三国志長坂の戦い!張飛、橋仁王立ち、趙雲、劉備、孔明、阿斗も解説

三国志の長坂の戦いは、張飛の橋の仁王立ちで有名でしょう。

張飛は、程昱からも万夫不当な武将として高評価でした。劉備が、張飛のような武将を100人くらい揃えるだけで、100万人クラスの軍勢を得たことになるでしょう。

そして、劉備の部下の趙雲が、伝説の剣を獲得したことも説明していきます。長坂の戦いは、劉備軍の敗戦ではなく、飛躍のステップも潜んでいたのでしょう。

また、諸葛亮孔明が長坂の戦いの前に、勇将夏侯惇に勝ったことも記載していきます。諸葛亮は天才軍師と言われているので、凄い策を披露したのでしょうか。

他にも、長坂の戦いに至るまでの、荊州の動乱も述べていきます。荊州を無理に得なかったところが、劉備らしいでしょう。

三國志の長坂の戦いを詳しく解説していきます!

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劉備の義兄弟張飛は長坂橋で仁王立ちし曹操軍を大喝しました

三国志の長坂の戦いでは、関羽の義兄弟張飛が、劉備への曹操軍の追撃を阻むために、威嚇したとされています。

張飛は、曹操の軍師程昱から、軍勢1万人くらいの強さと言われるほどの猛将だったのです。

そして、張飛の長坂橋の仁王立ちの威圧は、浮世絵としても人気で、髪が逆立ち眼だけで敵を討てるほどの迫力に、描かれています。

また、張飛と義兄弟の関羽と劉備の三人に、互角以上の強さだったのが呂布です。

呂布が長坂橋で威嚇したら、曹操軍が吹き飛んだかもしれません。

程昱から、1万人ほどの軍隊と同じくらいの強さと称された張飛益徳(ちょうひえきとく)は、劉備の逃亡を助けるために、仁王立ちし長坂橋で大喝しました。

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五虎大将軍趙雲は長坂の戦いで曹操の青釭剣を獲得しました

三国志の長坂の戦いで趙雲は、曹操の宝剣を預かっていた夏侯恩を斬ることで、青釭剣を手に入れたのです。

青釭剣は、名前の通りブルーに輝いた武器であり、綺麗なだけでなく、どんなものも簡単に真っ二つに出来ました。

そして夏侯恩は、曹操の腹心夏侯惇の弟、とされています。

また、夏侯惇の兄弟には、定軍山の戦いで軍師法正と黄忠に大敗した、夏侯淵もいるのです。

劉備は長坂の戦いで、曹操から逃げていますが、趙雲などの勇将もいました。

趙雲子龍(ちょううんしりゅう)は長坂の戦いで、曹操孟徳(そうそうもうとく)の宝剣の美しく青く輝いていた青釭剣を入手し、敵を容易に斬れるようになったのです。

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劉備の子供劉禅阿斗を長坂の戦いで救出したのが五虎大将軍趙雲です

三国志の長坂の戦いで劉備は、曹操軍から上手く逃げるために、息子の阿斗劉禅を置き去りにしました。

趙雲は、阿斗を失うと劉備が後々後悔すると考え、曹操の大軍の中に飛び込んだのです。

劉禅阿斗は、劉備の妻糜夫人と共におり、趙雲が来ると糜夫人は、足手まといになることを恐れ、井戸に身を投げました。

そして趙雲は、主君劉備の妻糜夫人を助けられなかったので、不忠と言われることもあります。

ちなみに張飛は、趙雲が長坂の戦いで敵陣に突っ込んだことを最初は、寝返ったと勘違いしたのです。

長坂の戦いで、趙雲は劉備の息子阿斗劉禅公嗣(りゅうぜんこうし)を助けましたが、劉備の妻糜夫人を救出出来ませんでした。

⇒阿斗!劉禅ことわざ、阿呆意味、趙雲、井戸投げる、三国志劉備も解説

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長坂の戦いで無事逃げ切った劉備は孫権配下の魯粛を味方としたのです

