臥薪嘗胆とは?由来使い方、ロシア日本史故事、意味わかりやすく解説

臥薪嘗胆は、越王勾践と呉王夫差が、行った呉越同舟な復讐劇を意味しています。

ロシアは、日本の日清戦争後の領土獲得を警戒し、三国干渉したのです。日本は臥薪嘗胆の果てに、日露戦争の勝利を享受しましたが、本当の勝利だったのでしょうか。

そして呉王夫差は、父親の闔閭の敵討ちのために、臥薪嘗胆を行いました。越王勾践を確保しながら最期を加えなかったことが、後の臥薪嘗胆を引き起こしたのです。

また、越王勾践の臥薪嘗胆と、沈魚美人の西施の作戦も説明していきます。西施が呉王夫差を魅了していなければ、呉王夫差がもう一度臥薪嘗胆していたかもしれません。

ちなみに、臥薪嘗胆の読み方は、がしんしょうたんです。

臥薪嘗胆を詳しく解説していきます!

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大日本帝国が遼東半島を日清戦争で獲得したためロシアは三国干渉し日本は臥薪嘗胆しました

臥薪嘗胆は日本史にも登場しており、大日本帝国は、ロシアとドイツとフランスの三国干渉で、報復を決意したのです。

そもそもロシアは、清から沿海州を奪い、朝鮮半島にも勢力を拡大していました。

ですので、日本が遼東半島を得てしまうと、ロシアの極東権益が著しく侵害されると感じ、フランスやドイツと共に三国干渉したのです。

そして日本は臥薪嘗胆し、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破し、ポーツマス条約で勝利が確定しました。

ただポーツマス条約は、アメリカ合衆国が日本に付いたからこそ、締結出来た面が大きかったのです。

日本史での臥薪嘗胆は、日本がロシアから三国干渉を受け、日露戦争で勝ちポーツマス条約を結ぶことで、成功しました。

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大日本帝国が臥薪嘗胆の末に撃破したロシア帝国は崩壊しソビエト連邦となり日本に第二次世界大戦で勝利しました

大日本帝国は確かに臥薪嘗胆で、ロシアに勝ちましたが、ソビエト連邦からの逆襲も呼び込んだのです。

そしてソビエト連邦には、叩き上げで大出世したヨシフスターリンがおり、スターリンは冷酷な手段で国を統制しました。

スターリンは大粛清でソビエト連邦をまとめ上げ、ロシア帝国時代に日本に取られた権益を、一気に再獲得したのです。

ちなみにヨシフスターリンは、日ソ中立条約を一方的に破棄し、無理に日本に侵攻して勝利を得ました。

臥薪嘗胆してロシア帝国に勝った日本は、ソビエト連邦のヨシフスターリンを出現させてしまい、第二次世界大戦に敗北することで、日露戦争で得た権益も奪われてしまったのです。

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呉王夫差は父親の闔閭が越王勾践に最後を与えられたので臥薪嘗胆しました

臥薪嘗胆を呉王夫差は行い、国力を充実させ、父親闔閭の宿敵である越王勾践に勝ったのです。

越王勾践は、呉王夫差が闔閭の報復のために、臥薪していたので、焦って呉を攻め逆に敗北しました。

そして後に会稽の恥と呼ばれる、屈辱を味わった越王勾践は、嘗胆し、必死に国力を向上させ復讐の機会を待ったのです。

また、夫差王の呉国も強国なので、中原に侵攻していなければ、越王勾践の雪辱も上手くいかない可能性はありました。

しかし呉王夫差は、越王勾践の従順さに油断し、忠臣伍子胥をも最後に追い込んでしまったのです。

呉王夫差(ふさ)は臥薪嘗胆で、父親の春秋の五覇闔閭(こうりょ)の仇討ちを成し遂げましたが、越王勾践(こうせん)の臥薪嘗胆を招いてしまいました。

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秦の昭襄王の宰相の范雎も魏斉と須賈への報復のチャンスを臥薪嘗胆して待ったのです

須賈と魏斉から斉への内通を疑われ、厳酷な処罰を被った范雎は、臥薪嘗胆の志で雌伏の時を過ごしました。

そして范雎は、秦の昭襄王に兵法三十六計の遠交近攻を献策し、高評価され宰相に就任したのです。

後に仇の須賈が秦との外交交渉に現れたため、范雎はかつての大問題を激しく追及し、皆の前で恥辱を与えました。

また范雎は、魏斉に最後をもたらすように、須賈に命令し、魏斉を自刎させたのです。

臥薪嘗胆の大志で、秦の昭襄王嬴稷(しょうじょうおうえいしょく)に仕えていた范雎(はんしょ)は、遠交近攻の策が認められたことで、仇敵須賈(しゅか)と魏斉(ぎせい)に厳罰を加えることに成功しました。

