鴻門之会の剣の舞!あらすじ登場人物わかりやすく、現代語訳問題解説

前漢の初代皇帝高祖劉邦と西楚の覇王項羽の鴻門之会では、項荘だけでなく項伯も、剣の舞を披露しました。

項荘は鴻門之会で亜父范増から、沛公に最後をもたらす命令を受けていたのです。范増自身が剣の舞をしていれば、確実に劉邦を成敗出来たのではないでしょうか。

そして項伯は、劉邦の秦攻めがあったからこそ、覇王項羽の秦占領が成功した、と考えていました。沛公は項伯という強力な味方を得て、鴻門之会からの生還の可能性を高めたのです。

また、劉邦には腹心の樊噲がおり、頭髪上指す威圧感で鴻門之会に参戦しました。項羽も勇猛な武人の樊噲の主張は、聞かざるを得なかったのでしょう。

ちなみに、鴻門之会の剣の舞の読み方は、こうもんのかいのけんのまいです。

鴻門之会の剣の舞の問題と登場人物を、白文原文や書き下し文ではなく現代語訳で、解説していきます!

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覇王項羽のいとこの項荘は軍師の亜父范増から鴻門之会の剣の舞の流れで沛公を斬ることを命じられていました

鴻門之会で項荘は、いとこの覇王項羽のために、剣の舞の勢いで劉邦に最後をもたらす役割を、范増から指示されたのです。

そもそも軍師范増は、項羽が獲得すべき秦の領域を劉邦が奪おうとしていたので、項羽自身で劉邦の落ち度を問題にして成敗すべき、と考えていました。

しかし項羽は劉邦に情けを掛け、なかなか動かないため、項荘に劉邦の危険性を言い含め、剣の舞を行わせたのです。

項羽は祖父項燕の仇敵の秦を攻略し、すでに天下を掌握した気持ちに、なっていたのではないでしょうか。

鴻門之会で亜父范増(はんぞう)は、沛公こと劉邦が西楚の覇王項羽を裏切り秦を確保しようとしたので、項荘(こうそう)の剣の舞で最後を加えようとしました。

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項伯は劉邦が先に秦領を攻撃したからこそ覇王項羽が安全に秦に訪れられたので鴻門之会で沛公のために剣の舞を行ったのです

鴻門之会で項伯は、劉邦の秦侵入の戦果を高評価していたため、范増の命令を受けていた項荘に抵抗し、剣の舞を披露しました。

ですが後に、楚漢戦争の垓下の戦いで劉邦が項羽に勝利するので、范増の方が項伯よりも、項一族の未来を見通していたと言えるでしょう。

ちなみに、越王勾践は敵の呉王夫差に従属し、臥薪嘗胆して大勝利を得ましたが、垓下の戦いで敗れた項羽が劉邦に仕えて再起を考えることは、性格的に難しかったのではないでしょうか。

鴻門之会で、亜父范増の密命を帯びた項荘が、劉邦(りゅうほう)に最期を与えようとしたため、沛公の秦攻略を評価していた項伯(こうはく)は、剣の舞で対抗したのです。

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剣の舞で劉邦を保護した項伯は鴻門之会後に恩人の張良から財宝をもらい沛公に漢中を与える交渉も担ったのです

鴻門之会で項伯は、剣の舞で敵のはずの劉邦を守っただけでなく、恩人張良から買収され、漢中を沛公に渡すように項羽に働きかけました。

そもそも亜父范増は、劉邦の器量を警戒し、蜀と巴のみを与え、中原に進出出来ないようにしたのです。

しかし、項伯の協力で漢中を得た沛公は、中原にスムーズに侵入し、後の楚漢戦争勝利を獲得しました。

もしも劉邦が巴と蜀に閉じ込められていたら、項羽と争わずに、西方や南方に進出していたかもしれません。

鴻門之会で剣の舞を披露し劉邦を庇った項伯は、豪華な贈り物を恩義ある張良子房(ちょうりょうしぼう)からもらい、後に沛公こと劉邦が垓下の戦いで勝つきっかけとなる、漢中獲得に貢献しました。

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樊噲は頭髪上指す気迫で鴻門之会に乱入し項伯の剣の舞を援護して劉邦を助けました

