故事成語の死せる孔明生ける仲達を走らすは、諸葛亮の神謀に翻弄された、司馬懿の姿が由来です。
そして司馬懿は、死者の策略は対処する難易度が高い、と嘆息しました。諸葛亮クラスになると死すらも、策謀に使えるのでしょう。
また、死せる孔明生ける仲達を走らすは、兵法三十六計の借屍還魂なのです。死者の力を上手く利用するほどの人物、であってこそ、名軍師なのでしょう。
他にも、司馬懿の仮痴不癲の兵法も説明していきます。諸葛亮に翻弄されるだけで終わらないのが、司馬懿の底力でしょう。
ちなみに、死せる孔明生ける仲達を走らすの読み方は、しせるこうめいいけるちゅうたつをはしらすです。
死せる孔明生ける仲達を走らすを、中国語ではなく現代語訳で、わかりやすく解説していきます!
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目次
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諸葛亮は五丈原の戦いの際に自らの木像で死せる孔明生ける仲達を走らすを成功させました
五丈原の戦いで最後が近付いた諸葛亮は、自身の木像を製作し、司馬懿を困惑されたのです。
司馬懿は、諸葛亮が策の多い人物であることを知っていたので、ただの木像に操られました。
司馬懿ではなく、他の魏の武将が諸葛亮を攻撃していたら、蜀漢軍が壊滅していた可能性もあるのではないでしょうか。
ちなみに、蜀漢は魏の鍾会と鄧艾によって滅ぼされ、鄧艾と鍾会も蜀漢滅亡の混乱に巻き込まれ、最後を迎えました。
ことわざの死せる孔明生ける仲達を走らすは、三国志の諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が自分の木像を、五丈原の戦いで追い撃ちして来た司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)に見せ、撃退したことを意味しているのです。
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死せる孔明生ける仲達を走らすをさせられた司馬懿は死者が相手では策を見通すことは難しいと述べました
司馬懿は五丈原の戦いで、死後も諸葛亮に翻弄されたため、生きている相手なら計算も出来るが、死者では作戦を見抜けないものである、と語ったのです。
諸葛亮の北伐の際、司馬懿は強国魏を率いていながら、蜀漢に止めを刺すことが出来ず、最期も孔明にしてやられました。
また諸葛亮は、北伐で無理に登山した馬謖を、厚遇していながらも、泣いて馬謖を斬る非情さを見せてもいるのです。
相当の決意を持った諸葛亮の策なので、有能な司馬懿でも、対抗するのは難しかったのでしょう。
死せる孔明生ける仲達を走らす状態に陥った、三国志の司馬懿は、生者なら戦略を予測仕様もあるが、死者ではどのような策か把握するのは難しい、と嘆きました。
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諸葛亮と死せる孔明生ける仲達を走らすを被った司馬懿は良き宿敵関係でしたが反骨の相の魏延に邪魔されたのです
魏延は、諸葛亮が長生きするための儀式を行っていた際に、妨害してしまい、孔明が司馬懿との戦いが続けられない状況に、追い込んでしまいました。
元々魏延は、裏切りをし易い反骨の相を持っていたため、諸葛亮の長命の儀式でも、反骨の相が発揮されてしまったのです。
そして諸葛亮は、司馬懿を死後誘導したのと同様に、馬岱が魏延に、ここにいるぞで最期を加える作戦を指示していました。
馬岱は、魏延の味方かのような振る舞いをしていたため、魏延は油断し、馬岱に簡単に斬られたのです。
三国志の反骨の相の魏延文長(ぎえんぶんちょう)が、諸葛亮の延命の儀式を妨げていなければ、死せる孔明生ける仲達を走らすが、起きなかったかもしれません。
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兵法三十六計の借屍還魂が使われたのが三国志の故事成語の死せる孔明生ける仲達を走らすでしょう
死せる孔明生ける仲達を走らすは、兵法三十六計の借屍還魂が活用された事例です。
そして三国志の曹操は、後漢皇帝献帝劉協の権威を操り、大勢力となりました。当時後漢はかなり衰退していたので、借屍還魂が使われたと言えるでしょう。
