さじ三国志!左慈仙人、妖術みかん、于吉、かだ、道教、白鶴も解説

三国志で妖術を使う仙人と言えば、左慈でしょう。

左慈は、超世の傑曹操からも妖術使いとして認められていました。曹操は現実主義ですが、ミステリアスなパワーも必要だったのでしょうか。

そして左慈は、曹操に妖術パワーを知らしめ、劉備を出世させようとしました。左慈は、劉備こそ三国志の救世主と考えていたのでしょう。

また左慈は、曹操から怒りを買っても、結局妖術があるので逃げ切れたのです。曹操ほどの偉人になっても、妖術は味方と出来ないのでしょうか。

他にも、左慈と似ている于吉もお知らせしていきます。于吉は、曹操ではなく小覇王孫策とバトルしたのです。

三國志の左慈を詳しく解説していきます!

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左慈は乱世の奸雄曹操にも不思議な妖術を披露した仙人です

三国志の左慈は、超世の傑曹操が遠くの特産品を欲しがった時、すぐに用意してみせました。

様々な異才を知る曹操も、左慈のような妖術は、新発見だったのではないでしょうか。

そしてある時、曹操が何十人かの家臣と共に外出した際に、左慈はどこからともなく豪勢な食事を出現させました。

その出所が、曹操の倉からだったため、曹操は左慈を処罰しようとしたのです。

妖術使いの左慈なので、どんどん妖術で曹操をかく乱したため、結局不問となりました。

妖術は法律や常識が通用しないから、妖術なのでしょう。

乱世の奸雄曹操孟徳(そうそうもうとく)は、左慈の妖術で得した面もありますが、損したこともあったのです。

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日本の戦国時代の仙人果心居士は梟雄松永久秀を驚かせました

戦国時代の左慈と言うべき果心居士は、悪人な松永久秀すら恐れさせたのです。

松永久秀は、その当時妻を亡くしていたのですが、果心居士は亡き妻の姿を見せました。

松永久秀は、東大寺攻撃や将軍足利義輝討伐などの悪事を行うほどの人物でしたが、左慈クラスの妖術には驚かざるを得なかったのです。

もしも久秀に、果心居士の妖術がプラスされたら、どのような悪事をしたのでしょうか。

そして、左慈な果心居士は、織田信長や豊臣秀吉にも妖術を披露しています。

左慈は、三國志の実力者曹操に妖術を見せたため、本当に果心居士と似ていると言えるでしょう。

左慈と同じような存在の果心居士(かしんこじ)は、松永久秀だけでなく秀吉や信長をも妖術で惑わしたのです。

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左慈は曹操が剥くと無いみかんで妖術を示し劉備に天下を与える事を望みました

三国志の左慈は、ある意味みかんで曹操には中身が無いと述べ、劉備の重要性を教えたかったのでしょう。

曹操は左慈の妖術には興味津々でしたが、左慈の真意を知ると非常に怒りました。

劉備は仁義と漢帝室再興を掲げており、実力主義の曹操とは対をなす存在だったのです。

曹操は後漢朝廷を崩壊させないまでも、掌握して徹底的に利用しました。

天下を譲ることを禅譲と言いますが、左慈は覇道な曹操から徳な劉備に、禅譲して欲しかったのです。

ちなみに、曹操の子供の曹丕が、後漢皇帝劉協から禅譲され、魏王朝を開きました。

仙人左慈は、劉備玄徳(りゅうびげんとく)に天下を獲得させようとしましたが、妖術でも曹操から天下を奪えなかったのです。

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医術が左慈の妖術レベルで曹操を助けていた華佗(かだ)

三国志の華佗は、曹操の頭痛の対処を行っていましたが、曹操を騙して実家に帰ったため、最後を与えられました。

華佗は、自分の医術の技量が高いにも関わらず厚遇してもらえないので、不満を感じていたのです。

ただ、そのまま曹操に不満を述べると、処刑される危険性があるため、妻が不健康として、こっそり家に戻りました。

結局曹操にバレてしまい、拷問の後に亡くなったのです。

そして曹操には、将来を期待していた息子の曹沖がいましたが、華佗がいなくなっていたので、適切な健康対処が出来ずに早死にしました。

華佗元化(かだげんか)は、左慈クラスの妖術的医術を習得していましたが、曹操から疎まれ最期が来たのです。

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曹操から投獄され脱獄した左慈は許褚に追われましたが白鶴と共に飛び立ちました