鴻門之会で項伯が剣の舞を行ったおかげで、劉邦は項伯に討たれずに済みましたが、危なかったため樊噲も参加したのです。

頭髪上指す形相で樊噲が威圧したため、項羽も無下には出来ず、大酒と生肉の塊を提供しました。

そして樊噲は、項羽が気に入るような食べっぷりで、項羽が秦攻略の劉邦の貢献を処罰するなら、秦と同じ末路になると忠告したのです。

項羽は、祖父の項燕大将軍の宿敵秦を憎んでいたので、樊噲の進言は非常に効果的だったのでしょう。

鴻門之会の項荘の剣の舞から、劉邦の危機を察した樊噲(はんかい)は、頭髪上指す形相で存在感を示し、西楚の覇王項羽(こうう)の沛公処分が亡国秦に似ている、と警告しました。

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劉邦は項伯と樊噲が守っていても安心出来なかったため鴻門之会を密かに逃げ出し張良は宝石の提供で項羽と范増を惑わしたのです

鴻門之会で沛公は、樊噲の頭髪上指す気迫と項伯の剣の舞で、生き残り上手く脱出することで、項羽と范増からの処刑を免れました。

樊噲は劉邦が項羽を恐れ、逃げることをためらっていたため、大志を実現させるためには、小さいことは忘れるべきと進言したのです。

そして前漢の三傑の張良は、西楚の覇王項羽と亜父范増に宝物を献上しましたが、范増は失敗の重大性に気付き、宝石を破壊しました。

ちなみに范増は後に、劉邦陣営の離間の計に翻弄された項羽から遠ざけられ、無念な最期を遂げたのです。

鴻門之会で劉邦は、項伯の剣の舞と樊噲の頭髪上指す姿で、九死に一生を得、張良に宝石で亜父范増と項羽をかく乱させましたが、范増は失敗の大きさを見通しました。

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鴻門之会は司馬遷が作者の史記の項羽本紀でわかりやすく解説しているだけでなく中国史の簡略な教科書の十八史略にもあらすじが記載されているのです

鴻門之会は、司馬遷の史記と十八史略に書かれており、昔から人々に親しまれていました。

ただ、十八史略は初学者に推奨される教科書と伝わっているので、鴻門之会を詳しく知りたい人は、史記を読むべきなのです。

また項羽本紀は古来から、名文としても有名であり、その点からしても十八史略よりおすすめと言えます。

ちなみに司馬遷は、史記の項羽本紀で、皇帝ではない項羽を特別扱いし、本紀で紹介しているのです。

項羽本紀を分析すると、司馬遷の真意が、より一層見えて来るのではないでしょうか。

鴻門之会は、簡易な教科書の十八史略であらすじが確認出来るだけでなく、西楚の覇王項羽を別格扱いした司馬遷(しばせん)の史記の本紀でも、わかりやすく解説されています。

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三国志の鳳雛龐統は魏延に剣の舞を行わせ劉璋を討とうとしましたが鴻門之会の亜父范増のように上手くいきませんでした

三国志の龐統は、諸葛亮の天下三分の計実現のために、益州の劉璋を魏延の剣の舞で始末しようとしたのです。

そして龐統は、劉備の義理の息子の劉封にも、剣の舞を披露させることで、確実に劉璋を斬ろうとしました。

しかし劉備は、仁義と大志で知られる名君だったため、劉封と魏延を叱責し、劉璋との関係を重視したのです。

また劉璋は、結局劉備との戦いに敗北して軍門に降り、益州を劉備に譲りました。

三国志の鳳雛龐統士元(ほうとうしげん)は、鴻門之会のように魏延文長(ぎえんぶんちょう)と劉封に剣の舞を行わせましたが、劉備玄徳(りゅうびげんとく)は劉璋を守り仁義を示すために、魏延と劉封を一喝したのです。

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まとめ:鴻門之会(こうもんのかい)の剣の舞と内容現代語訳わかりやすくとあらすじ登場人物問題解説

鴻門之会の剣の舞が、どのような経緯で行われたかを、わかりやすく解説してきました。項荘の剣の舞で劉邦が斬られていたら、鴻門之会は、項羽の天下を盤石にした出来事、として伝わっていたかもしれません。

そして前漢の三傑の張良は、項伯と項羽と范増に財宝を渡すことで、鴻門之会を沛公有利に導いていったことも説明してきました。

劉邦は、人材だけでなく経済をも、味方としていた人物なのでしょう。

また鴻門之会が、三国志や史記や十八史略で著名であることも、述べてきました。項羽と劉邦の関係性の転換期、と言える出来事だからでしょう。

前漢の初代皇帝高祖劉邦と西楚の覇王項羽陣営の様々な思惑が交錯した結果、鴻門之会の剣の舞が起き、千載一遇の好機を失った項羽陣営は没落していきました。

⇒劉邦三国志!りゅうほう最後、三傑家臣、劉備比較、呂雉、項羽も解説

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