三国志の長坂の戦いで劉備は、南方の呉巨の元に逃れるつもりでしたが、曹操に対抗しようとしていた孫権の部下の魯粛と会見しました。

魯粛は、後漢と曹操に仕えず、主君孫権が第三勢力になることを期待していたのです。

そして魯粛は、劉備が孫権が皇帝になるために役立つと考え、会談しました。

しかし孫権陣営は、曹操の大勢力を畏怖しており、張昭を代表に降伏すべきという意見も多かったのです。

また当時、曹操に対抗し得る勢力は、劉備と孫権くらいしかおらず、赤壁の戦いは劉備のラストチャンスと言えるものでした。

劉備は、趙雲と張飛の活躍により、長坂の戦いで曹操から生還出来、孫権配下の魯粛子敬(ろしゅくしけい)とも会い、赤壁の戦いを行う準備が整ったのです。

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劉備は長坂の戦いで関羽と劉琦の援軍により逃げ延びたのです

三国志の長坂の戦いで、荊州八俊の劉表の息子劉琦と関羽が助けに来たため、九死に一生を得ました。

関羽は、劉備の部下の中でも選りすぐりの武人であり、長坂橋仁王立ちの張飛よりも強い、とされています。

そして劉琦は、荊州の蔡瑁張允から生き残るために、諸葛亮の策で火中から離れていたのです。

また劉琮は、荊州を曹操が獲得すると、于禁から暗殺されたと言われています。

兄のものを、味方の部下の策略に乗せられかすめ取ったので、天に代わって曹操が処罰したのでしょうか。

劉備は、義兄弟の関羽と荊州の劉表の子供劉琦(りゅうき)が、援軍に来たので、長坂の戦いの曹操軍の追撃から生還しました。

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長坂の戦いの前夜諸葛亮孔明は博望坡で夏侯惇に勝利しました

三国志の長坂の戦いの直前に、劉備の軍師諸葛亮は、曹操の腹心夏侯惇を博望坡で破ったのです。

劉備は軍師徐庶に知略で、以前曹操軍に勝利したのですが、徐庶は曹操の軍師程昱の策で、劉備の元を去らなければならなくなりました。

徐庶は後任に諸葛亮を推挙したため、劉備は三顧の礼で孔明を招いたのです。

そして、曹操軍の夏侯惇が近付いて来たので、諸葛亮は趙雲にわざと撤退させ、草むらに夏侯惇をおびき出しました。

夏侯惇は味方の李典から、注意を受けていましたが、諸葛亮を侮り火計で負かされたのです。

劉備の軍師諸葛亮孔明は、長坂の戦い前夜の博望坡で、趙雲に偽装退却させ、夏侯惇元譲(かこうとんげんじょう)に火攻めで勝利しました。

⇒三国志かこうとん!夏侯惇能力、眼帯逸話、曹操死因、関羽因縁も解説

諸葛亮孔明は長坂の戦いの前に劉備が荊州を奪うべきと献策しました

三国志の長坂の戦い前夜諸葛亮は、劉備が劉表の息子劉琮から荊州を取るべき、と述べたのです。

劉備は仁義を行っていたので、自分の目的を優先して劉琮から、荊州を奪えませんでした。

そもそも劉琮の父劉表には、後継者として劉琦もいたのですが、蔡瑁張允の策で、荊州で居場所を失ったのです。

ですので、劉備が劉琦を担ぎ出し、劉琮を追い出すのは、正統とも言えました。

また劉琮は、曹操の大勢力を恐れており、蔡瑁張允の薦めもあり、曹操にすぐに降伏したのです。

諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)は劉備が荊州を獲得すべき、と長坂の戦いの前に主張しましたが、劉備は仁義により行いませんでした。

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まとめ:三国志長坂の戦いの張飛仁王立ちと趙雲孔明劉備

三國志の長坂の戦いの劉備軍には、層の厚さがあることを解説してきました。たとえ敗北しても有能な武将がいれば、いつか再起出来るのではないでしょうか。

そして、張飛が長坂橋で、曹操軍を迫力だけで圧倒したことも、説明してきました。張飛がもっと本気で大喝したら、長坂の戦いは、劉備軍の勝利だったかもしれません。

また、趙雲が長坂の戦いで、決死の覚悟により、劉備の息子阿斗劉禅を助けたことも述べてきました。

死をものともしない趙雲がいたことで、劉備軍がなぜ、強大な曹操と戦い得たかも分かるでしょう。

他にも、長坂の戦い前夜の、軍師諸葛亮孔明の活躍も書いてきました。張飛趙雲孔明が集まっているだけで、劉備のずば抜けたカリスマ性が見えるのではないでしょうか。

劉備が曹操から逃げながらも、劉備軍がどれくらい強いか示されたのが、長坂の戦いでしょう。

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