三国志の曹操の奇抜な軍師と言えば、程昱でしょう。
程昱は、改名した名前なのですが、不思議な夢が原因なのです。あなたも不思議な夢をよく見るなら、程昱のように、改名のチャンスが訪れているのかもしれません。
そして程昱は、劉岱からの採用は拒絶していていたにも関わらず、曹操にはすぐに仕えたのです。良い主君に巡り合う人は、一見非情に見えるのでしょうか。
また程昱は、後漢皇帝劉協の重要性を曹操に訴えていました。曹操は賢者なので、速やかに献帝を確保し、他の諸侯に号令をかけたのです。
他にも程昱が、人の弱味を利用する策略を行ったことも、説明していきます。手段を選ばないやり方こそ、乱世に必要なのかもしれません。
三國志の程昱を詳しく解説していきます!
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目次
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泰山で太陽を掲げる夢を見ていたことを荀彧に話し曹操から改名を指示された程昱
三国志の程昱は、程立という名前でしたが、夢で太陽を掲げていたため、程昱に変名しました。
泰山は、中国の帝王が、天下統治を祝う祭典を行っていた場所です。
そこで太陽を程昱が掲げたのは、曹操という太陽が天下統治に成功する、という意味なのでしょうか。
そして荀彧は、曹操から、我が子房張良である、と称賛された軍師です。
程昱は奇計を使う軍師ですが、荀彧はいわゆる正統派な軍師と言えます。
曹操の配下に様々な軍師がいることで、どのような事態にも、適切に対処出来たのでしょう。
程昱は、神聖な名山にゆかりが深く太陽からも保護された、超世の傑曹操孟徳(そうそうもうとく)の参謀なのです。
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役人の一人が賊にそそのかされて暴れ出したので計略で撃破した程昱
三国志の程昱は、乱世の流れで暴漢となってしまった役人を、城の者たちをまとめ上げて倒しました。
暴漢な役人は、他の民衆の支持を受けられず、外に待機していたのです。
ですので程昱は、城の元のトップの役人を見つけ出し、逃げ出した民衆も集めようとしました。
しかし民衆は、程昱の策が理解出来ずぐずぐずしていたので、無理やり城に戻し、大挙して暴漢役人を攻撃したのです。
例えば劉備なら、民衆の思いを優先して、暴漢役人からの被害を増大させてしまう危険性があるでしょう。
非情な手法の方が、結果的に被害を減少させる、良い事例ではないでしょうか。
程昱は、自分が正しいと考えたことを、手段を選ばずに実行する苛烈な軍師でした。
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曹操から仕えるように求められるとすぐに応じた程昱
三国志の程昱は、劉岱の時と異なり、曹操から登用されると即座に仕えました。
そして、程昱の行動があまりにも違うので、周りの人々もさすがに驚いたのです。
程昱はやはり、正しいと信じたことを周りがどう考えてもやり抜く、強靭なマインドの持ち主と言えるでしょう。
また、曹操が呂布と争っていたため、程昱は呂布奉先に親族を確保されている者に、奉先の味方を討たせました。
呂布に人質が通用しないと示すと共に、程昱陣営が強固な連携を有していることも見せたのです。
ちなみに程昱は、人の情を考慮しないやり方を行うので、人とぶつかることも多い人物でした。
程昱は、曹操の将来性を見通しすぐに仕え、呂布奉先(りょふほうせん)との戦でも活躍したのです。
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劉岱から高評価だったにも関わらず劉岱の先を見越して仕えなかった程昱
三国志の程昱は、四世三公の名門袁紹と白馬将軍公孫瓚との戦いで、結局は公孫瓚が敗れることを予測し、劉岱を助けました。
劉岱は元は、公孫瓚よりの人物だったので、公孫瓚に加勢しようとしていたのです。
劉岱は、最終的には程昱の予言通りになったため、程昱を軍師にしたかったのですが、断られてしまいました。
