三国志と言えば、諸葛亮や劉備玄徳よりも、曹操を思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。
曹操孟徳のすごさの秘訣をたっぷり語っていきたいと思います。
曹操は、三国志を生き抜くスキルである兵法だけでなく、詩の能力にも長けていたのです。詩があると、凄惨な戦場でも心が平穏になるのでしょうか。
そして、曹操の知っておくべき名言もご紹介していきます。曹操の人柄や人間性も分かる驚くべき内容でしょう。
また、曹丕と劉備の曹操との関わり合いも記載しています。
劉備に興味がある人も、曹操とどのようなやり取りをしているか気になるのではないでしょうか。
三国志の曹操がどんな人か詳しく深掘りしていきますので、曹操を知っておきたいあなたも必見でしょう。
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目次
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曹操の天才的すごさとは?孫子、詩人
正史三国志の著者の陳寿は、曹操を時代を超えた英雄という意味の超世の傑と評しています。
有名な歴史書の著者からも評価される曹操は、凄いと言わざるを得ないでしょう。
兵法で世界的に有名な孫子を現在のような内容にまとめ上げたのが、曹操とされています。
曹操は、読解力だけでなく編集能力も凄いのです。
また、曹操は、詩人としても優れていました。短歌行の酒にむかえばまさに歌うべし人生いくばくぞが、有名です。
そして、曹操は誰にも相談せずに、すでに計略を思い付いていることも多かったのです。
孫子をまとめられるくらいなので、曹操自身が大将軍で大軍師のような立ち位置だったのでしょう。
有名な歴史書の作者からも、曹操はかなり称賛されていたのです。
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三国志曹操孟徳の名言
曹操は、勘違いで人を亡くならせていながら、俺が人を裏切っても人に俺を裏切らせはしないと発言したとされています。
三国志の初期の時代に、董卓という人物が専横を極めていたのです。
その董卓を曹操は、名刀で暗殺しようとしました。
ですが、董卓も手練れなので、曹操の思惑に気付いてしまったのです。
何とか曹操は逃げ切り、知人の呂伯奢(りょはくしゃ)の元に転がり込みます。
呂伯奢は理解のある人物で曹操を助けようとし、もてなしのための酒を購入しに出かけたのです。
ただ、なぜか帰りが遅く刃物を研ぐ音が聞こえてきました。
曹操は、呂伯奢が裏切ったと思い、呂伯奢の周りの人たちを処刑したのです。
結局は、勘違いだったとされています。
最後に曹操は、俺が人を裏切っても人に俺を裏切らせはしないと述べたと言われているのです。
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曹操はどんな人か人物像を解説します
曹操は、俺の言うことは正しい俺の成すことも正しいと述べたとされています。
かなり正義感が強く、正しいことを信じている人物だったのでしょう。
董卓という横暴な権力者を皆で連合して攻撃している際に、他の人々はいろいろ計算しながら動きませんでした。
ですが曹操は、董卓を倒すために、果敢に突撃したのです。
結果的には、曹操軍は大ダメージを受けますが、曹操の正義の意志に魅了された人は多いと言えます。
また曹操は、決まりを破った者が有力者であっても、容赦せずに厳酷に裁きました。
身が危険になることも顧みず行う姿は、まさに正義でしょう。
三国志の曹操は、自分自身の発言や行いを正しいと信じる人物だったと言えます。
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乱世の奸雄曹操孟徳の最後の言葉
曹操は、戦っている時代なので、喪を短縮し、金銀などの財宝も含めないようにと述べたとされています。
三国志の曹操らしい、魏の行く末を考えた言葉でしょう。
そして、曹操の部下の一人に諸葛亮と知略で渡り合った司馬懿仲達がいます。
曹操は、生前息子の曹丕に、司馬懿に注意するように言っていたのです。
曹操なら統御出来る司馬懿も、曹丕だと手玉に取られると思ったのでしょうか。
実際、司馬懿は曹丕の子孫の代になると、権力を掌握していきました。
また、曹操の死因は頭の病気とされています。賢いはずの曹操が頭に病?頭の使い過ぎなのでしょうか。
三国志の曹操は、亡くなった後も子孫たちのことを考えていたため、無駄を戒めました。
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周の文王を真似た魏王曹操と漢帝室から禅譲を受けた魏の文帝曹丕
曹操は、最後まで皇帝になりませんでしたが、曹丕は漢帝室から禅譲を受け魏皇帝に就任しました。
三国志の曹操は、周の文王が天下の多くを掌握していながら、家臣の身分で居続けたことを真似ていたのです。
