説

飛将軍呂布に曹操は下邳で勝利したため呂布より強いと述べられるでしょう


三国志の呂布は、裏切りを繰り返し暴れ回りましたが、下邳に閉じ込められ、曹操から最期を送られたのです。

呂布は武勇に長けていましたが、軍師陳宮の進言を無視することで、戦略的には曹操に追い詰められてしまいました。

そして、曹操は呂布を捕らえた際に、実は将軍として活かしたいと考えていたのです。

ですが呂布は武力が高いだけでなく、自己愛も高く、気軽に裏切る人物でした。

さすがの曹操も呂布は扱いきれず、呂布を処刑したのです。

関羽は尊大さが欠点で、呂布は過ぎた自己愛が弱点でした。聖人孔子は、過ぎたるは猶及ばざるが如しと述べています。

人中の呂布馬中の赤兎な呂布を曹操は打ち負かしたため、総合的には曹操が強いと言えるでしょう。

⇒陳宮三国志!最期会話、曹操関係、呂布、劉備、ちんきゅう能力も解説

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まとめ:三国志の関羽(かんう)と呂布(りょふ)の強さと活躍と魅力

三國志の関羽と呂布が、どれくらいの強さでどのような活躍をしたかを解説してきました。あなたは、関羽と呂布どちらが強いと思いますか?

呂布が、関羽だけでなく張飛や劉備とも、一騎打ちのような戦いをしたことも説明しました。

呂布がちゃんと、凄い君主か軍師に付いておけば、簡単に中華統一だったかもしれません。

そして呂布の妻には、美女貂蝉がいるので、異性面では関羽は勝てない可能性があることも書きました。

総合的に見ると呂布と関羽は、呂布が勝っている面も多いのです。

また、呂布が曹操に敗れ、関羽は呂蒙に負けたことも記載しました。武勇だけでなく人格的な修養も不可欠なのでしょう。

関羽と呂布は強いと評判の武将なので、一騎打ちやバトルが好きな人も、気になる武人たちでしょう。

⇒三国志りじゅ!李儒能力、董卓、呂布、李傕郭汜、おういん何進も解説

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