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故事成語の臥薪嘗胆の由来は呉王夫差が臥薪し越王勾践が嘗胆し報復したことなので使い方は復讐や苦労な状況です

臥薪嘗胆は、越王勾践と呉王夫差が凄まじい忍耐の末に栄光を得たことが由来なので、大きい目標を持っている人が臥薪嘗胆を語れるでしょう。

例えば、三国志の曹操が、これから後漢を支配するために、臥薪嘗胆の日々だ、という発言があり得るのではないでしょうか。

また関羽が呉に最後をもたらされたので、劉備や張飛が臥薪嘗胆して呉を滅ぼそうと励まし合った、という使い方も考えられるでしょう。

実際には劉備が、関羽と張飛の敵討ちのために、すぐに夷陵の戦いを行い、陸遜に大敗しました。

ことわざの臥薪嘗胆は、呉王夫差と越王勾践の不屈の精神が由来なので、使い方は強靭な意志力が必要な場面ではないでしょうか。

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越王勾践と軍師范蠡は中国古代四大美女の西施を呉王夫差に差し出すことで再度の臥薪嘗胆をさせないようにしました

臥薪嘗胆した呉王夫差に、越王勾践は会稽の恥を体験させられたため、沈魚美人の西施に骨抜きを命じたのです。

西施は、絶世の美女なだけでなく傾国の美人だったので、呉王夫差は忍耐力を忘れていきました。

そして、呉王夫差は腹心の伍子胥の強諫を聞かずに、強引に中原に出兵し、越王勾践の不意打ちに遭い大敗したのです。

また西施は、呉王夫差を惑わし破滅させるほどの魅力があったため、皆から懸念され、長江に投げられる最期が来ました。

臥薪嘗胆は、呉王夫差に越王勾践への大勝利をもたらしましたが、沈魚美人(ちんぎょびじん)の西施(せいし)の美人計で、呉を崩壊させる未来も呼び込んだのです。

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越王勾践は臥薪嘗胆で春秋の五覇となりましたが文種と西施を最後に追い込み陶朱公范蠡も去らせてしまいました

臥薪嘗胆の果てに大業を成し遂げた越王勾践は、功労者の文種を自害させ、范蠡からも見限られたのです。

生涯臥薪嘗胆し続けることは、越王勾践でも難しかったのでしょう。

また越王勾践は、呉以外の国に大きな恨みを抱いてはいなかったため、臥薪嘗胆で天下統一な考えには到達しなかったのではないでしょうか。

そして、一時的に大勢力となった呉や越とは対照的に、秦は商鞅の法治主義で、次世代に強国を継承させていき天下統一しました。

ちなみに、秦は二世皇帝胡亥の参謀の趙高が、法律を乱用することで、破滅していったのです。

臥薪嘗胆により春秋の五覇になれた越王勾践は、覇気を失っていき、西施だけでなく文種(ぶんしゅ)や范蠡(はんれい)もいなくなりました。

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まとめ:故事成語臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の使い方由来とは?とことわざの意味わかりやすく解説と日本史ロシア故事

臥薪嘗胆が、どのような由来の故事成語かを、解説してきました。苦労してこそ、野望は叶えられるのでしょう。

そして日本は、臥薪嘗胆で日露戦争で勝った後に、強大なソビエト連邦を誕生させてしまったことも説明してきました。

ヨシフスターリンがトップでなければ、日ソ中立条約を守ってくれた可能性はあるでしょう。

また昭襄王の宰相范雎が、臥薪嘗胆な思いで立身し、須賈と魏斉への処罰を達成したことも述べてきました。

過酷な対応を受けても諦めなければ、范雎のように飛躍し、歴史書に名前が残ることもあり得るのではないでしょうか。

ことわざの臥薪嘗胆は、呉王夫差と越王勾践と大日本帝国の飛躍の要因であると同時に、凋落のきっかけにもなった故事成語でした。

⇒越王勾践!剣、臥薪嘗胆、呉王夫差、范蠡、文種、春秋の五覇も解説

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