曹操が皇帝になる実力があることは、その当時から明白だったのですが、あえて皇帝にならないことで、自らの徳の高さを示しました。
対して曹丕は、曹操ほどの実力がなく他の武将や人々に号令をかけるには、それ相応の権威や正当性が必要だったのです。
確かに曹丕が漢皇帝から禅譲を受ければ批判を免れませんが、それ以上のメリットが曹丕にはありました。
三国志の曹操は、王のまま死去しましたが、曹操の息子の曹丕は、皇帝になったのです。
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天下を論じる曹操孟徳と劉備玄徳の真意
曹操は、劉備と英雄を論じた際に、自らと劉備玄徳だけが英雄と述べたのです。
一見良い話に見えると思いますが、曹操からこれほど注目されていることを劉備は逆に恐れていました。
劉備は英雄と言われた際に、箸を落としましたが、驚きを誤魔化すために、雷の責任にしたとされています。
このような慎重さが、劉備がいろいろな偉人や賢人や武将の懐に上手く入っていき、逆に利用出来たゆえんでしょう。
また、曹操は、本当の人材を見抜く目を持っていたとも言えます。
そして、曹操と劉備は、真逆のやり方で勢力を拡大しました。曹操が力や謀略を使うなら、劉備は仁や義や謙遜で対抗したのです。
三国志の曹操孟徳は、劉備玄徳を高く評価していました。
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残忍で策略家な曹操の性格
曹操は、軍隊の食糧が足りなくなった際に、対策として食料を測る器を小さくしたところ、部下たちから不満が出始め他の者に責任をなすりつけたため、曹操には残忍さがあります。
もしかしたら、今の時代も、本当は違う理由で誰かが責任を負わされている可能性も・・・
また、曹操は若い時に遊びほうけていたのですが、叔父に注意されてしまいました。
一計を案じ叔父の前でかなり変な顔をしたところ、その後に父に確認されると、叔父は私のことが気に食わないみたいで、変なことを言ったのですよと述べたのです。
このことで、父は叔父の話の信用性を疑うようになったとされています。
三国志の曹操は、頭の回転が速いだけでなく、性格には残忍さが潜んでいました。
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人材収集家な曹操の魅力
三国志の曹操は、天下の多くの人材を集めていましたが、定軍山の戦いで、まだ足りないことを思い知らされたのです。
劉備と曹操の漢中あたりでの勢力争いが、定軍山の戦いです。
定軍山の戦いには、劉備軍から黄忠と法正、曹操軍からは夏侯淵が派遣されました。
夏侯淵は、法正の的確な策略の前に打ち取られてしまったのです。
曹操陣営の夏侯淵は、決して無能な将軍ではないにも関わらず敗れたため、曹操は、法正を非常に高く評価しました。
そして、法正のような人材が、曹操ではなく劉備に仕えていたということは、劉備が曹操以上の魅力を有している面があると言えるでしょう。
一見負けているにも関わらず、まるで曹操自身が勝者であるような考え方が出来るところが、曹操の魅力でしょう。
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曹操孟徳(そうそうもうとく)のすごさの他の話
三国志の曹操は、ことわざの題材になったり、他の人が出来ないような人材登用も行ったりしていました。
曹操の話をすると、曹操が現れるという話もあります。
三国志の曹操は、あまりにも能力が高く抜け目ないので、話をしただけで察知されてしまうということでしょう。
そして、曹操は、有能であればどのような人材も利用しようとする度量もありました。
長年争っていた呂布と陳宮を活かして活用しようとし、張遼も元は敵でしたが取り立て後に大活躍させたのです。
また、前漢の三傑の一人の張良クラスの賢者として陳平がいましたが、道徳的に問題のある人物でした。
曹操は、人材登用の際に、陳平のような人物でも、能力があれば取り立てると述べていたのです。
三國志の曹操は、今の時代にも残るようなことわざや人材採用のやり方を残しています。
⇒三国志じゅんいく!荀彧の推挙能力、荀攸、郭嘉、司馬懿、劉備も解説
まとめ:三国志曹操の天才的すごさ!
曹操がどんな天才で、すごさを持っていたかを解説してきました。あの孫子のテキストにも貢献していた偉人だったのです。
孫子の考え方ややり方を知ると、曹操のようになれるかもしれません。
曹操は、自分が裏切ったとしても、他人の裏切りは許さない決意があるという謎の名言も記載しました。
三国志の曹操は、他ではなかなか見られない独自の世界観を持っているということなので、そこも魅力でしょう。
曹操の最後の言葉も書きました。曹操らしい死後も先を見据えた発言でしょう。
曹操の息子の曹丕とライバルの劉備玄徳の話も説明しました。やはり、曹操は曹丕や劉備よりもすごさがあふれていると感じましたか?
三国志の曹操の天才さを見習いたいと思う人も多いでしょう、何度も読んで習得してみてください!