馬良白眉!能力最も良し、由来、馬氏の五常、兄弟馬謖、三国志も解説

三国志街亭の戦いの馬謖の兄馬良は、白眉と呼ばれていました。

馬良は兄弟が五人共有能だったため、馬氏五常と高評価だったのです。兄弟が五人もいると無能な者もいるものですが、本当に全員有能なのでしょうか。

そして馬良は、関羽が手術している中で、一緒に囲碁をした逸話もあります。馬良も、ダメージがあるにも関わらず堂々としている関羽のような仲間がいると、頼もしかったでしょう。

また馬良は、劉備の夷陵の戦いに従軍し、死因に遭遇してしまいました。馬良が最期となるまでに、何が起きたのでしょうか。

他にも、馬良があの鳳雛龐統を助けられた可能性があったことも、書いていきます。龐統は諸葛亮クラスの賢人ですが、何が死因なのでしょうか。

三國志の馬良白眉を詳しく解説していきます!

⇒三国志ばたい!馬岱ここにいるぞ、錦馬超関係、能力、魏延最期も解説

⇒三国志かんこう!関興逸話、死因、張苞、関羽青龍偃月刀、周倉も解説

スポンサーリンク
おすすめ中国史商品検索窓口

馬氏の五常白眉最も良しと称された馬良のエピソード

三国志の馬良白眉は、馬氏の五人兄弟の中で、一番優秀だったのです。

  • 白眉が有能の意味なのは優秀な馬良の眉が白かったことが由来とされています
  • 馬良の兄弟馬謖は南蛮制圧の功労者にして街亭の戦いの登山の失敗者

ただ、街亭の戦いの登山者馬謖以外の馬氏兄弟が、どのような人物だったかは、ハッキリしていません。

目立つような失敗が無かった、という見方も出来るでしょう。

そして、蜀漢の劉備にとって非常に重要な孫権との交渉も、馬良が行いました。

馬良は、孫権に自己紹介する際に、自らを善を好む人材と述べています。

自画自賛を相手の主君にそのまま告げるところが、馬良の武骨な善を示しているでしょう。

また劉備は、仁義で漢帝室再興を求めていたため、仁義な馬良が来たのではないでしょうか。

馬良は、馬氏の五常白眉最も良し、と高評価だった人物で、善を重んじていました。

⇒三国志劉備!どんな人?能力、誓い仲間、最後、人肉逸話、曹操も解説

白眉が有能の意味なのは優秀な馬良の眉が白かったことが由来とされています

三国志の馬良は白眉と名付けられ、馬良が有能だったため、白眉は、能力が高い者の代名詞となったのです。

馬良は、劉備からも評価され荊州で活躍しました。

そして馬良は、劉備の天才軍師諸葛亮のことを、兄のような存在と考えていたのです。

劉備は関羽と張飛と義兄弟だったため、諸葛亮の義兄弟は、馬良と言えるでしょう。

ちなみに、馬良の兄弟に馬謖もいるので、諸葛亮と馬良と馬謖は、三兄弟とも述べられます。

また、馬謖は街亭の戦いで、大きな誤りを犯してしまいましたが、兄の馬良が共に従軍していれば、指示を聞いていたかもしれません。

馬良は、劉備と諸葛亮からも高評価で、蜀漢の荊州にいました。

⇒関羽と周倉!廟、エピソード評価、荊州、割臂図フィギュア、像も解説

馬良の兄弟馬謖は南蛮制圧の功労者にして街亭の戦いの登山の失敗者

三国志の馬良白眉は、南蛮の孟獲戦の貢献者馬謖の兄であり、馬謖は街亭の戦いでは、無理に登山し蜀漢軍を壊滅させてしまいました。

諸葛亮が南蛮遠征を行おうとした際に、異民族が反乱を起こしやすいため、心を獲得すべきと馬謖は語ったのです。

諸葛亮は、孟獲を七縦七擒することで、南方を蜀漢の勢力圏と変えました。

そして馬良の弟馬謖は、街亭の戦いで指揮官に抜擢されたのです。

諸葛亮の北伐の一翼を担う大事な役割だったのですが、馬謖は副官王平の諫言を無視して登山を行い、敵将張郃に撃破されました。

街亭の戦いで、諸葛亮から重要な任務を与えられた馬良の兄弟馬謖幼常(ばしょくようじょう)は、無謀な登山で全てを台無しにしたのです。

⇒馬謖とは?諸葛亮孔明なぜ泣いて斬る?街亭の戦い、登山の誤算も解説

スポンサーリンク

樊城の戦いで龐徳から毒矢を受けた関羽の手術の際に囲碁の相手をした馬良

三国志の馬良白眉は、関羽の手術中の囲碁の相手を楽しみました。

関羽は、名医華佗からの手術を受けていても、馬良と囲碁が出来るほどの凄い武人、であることを示しているのでしょう。

そして関羽は、樊城の戦いで龐徳と一騎打ちを行い、龐徳は関羽に勝利するために、毒矢を利用したのです。

