范雎と三国志!王稽連座、秦宰相蔡沢、白起能力、春秋戦国時代も解説

三国志でもなかなか見られないほど、壮絶な状況から復活したのが、秦の宰相范雎です。

范雎は、秦には権力者の魏冄がいたため、まずは魏冄を遠交近攻策で攻撃しました。昭襄王も魏冄を警戒していたので、范雎の策は上手くいったのです。

そして王稽は、范雎に尽くしたにも関わらず、お礼が無かったので暗に批判しました。しかし、王稽に地位をあげたせいで、范雎に危機が訪れたのです。

また范雎は、秦王におすすめした王稽と鄭安平と共に、連座されそうになりましたが、蔡沢のおかげで事なきを得ました。蔡沢は、范雎の欠点を改善出来るほどの逸材、だったのです。

范雎と三國志を詳しく解説していきます!

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兵法三十六計の遠交近攻策で秦の領土を拡大させ穣侯魏冄を追放した范雎

范雎は、穣侯魏冄が斉を攻撃していたため、近い国の魏と韓を攻略する方が、秦の勢力伸張に貢献すると述べました。

結局斉の領土を占領したとしても、遠過ぎて管理が難しく、徒労に終わってしまうのではないでしょうか。

そして范雎は、遠交近攻策が秦の昭襄王から高評価だったことで、魏冄を追い落とすことにも成功しました。

魏冄は他の三人の権力者と連携し、昭襄王を圧迫していたため、范雎は上手く秦王に取り入り追い出したのです。

宰相范雎は、兵法三十六計の遠交近攻の策で、秦の勢力拡大に役立っただけでなく、権力者穣侯魏冄(じょうこうぎぜん)を追い払い昭襄王(しょうじょうおう)に認められました。

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秦の宰相に就任するためのきっかけを范雎に与えたにも関わらず王稽は恩賞が少なかったので暗に非難したのです

范雎は、王稽のおかげで死地から出ることが出来ましたが、王稽や鄭安平へのお礼が足りていませんでした。

王稽は范雎に、秦王やあなたや自分が急に最後を迎えてしまうと、范雎が秦国に訪れることが出来た功績が示せないと述べたのです。

范雎は、王稽が暗に褒美を求めていることを知り、その手法を嫌いましたが、結局これまでの恩讐に報いました。

しかも、目で睨まれただけの睚眦の恨みにも報復した、とされています。

負のモチベーションも上手く利用すると、范雎のように大出世出来るのでしょうか。

宰相范雎は、王稽(おうけい)から恩賞をねだられたため、鄭安平(ていあんぺい)と共に地位を与え、他の恩讐にも対応しました。

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王稽は范雎が奇才であることを見抜き秦への亡命を手助けしたのです

范雎は、斉から高評価され褒美を与えられ断ったのですが、魏の宰相魏斉は疑心暗鬼に囚われ、過酷な処罰を行いました。

須賈は范雎が、斉の襄王から大金を送られた際に、魏の重要情報を横流しにしたからこそ、だと考えたのです。

そして范雎は、あまりにも処罰が強過ぎるため、死んだと思わせる作戦に出ました。

魏斉は范雎が死んだと思い、便所に捨てたので、范雎は便所の当番の者に多額の謝礼を約束し、救出してもらったのです。

結局後々に魏斉は、范雎に制せられるため、魏斉は一国の宰相にしては、甘いと言わざるを得ないでしょう。

范雎は、須賈(しゅか)と魏斉(ぎせい)から斉への裏切りを疑われ、残酷な刑罰を受けさせられましたが、王稽の手引きもあり秦に脱出しました。

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秦では推薦した者も連座するとされていましたが范雎は王稽と鄭安平の件で最後を与えられなかったのです