そして、劉岱の領域に黄巾の乱の残党の大軍が、押し寄せたのです。
部下の一人は、劉岱に、大軍なので侮ってはいけないと忠告したのですが、劉岱は無理に出陣し最後を迎えました。
程昱は、一度は劉岱公山(りゅうたいこうざん)を公孫瓚と袁紹の件で援護しましたが、黄巾の乱の件では見捨てたのです。
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後漢皇帝献帝劉協を確保すべきと曹操に進言した程昱と荀彧
三国志の程昱は、後漢皇帝の権威に着目し、献帝を獲得することが、曹操飛躍のチャンスだと考えたのです。
後に官渡の戦いで、大勢力の名門袁紹に曹操が勝利したわけですが、後漢皇帝を曹操が確保していたことも大きい要因でした。
そして程昱は、かつて袁紹が大軍勢で拠点に近付いて来た際に、曹操からの援兵を断ったのです。
程昱は自らの軍勢が増加すると、袁紹が警戒し、無理にでも攻撃して来る危険性がアップすると考えました。
結局袁紹は、程昱軍を攻撃せず無事に終わったのですが、危ない橋だったため、曹操も程昱の勇気を褒め称えたのです。
程昱は、袁紹の大軍を恐れず事なきを得、曹操が袁紹に勝利するためには、献帝劉協保持が重要だと主張していました。
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劉備の軍師徐庶が手強いので母親の文字の書き方を真似て徐庶をおびき出した程昱
三国志の程昱は、徐庶が曹操軍の勇将曹仁に勝利したため、母親への情を利用して徐庶を鞍替えさせました。
徐庶は、母親想いの軍師だったので、程昱の元に来たのですが、偽物だったことが発覚したのです。
母親は、息子を上手く育てられなかった責任から、自害してしまったと言われています。
徐庶は、母親のために帰還したつもりが、結局母親も主君劉備も失ってしまったのです。
徐庶は、騙されて曹操軍に加入したため、有効な進言を二度と行うことはありませんでした。
発言しない軍師を得ても、意味はないかもしれませんが、徐庶は劉備に味方も出来ないので、全くの無駄ではないでしょう。
程昱は、徐庶元直(じょしょげんちょく)の母親の書き方で徐庶を欺き、劉備を弱め主君曹操を強めたのです。
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劉備の影響力を警戒し曹操に処刑を提案した程昱
三国志の程昱は、劉備が後に、曹操にとって危険な人物になることを予見していました。
曹操は有能な者を厚遇することで、名声を得ていたため、劉備を処刑出来なかったのです。
そして、後に劉備が孫権の元に逃げ込んだのですが、孫権が劉備を討つという意見もありました。
程昱は孫権の能力を見極めており、劉備を利用して孫権が曹操に、盾突くことを予測したのです。
案の定、孫権は劉備と提携し、曹操の大軍を赤壁の戦いで打ち負かしました。
孫権は、曹操の他の配下が考えている以上に、賢者だったのでしょう。
程昱は、劉備と孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)の力量も正確に見抜いており、曹操を赤壁の戦いの大敗から救おうとしたのです。
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まとめ:三国志の程昱仲徳(ていいくちゅうとく)の能力と逸話
三國志の程昱が、人の本質を見通すことで、歴史に名を残したことを解説してきました。程昱を知ることで、あなたも人の本質を見透かせるかもしれません。
程昱が、劉岱の未来を見抜いていたことも説明してきました。曹操の腹心クラスになると、人の未来も簡単に見えるのでしょう。
そして程昱が、劉備陣営を弱体化させるために、徐庶を計略で味方にしたことも書いてきました。人の情を操るやり方は、どのような軍師にも効果的なのでしょうか。
また程昱が、劉備の実力を警戒していたことも、記載してきました。ここで本当に劉備を始末していた場合、曹操は生存中に中国統一を達成したかもしれません。
程昱は、曹操の軍師の中でも奇才な人物なので、知るほどの楽しいでしょう。