三国志で、超世の傑曹操を助けるために犠牲となった長男が、曹昂です。
曹昂は、曹操の身代わりになり最後が来ました。なぜ、曹操は軍勢から襲われたのでしょうか。
曹昂は、若くして死去しましたが、曹操の妻丁夫人から大事にされていました。曹操の問題で、曹昂が亡くなったと知った丁夫人は、どうしたのでしょうか。
そして、曹操の後は曹丕となりましたが、兄曹昂についても語っているのです。曹昂は優秀な人物だったのでしょうか。
また、曹昂の弟の中には、英雄霍去病と衛青を目指していた者もいます。その弟は果たして、衛青と霍去病になれたのでしょうか。
他にも、曹昂の弟の鬼才曹沖も書いていきます。曹沖なら、どのような重い動物の重量も分かるのでしょうか。
三國志の曹昂を解説していきます!
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目次
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曹操の女好きの犠牲とされ馬をあげた曹昂の最期
三国志の曹昂は、張繡の親戚の未亡人を曹操が欲しがったことを嫌った張繡の襲撃で、最後となりました。
張繡は、曹操を憎んでいたので、当然曹操に軍勢がかなり向かっていたのです。
ですが曹昂は、自分の馬を曹操に渡すことで、曹操を逃がしました。
曹昂は、生き残ることも出来たのですが、曹操以上の人物とは言い難いため、曹操に未来を託したのです。
もしもここで曹昂の方が生き残っていたとしたら、曹昂は他の武将たちをまとめ上げられたのでしょうか。
それに、曹昂の弟たちも、曹操がいたから大人しくしていただけで、曹操の方が死んでいたら、どういう動きをするか分からないでしょう。
曹昂は、曹操の女遊びに巻き込まれ、最期を迎えました。
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曹昂は曹操の妻丁夫人から愛されていたのです
三国志の曹昂は、生母が亡くなっていたので、息子がいなかった丁夫人から養育されました。
丁夫人は曹昂が、曹操の女好きで最後が来たので、激怒したのです。
そして丁夫人は、実家に帰ってしまいました。天下の曹操でも、丁夫人には敵わなかったのでしょう。
また、曹操のその後の妻は卞氏だったのですが、丁夫人への配慮を欠かしませんでした。
もしかしたら曹操は、卞氏経由なら丁夫人も受け入れるだろうと考え、指示していたのかもしれません。
それとも卞氏は、曹操の嫁として認められるくらいなので、丁夫人を扱うくらい容易だったのでしょうか。
丁夫人は曹昂を愛していたので、曹操を許すことが出来ず、実家に戻りそのまま最後となりました。
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曹昂の母劉夫人には息子としてもうひとり曹鑠もいました
三国志の曹昂には、弟して曹鑠が存在していたのですが、若くして亡くなったのです。
そして、曹操の父は曹嵩であり、徐州あたりにいた際に、陶謙の部下に最後を与えられました。
なので曹操は、報復として徐州に大軍を送り、荒らし回ったのです。
曹操が乱世の奸雄と評価される理由は、この残酷さにあるのでしょうか。
また、曹嵩の孫には曹安民がおり、宛城で曹昂と共に張繡軍に戦死させられました。
曹操の女遊びのせいで曹一族は、かなりのダメージを受けたのです。
英雄は色を好むと言いますが、曹操の女好きは果たしてどうなのでしょうか。
曹昂の弟が曹鑠(そうしゃく)で、祖父が曹嵩(そうすう)で、親戚に曹安民(そうあんみん)もいました。
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曹昂が生きていたら能力は弟曹丕(そうひ)よりも高いとは言えないでしょう
三国志の曹昂は曹丕から、能力的に限界があると評価されていたのです。
- 霍去病と衛青な曹彰は虎髭で武力に優れた曹昂の弟です
- 曹昂の弟曹沖は父曹操からも高評価な能力でした
- 曹昂の弟曹沖には元々曹丕の軍師司馬懿が付いていました
ただ、曹昂は若い時に亡くなっているので、努力次第では、弟曹丕たちを抜いていた可能性はあるでしょう。
それに曹昂は曹丕の兄なため、曹昂が曹操の後継者に、すんなりなれたのではないでしょうか。
その上で、曹丕や他の弟たちが補佐すれば、曹氏の天下も安泰では?
