三国志劉備!どんな人?能力、誓い仲間、最後、人肉逸話、曹操も解説

劉備は、三国志を代表する家柄と仁義で有名でしょう。

劉備は、前漢の劉邦のように、トップになりたいと考えていたのです。劉備は後に皇帝になれたので、子供の頃の夢を叶えたのでしょう。

そして劉備は、強大な勢力の曹操に、仁義のために対抗しました。仁義な劉備に感動した人物が、劉備に素晴らしい贈り物をしてくれたのです。

また劉備には、仲間で義兄弟の張飛と関羽がいました。張飛と関羽のせいで、劉備に驚くべき災厄が訪れたのです。

他にも、劉備と人肉の逸話もご紹介していきます。劉備は人肉で驚いたのですが、どういうシチュエーションだったのでしょうか。

三國志の劉備を詳しく解説していきます!

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筵売りから身を立て皇帝になることを夢見ていた劉備

三国志の劉備は、あまり豊かでない暮らしをしながらも、皇帝になれると考えていました。

ただの若い子供の夢語りに思える人も、いるでしょう。

実は前漢の初代皇帝高祖劉邦も、始皇帝の巡行を見ながら、あのようになってみたいと述べています。

つまり、劉備が劉邦の再来であることを印象付けるエピソードと言えるのです。

後に劉備は、劉邦が漢王となったように、漢中王に就任しています。

ちなみに、項羽は始皇帝の行列を見ながら、将来自分が始皇帝を倒して地位を得たいと述べました。

項羽は、覇王と呼ばれるほどの勇猛さがあるので、始皇帝にも勝てると思っていたのでしょう。

劉備は、先祖の劉邦のように若い頃、皇帝になることを決意しました。

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有能な人物を好み謙虚に接したため劉備は資金援助も獲得したのです

三国志の劉備には、後に関羽や張飛といったような、能力の高い武将が集まりますが、謙虚な性格だったからでしょう。

有能な武将はやはり、自分の能力を発揮しやすい場所を探しているため、謙虚に対応してくれると、思う存分力が出せるのではないでしょうか。

そして劉備は、一時期白馬将軍公孫瓚の元にいました。

公孫瓚は、勇猛な白馬軍団で易京を拠点に勢力を拡大しましたが、有能な人物を虐げ、普通くらいの者たちを重用したので、四世三公の袁紹に敗れたのです。

劉備はどんどん付く人を変更していくため、公孫瓚の滅亡に巻き込まれずに済みました。

劉備は、能力の高い人材を厚遇し謙虚に対応したため、経済的な協力も得られたのです。

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乱世の奸雄曹操が父曹嵩を斬られた腹いせに徐州の陶謙を攻めたので劉備は陶謙を助けました

三国志の劉備は、曹操が父親曹嵩を理由に、陶謙の所領を荒らし回ったため、仁義により抵抗したのです。

曹操は、父が陶謙の領域で殺されたので、非常に怒ったのですが、徐州を攻める事で、自分の力を誇示する目的もありました。

そして、曹操を恐れて陶謙を皆が助けない中、劉備は少人数にも関わらず陶謙を援護したのです。

陶謙は劉備の対応にかなり感動し、自分の地位を麋竺を通し、劉備にあげることを決定しました。

麋竺は、妹が劉備の妻となった人物で、劉備の義兄弟関羽が最後を迎える要因も、作ってしまったのです。

劉備は仁義のために、曹操から苛烈に責められた陶謙に味方し、見返りに徐州を獲得しました。

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超世の傑曹操は劉備を高評価し袁紹以上の英雄であると述べました

三国志の劉備は、乱世の奸雄曹操からも厚遇され、四世三公の名門袁紹以上の人物と評されたのです。

曹操は、後漢皇帝の献帝劉協を確保し、天下に指示を出していましたが、劉備は前漢の初代皇帝劉邦の子孫として、劉協を助けたいと考えていました。

曹操は劉備を厚遇し、後漢皇帝を牛耳ることへの批判を逸らしたい、という思惑もあったのでしょう。

そして、曹操の軍師郭嘉は、劉備は大志を抱いているので、対処を間違うと危ない、と述べていました。

しばらく後に曹操が、劉備を外部に派遣すると、劉備は一気に自立し曹操に対抗したのです。

劉備は曹操から、袁紹を超える人物であると言われましたが、結局後漢朝廷のために、曹操と戦いました。

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劉備は仲間の義兄弟張飛が酒に惑わされたため呂布に徐州を奪われたのです