ただ曹操は、自らが皇帝にはならず、周の文王を真似て、人々に徳があることを示したのです。
董卓は一旦は後漢を掌握しましたが、あからさまだったので滅びたわけですが、曹操は乱世の奸雄と称されたように、巧みに後漢を支配しました。
三国志の諸葛亮は、兵法三十六計の借屍還魂を利用し、死せる孔明生ける仲達を走らすを成功させ、曹操孟徳(そうそうもうとく)は後漢皇帝献帝劉協伯和(りゅうきょうはくわ)を確保し、借屍還魂で中原を治めたのです。
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司馬懿は諸葛亮の空城の計で死せる孔明生ける仲達を走らすと同様に退却させられました
諸葛亮は愛弟子の馬謖が、街亭の戦いで登山したために、張郃に大敗北し司馬懿も侵攻して来たので、空城の計を披露したのです。
実際は、諸葛亮の軍勢はかなり弱体化していたのですが、わざと城に招き寄せるような陣容を、司馬懿に見せました。
司馬懿は諸葛亮が策士なので、何か作戦があると誤解し、追撃せずに撤退したのです。
また、諸葛亮が並の武将であれば、司馬懿も疑わずに、突撃していたのではないでしょうか。
ちなみに五虎大将軍の趙雲も、有能だと思われていたため、空城の計を行い危機を脱したとされています。
死せる孔明生ける仲達を走らす以前にも、三国志の諸葛亮は空城の計で司馬懿を退かせ、街亭の戦いの馬謖幼常(ばしょくようじょう)の大敗拡大を防ぎました。
⇒空城の計!三国志孔明、三方ヶ原浜松城、失敗、史実意味わかりやすく
五丈原の戦いで司馬懿は隕石の占いで諸葛亮の死因を見通しましたが死せる孔明生ける仲達を走らすな目に遭いました
司馬懿は占星術にも長けていたため、諸葛亮が死を迎えたことを見抜きましたが、結局は策に混乱させられたのです。
そして諸葛亮自身も、自らの死が近いことを知っていたため、五丈原の戦いで司馬懿に女性向けの服を送り付け、出陣を催促してもいました。
しかし司馬懿は、皇帝曹叡の権威を使い、武将たちの出撃を厳禁させ、持久戦で諸葛亮を最後に追い込んだのです。
また曹叡は、前漢の武帝と秦の始皇帝レベルの才覚がある、とまで称されていた皇帝でした。
曹叡はあまり長生き出来なかったので、長命であれば、魏が三国統一を達成していたかもしれません。
司馬懿は、死せる孔明生ける仲達を走らすを受けましたが、三国志の五丈原の戦いでは挑発に乗らず、長期戦で諸葛亮を破滅させました。
⇒曹叡有能!死因、後継者養子、側近、母甄姫、卑弥呼、曹丕袁煕も解説
司馬懿は死せる孔明生ける仲達を走らすの教訓を兵法三十六計の仮痴不癲で活かし曹爽に最後をもたらしたのです
兵法三十六計の仮痴不癲で曹爽を騙した司馬懿は、かつて諸葛亮に操られた経験が、活かされたのでしょう。
そもそも曹爽は、司馬懿を魏の功臣として礼遇していたのですが、権力を拡大するために、司馬懿を遠ざけるようになったのです。
そして司馬懿は、老衰したかのように思わせるために、仮痴不癲を行い曹爽派の武将を欺き、曹爽の油断に付け込み一気に成敗しました。
司馬懿の英断があったからこそ、息子の司馬師と司馬昭が、台頭していけたのでしょう。
死せる孔明生ける仲達を走らすを被った三国志の司馬懿は、兵法三十六計の仮痴不癲で、曹爽昭伯(そうそうしょうはく)を騙し討ちにし、司馬一族の栄達に貢献したのです。
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まとめ:死せる孔明生ける仲達を走らす(しせるこうめいいけるちゅうたつをはしらす)の史実意味由来と使い方あらすじと現代語訳わかりやすく解説
故事成語の死せる孔明生ける仲達を走らすのあらすじを、わかりやすく解説してきました。諸葛亮がいたからこそ、魏もなかなか蜀漢を、攻略出来なかったのでしょう。
そして反骨の相魏延が、死せる孔明生ける仲達を走らすの遠因になったことも、説明してきました。諸葛亮の敵は司馬懿だけでなく、身内にも潜んでいたのでしょう。
また、諸葛亮が空城の計で、司馬懿を撤退させたことも述べてきました。死や空などの一見軍勢に成り得ないものを使えるのが、諸葛亮の凄さなのでしょう。
ことわざの死せる孔明生ける仲達を走らすは、諸葛亮が死すら操り、生きている奇才司馬懿を驚嘆させたことを、表現していたのです。