そして、曹丕は陰湿な性格で知られていますが、曹昂は曹操の身代わりになったように、孝行な性格なのです。
曹操は、後漢朝廷を蔑ろにしていると言われていたため、曹昂の徳があれば、なお良かったでしょう。
曹昂は、曹丕子桓(そうひしかん)の兄で、能力はそれほどでもないのですが、徳な性格でした。
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霍去病と衛青な曹彰は虎髭で武力に優れた曹昂の弟です
三国志の曹昂の弟曹彰には、虎のような勇猛な髭があり、武勇に長けていました。
曹彰は、兄曹昂が武力に特化したような将軍だったのです。
そして曹昂の弟の曹彰は、霍去病や衛青のような大将軍になりたい、と若い頃から述べていました。
霍去病と衛青は、異民族の匈奴を撃破した英雄です。
また、曹彰は霍去病のように連戦連勝だったため、異民族の頭目である軻比能も、軍門に下って来ました。
ちなみに曹彰は、あまり長生きしなかったので、曹昂の弟曹丕の脅威にあまりならなかったのです。
曹彰子文(そうしょうしぶん)は、曹昂の弟で、衛青(えいせい)や霍去病(かくきょへい)に憧れており、実際に何度も戦で勝ち、異民族も降伏しました。
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曹昂の弟曹沖は父曹操からも高評価な能力でした
三国志の曹昂には、極めて有能な曹沖という弟もいたのです。
ある時曹操は、象の重さを知りたいと思いました。
部下の誰も分かりませんでしたが、曹沖は象を大船に乗せ沈んだところにラインを引き、同じくらいの重さを入れることで、象の重さを証明したのです。
この賢さは、兄の曹昂や曹操の他の子供では、無理ではないでしょうか。
そして曹操は、曹沖を後継者の最有力候補と考えていたのですが、曹沖は若くして最後が来ました。
ちなみに、曹沖があまりにも優秀なため、曹丕が毒殺したという説もあるのです。
本気で重要な何かを得るためには、重大な犠牲がつきものなのでしょうか。
曹昂の弟の曹沖倉舒(そうちゅうそうじょ)は、たぐいまれな賢さを持っていましたが、若死にしました。
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曹昂の弟曹沖には元々曹丕の軍師司馬懿が付いていました
三国志の曹昂の弟たちには、天才軍師司馬懿の存在があったのです。
司馬懿は鬼才諸葛亮と対抗出来る逸材だったので、曹操が曹沖に期待していたのも分かるでしょう。
そして、曹昂の弟曹丕の息子が曹叡なのですが、曹叡の軍師も司馬懿仲達でした。
曹一族が呉や蜀漢と互角以上に戦えたのは、司馬懿の存在があったからでしょう。
また、曹沖は賢者として名高く、後になって曹丕も曹沖が生きていたら、自分は天下人でなかっただろうと述べています。
曹沖と司馬懿のタッグがあれば、曹一族が中国を再統一していたのでは?
司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)は、天才参謀として知られており、曹昂の弟曹沖と曹丕だけでなく曹叡にも仕えました。
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まとめ:三国志の曹昂子侑(そうこうしゆう)の能力と弟と生きていたら
三國志の曹昂が、どのような人物で、弟たちがどのような能力だったかを解説してきました。
曹操が有能なので、子供たちも基本的には能力が高いのでしょうか。
そして曹昂の母代わりだった丁夫人が、曹操に対してかなり怒っていたことも説明してきました。
超世の傑曹操に感情をあらわに出来るのは、かなり凄いでしょう。
また、曹昂の弟の虎髭曹彰と賢者曹沖も記載してきました。曹昂が生きていて弟たちを率いていたら、曹操も楽だったのでは?
他には、曹昂の弟たちの軍師だった司馬懿も述べました。司馬懿のような賢者を獲得出来てこそ、一族安泰なのでしょうか。
曹昂は、曹操の息子で重要な立ち位置なので、生きていたらどうなるか想像するだけでも楽しいでしょう。