三国志の劉備には、勇猛な張飛もいたのですが、酒に酔い呂布配下の曹豹を罰したため、呂布の徐州侵入を招きました。

元々劉備が呂布が流浪していた際に、徐州に受け入れてあげていたのですが、この事件で主客が逆転したのです。

そして劉備は、呂布に対する怒りを抑え、徐州を呂布に譲りました。

劉備が後に蜀漢の初代皇帝となれたのは、今回のような件で、忍耐強く謙虚に、チャンスを待てるからではないでしょうか。

ちなみに呂布は、超世の傑曹操に敗れ捕虜となった際に、劉備から、裏切る癖があるのですぐに最後を与えるべき、と言われてしまいました。

劉備の義兄弟張飛の過ちを呂布に付け込まれ、徐州を失いますが、人徳で曹操を味方として、呂布を倒したのです。

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劉備は桃園の誓いの仲間の関羽と張飛が呉の関係者に討たれたので報復しましたが自分も最後となりました

三国志の劉備は、同じ日に亡くなろうと誓いを立てた張飛と関羽のために、夷陵の戦いを行いましたが、白帝城で最期が来ました。

夷陵の戦いの際に、初めは劉備が連戦連勝だったのですが、呉の孫権には陸遜がいたのです。

陸遜は劉備を調子づかせることで、呉の奥深くに引き込み、戦線を拡大させました。

劉備は、陸遜が無名であるとして侮っており、いつの間にか、火攻めに弱い陣形に陥っていたのです。

陸遜はいつまでも反撃しないことで、呉の歴戦の勇将たちから批判されながらも、勝機を待ったことで、劉備をかつての赤壁の戦いのように火計で破りました。

劉備は、仲間の関羽と張飛を失った怒りで、呉を攻めましたが大敗してしまい、失意の内に最後が訪れたのです。

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劉備は流浪して困窮している際に劉安から人肉をもらってしまったのです

三国志の劉備は、劉安の元に避難していた際に、劉安の妻の人肉を食べてしまいました。

劉備は肉が不思議な食感だったため、劉安に何の肉か尋ねたところ、何かの動物の肉だと答えたのです。

ですが、血だらけの女性を劉備は発見してしまいました。

劉備は人肉だったことに気付き、劉安に追求したところ、食料が無かったので、妻に犠牲となってもらったことを白状したのです。

ちなみに、劉備の軍師諸葛亮は、異民族が人を生贄に祈りを捧げていることを知ったため、肉まんを代わりとしました。

諸葛亮がいなければ、現代の人たちが、美味しい肉まんを食べられなかったかもしれません。

劉備は、劉安(りゅうあん)から食べさせてもらった肉が、人肉だったため、衝撃を受けたのです。

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まとめ:三国志劉備玄徳(りゅうびげんとく)はどんな人?と逸話と能力

三国志の劉備が、どれくらい凄い人かを解説してきました。曹操のようなハッキリとした能力ではない、無形力なパワーでしょう。

劉備が大志を持ち謙遜していたため、経済的にも助ける人がいたことも説明してきました。今あまりお金が無い人は、まずは謙虚に生きてみてはどうでしょうか。

そして劉備が、曹操から重用されていたことも記載しました。劉備は敵に回りますが、曹操は敵を評価出来るほどに、大物だったとも言えるでしょう。

また、劉備の桃園の誓いの仲間があえない最後だったので、劉備もすぐに最期となったことも書きました。

張飛と関羽が生存していたら、曹操と孫権にいずれは、勝てたのでしょうか。

劉備は、乱世の中でも、仁義を重んじた人物なので、優しさ重視の人も参考になるでしょう。

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