三国志の左慈は、曹操から過酷な対応を受けましたが、妖術で生き残り、最後は白鶴と共に去ったのです。

  • 左慈に似ている江東の仙人于吉は小覇王孫策に死因をもたらしました
  • 道教な太平道張角は于吉と南華老仙から力を得ました

白鶴は、純白の曇りない存在と言えるため、左慈が、世俗の代表者である曹操から高潔な世界に、飛び去ったということでしょう。

そして許褚は、別名虎痴と呼ばれることもあり、曹操の親衛隊だったのです。

潼関の戦いでは、錦馬超が曹操を会談を利用して討とうとした際に、許褚が睨みを利かせていたため、馬超は動くことが出来ませんでした。

その虎痴許褚すら惑わしたのが、妖術仙人左慈なのです。

左慈は、乱世の奸雄曹操と虎痴許褚仲康(きょちょちゅうこう)も翻弄し、白鶴と一緒にどこかに消えました。

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左慈に似ている江東の仙人于吉は小覇王孫策に死因をもたらしました

三国志の于吉は、左慈と同じくらいの妖術使いでしたが、孫策と人気の取り合いとなったのです。

ある時孫策は、部下の多くが于吉を敬っていることに気付きました。

孫策はこのままだと、江東の支配権を于吉に奪われてしまうと思い、危機感が高まったので、于吉を試したのです。

于吉は雨を呼ぶように孫策に命じられると、簡単に雨を降らせました。

ですが逆に、ますます孫策の嫉妬を買ってしまい、処刑されたのです。

すると、孫策の夢に于吉が登場するようになり、孫策は精神的に追い詰められ亡くなりました。

孫策伯符(そんさくはくふ)は、于吉の左慈クラスの妖術を恐れており、対抗しましたが結局道連れで終わったのです。

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道教な太平道張角は于吉と南華老仙から力を得ました

三国志の左慈レベルの妖術者として、于吉以外にも南華老仙がおり、黄巾の乱の張角に力を授けたのです。

南華老仙は荘子仙人とも称されており、張角に太平要術書を与える際に、悪事に利用してはならないと述べました。

しかし張角は、力を頼みとし黄巾の乱を巻き起こし、すぐに滅亡したのです。

そして、乱世の奸雄曹操や小覇王孫策は、妖術使いを迫害しましたが、張角は味方としました。

左慈も于吉も謎な最後だったため、張角も妖術使いを利用しなければ、まっとうに生き残れたのでしょうか。

ちなみに、道教な存在として五斗米道の張魯もいます。張魯は最終的には、曹操から高評価だったのです。

于吉(うきつ)と南華老仙(なんかろうせん)のパワーを悪用した太平道の張角(ちょうかく)は、黄巾の乱で暴れるだけで終わりました。

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まとめ:三国志の左慈元放(さじげんほう)は妖術な仙人

三國志の左慈が、妖術で曹操すら惑わしていたことを解説しました。曹操がもしも妖術を身に付けたら、簡単に世界を征服出来たのでしょうか。

左慈が、日本の戦国時代の果心居士に似ていることも説明しました。世の中が乱れて来ると、摩訶不思議な人物が出現するのでしょうか。

そして左慈が、みかんでも妖術を示したことも書きました。左慈クラスになると、どのような存在も妖術の題材になるのでしょう。

また、左慈のような医術の華佗も記載しました。結局左慈と華佗は曹操に嫌われたので、権力者と上手く付き合ってこそ、不思議パワーも活きると言えるでしょう。

左慈は、三國志の他の武将とは違う意味で、凄い妖術仙人なのです。

⇒南華老仙!太平要術清領書、荘子、于吉、張角弟、黄巾の乱鎮圧も解説

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