このまま戦うと龐徳の勝ちだったのですが、于禁が自分を差し置いて、新参者の龐徳が功績を得る事を危惧し、退却させました。

結局、関羽が水を利用する事で、于禁と龐徳に大勝利し、于禁を降伏させ龐徳を討ったのです。

馬良は、関羽が龐徳令明(ほうとくれいめい)から受けたダメージを治療する、手術中の囲碁の相手も行いました。

⇒三国志ほうとく!龐徳樊城の戦い、うきん寝返り、龐会龐柔龐統も解説

樊城の戦いの大勝利に油断した関羽が呉の呂蒙から攻められたので馬良も救援要請したのです

三国志の馬良白眉は、関羽が窮地に陥ったため、劉備に援軍要請をしました。

ですが、関羽の荊州軍からも、呂蒙に内通する者がおり、関羽は最後となったのです。

関羽が弱かったからというよりも、関羽を油断させるために呂蒙の軍師陸遜が、事前にわざとへりくだった文書を送っていました。

更に、そもそも関羽は、呉の武将たちを見下していたため、大軍を魏攻めに使っていたのです。

荊州の備えを弱めていたので、武神な関羽でも、簡単に斬られてしまいました。

馬良は、呉の陸遜と呂蒙子明(りょもうしめい)から囲まれた、関羽雲長(かんううんちょう)を助けようとしましたが、援軍が間に合わなかったのです。

⇒三国志呂蒙!勉強能力、名言故事成語、魯粛、関羽、死因、陸遜も解説

スポンサーリンク

劉備の復讐戦夷陵の戦いで異変に気付いた馬良の死因

三国志の馬良白眉は、劉備が張飛と関羽の仇討ち目的の夷陵の戦いを行った際に、失敗の陣形となってしまっていることを見抜きました。

馬良は、陣形の詳細を諸葛亮に伝えたのですが、間に合わず、劉備は敵の陸遜の火攻めで大敗したのです。

そして、夷陵の戦いで当初は、劉備が大軍で呉の陸遜を圧倒していました。

ですが、これこそ陸遜の策であり、戦線を伸びきらせることで、劉備の蜀漢軍の防御を弱くしたのです。

馬良ではなく、諸葛亮が劉備の元にいれば、負けなかった可能性はあるでしょう。

馬良は、劉備玄徳(りゅうびげんとく)が大敗しないための対策を行いましたが、間に合わず、馬良も夷陵の戦いが死因となりました。

⇒三国志りくそん!陸遜最後、劉備夷陵の戦い、諸葛亮、子孫陸抗も解説

益州攻めの鳳雛龐統が落鳳坡で最後となる前に諸葛亮の忠告を伝えた馬良

三国志の馬良白眉は、諸葛亮が星占いで、龐統が危ないことを知ったため、告げに訪れたのです。

しかし龐統は、諸葛亮が自らの出世を妨害しようとしている、と邪推しました。

諸葛亮は劉備から厚遇されているので、本当に出世を妬んでいたのは、龐統の方でしょう。

そして、益州を攻撃する際に、劉備が的盧馬で目立たないようにするために、龐統の馬とチェンジしたのです。

敵は龐統を劉備と誤解し、落鳳坡で最期を与えました。

諸葛亮はあまり奇策が得意でなかったため、鳳雛龐統の奇策力を失ったのは、馬良陣営の大損失と言えるでしょう。

馬良は龐統を救うために、諸葛亮の予見を伝えたのですが、龐統は誤解してしまったのです。

⇒三国志しばき!司馬徽水鏡、両者を得れば、三顧の礼、よいぞも解説

スポンサーリンク

まとめ:三国志馬良季常(ばりょうきじょう)は白眉最も良しな能力

三國志の馬良は、他の兄弟よりも優秀で、白眉として皆から好印象だったことを解説してきました。

有能な人に何かの特徴があると愛称になるなら、髪が白くて白髪もあり得たのでしょうか。

そして馬良白眉には、兄弟の馬謖がおり、最初は能力を発揮していたことも説明してきました。

若い頃優秀でも、歳を重ねると状況が複雑化し、失敗するケースもあるのでしょう。

また馬良が、武神関羽を何とかして救出しようとしたことも、記載しました。白眉馬良でも助けられないなら、関羽の天命だったのでしょうか。

他にも、馬良が助けられなかった鳳雛龐統も語りました。馬良は、重要な偉人の死に際に会える、運命だったのでしょう。

馬良は、白眉の愛称で親しまれた偉人であるだけでなく、街亭の戦いの馬謖の兄弟なのです。

⇒孟達三国志!能力、最後、司馬懿、蜀諸葛亮、魏曹丕、劉備劉封も解説

重要なお知らせ

スポンサーリンク

おすすめ中国史商品検索窓口

 

 

↓中国史大人気関連記事↓

中国史史記と三国志のカテゴリー

-蜀漢の武将