范雎は、昭襄王に気に入られていたため、秦に入国させてくれた鄭安平と王稽と共に、連座せずに済みました。

鄭安平が、趙に投降したので、おすすめした范雎も法的には処罰されなければならかったのですが、秦王は鄭安平の件を語る者の方を罰するとまで述べたのです。

そして范雎は、連座を免れたと思ったら、今度は王稽が敵と連携したとして、最期をもたらされました。

ちなみに、王稽と一緒に連座処罰をされたという資料も、范雎にはあるため、結局連座しなかったたかどうかはハッキリしない面もあります。

宰相范雎は、魏での過酷な対応から亡命するために、王稽と鄭安平に援助してもらっていたので、お礼をしていましたが、連座の危機に直面してもいたのです。

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蔡沢は誰からも採用されませんでしたが応侯范雎の弱点を突き引退を迫ることで秦の宰相に就任しました

范雎は、連座の危機に陥っており、進退窮まっていましたが為す術がなかったのですが、蔡沢の進言で宰相を辞したのです。

蔡沢は、商鞅が法治主義で秦国を強国化し、呉起も法家思想で楚国の勢力を拡大しながらも、結局主君に恵まれずに最期が来たと語りました。

秦の昭襄王の元で、范雎は辣腕を振るっていますが、昭襄王が最後を迎えた場合、商鞅や呉起と同じ末路になりかねないと蔡沢は主張したのです。

ちなみに、春秋の五覇の勾践の軍師范蠡は、巧みに引退することで、勾践からの災いを遠ざけられました。

范雎は、蔡沢から呉起(ごき)と商鞅(しょうおう)の事例で警告されたことで、蔡沢(さいたく)に宰相の地位を譲る気分になったのです。

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須賈は皆の前で范雎の復讐により罪人の真ん中で馬食させられ魏斉は最後に追い詰められたのです

范雎は、魏に指図出来るほどの強国秦の宰相になったことで、かつての恨みに報いるチャンスが訪れました。

須賈は、秦に攻められないようにするために、秦国に訪れたところ、なんと范雎が現れたのです。

范雎はすでに亡くなったと思っていた須賈は、驚くと共に范雎の境遇を憐れみ、服を与えました。

そして当時秦では、張禄が宰相を務めていたのですが、張禄とは范雎の偽名だったのです。

須賈はいつの間にか范雎の術策にハマっており、何度も范雎に謝罪し、命だけは助けてもらえました。

范雎は、須賈を欺き驚かせ平伏させ、かつての恨みを晴らし、秦国の強大な軍事力を背景に魏斉にも迫り、最期を与えることに成功したのです。

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白起将軍は長平の戦いで趙括を敗北させ趙軍を生き埋めにしましたが范雎から畏怖され最後を送られたのです

范雎は、魏冄からも評判の良かった白起が、あまりにも功績を獲得していたため、長平の戦い後に無理に退却させました。

白起は大将軍として自負していたので、後に趙攻めで秦軍が上手くいかなかった際に、協力を渋ったのです。

しかも、王齕が趙攻略に失敗した際に、白起は非難したとされています。

秦の昭襄王と范雎が何度大将軍を頼んでも、白起は秦軍を率いなかったため、とうとう剣が送られて来たのです。

大将軍も大軍を統率しなければ、ただの一武将に過ぎないのでしょう。

范雎は、魏で死中に活を求め秦の宰相に就任していたので、長平の戦いの英雄白起(はくき)将軍を警戒し、昭襄王への反発もあったため、最期に追い込みました。

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まとめ:春秋戦国時代の范雎(はんしょ)の能力と三国志と王稽連座と秦の宰相蔡沢

范雎が、春秋戦国時代の秦の宰相として、どのように能力を発揮したかを解説してきました。秦の宰相になれただけでなく、引き際が見事だったことも称賛すべきでしょう。

そして王稽は、范雎が有能であったことから、秦へ脱出させたことも説明してきました。有能な人材は誰もが欲しがるので、危難が来ても、何とかなるものなのでしょう。

また、白起将軍が指示に従わなかったため、范雎は昭襄王と共に最後をあげたことも記載してきました。

どんなに凄い大将軍も、国王と宰相の権力に対抗するのは、容易ではないのでしょう。

范雎は、王稽に連座させられず、蔡沢が秦の宰相で活躍出来ると見通せるほどの能力を、有していました。

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