三国志の主人公と言うべき英雄が、曹操ではないでしょうか。
曹操は、乱世の奸雄というユニークな評価を受けていました。曹操は、一般の英雄と異なり策略に長けている人物だったのですが、何か関係があるんでしょうか。
そして曹操は、超世の傑とも評価されていました。時代を乗り越えるスケールの人物という意味ですから、曹操は英雄以上と言えるかもしれません。
また曹操は、自分のようなすごさを持った英雄を探していました。曹操は、どのようなレベルの逸材を求めていたのでしょうか。
他にも、英雄曹操にピッタリな名剣も説明していきます。曹操は名剣を、なんと二本も持っていたのです。
三國志の曹操がどれくらい英雄かを詳しく解説していきます!
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目次
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許劭は曹操を治世の能臣乱世の奸雄と称しました
三国志の英雄曹操は、人物評価で有名な許劭から、乱世の奸雄であり治世の能臣、と言われたのです。
曹操が、治まった平穏な世の中では有能な武将だが、乱れた世の中では謀略に長けた英雄である、という意味でしょう。
そして曹操は、後漢で権力を掌握するために、皇帝一族まで処刑し自分の娘を皇帝劉協に嫁がせました。
乱世の奸雄、と言うべき所業ではないでしょうか。
後に曹操の娘曹節は、兄曹丕が皇帝になろうとした際に、献帝劉協が禅譲することを防ごうとした、とされています。
曹節はいつの間にか、後漢皇帝側の人になっていたのでしょうか。
曹操は、治世の能臣乱世の奸雄である、と人物評価で著名な許劭(きょしょう)から、述べられていました。
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曹操は橋玄から乱れた中国の世を正すことが出来る逸材と評価されていたのです
三国志の英雄曹操は、橋玄からも、乱世の救世主だと思われていました。
しかも橋玄は、自分の妻子を預けたいとまで述べていたのです。
後に曹操は、後漢皇帝劉協を超える実力を保有し、他の武将を圧倒する人物となったため、橋玄の人物評価は適切だったのでしょう。
そして橋玄は、娘に、美女の江東のニ喬の小喬大喬がいます。
曹操が、大喬と小喬を獲得することも理由のひとつとして、赤壁の戦いを引き起こしたとされていますが、橋玄の妻子を預けたいが根拠なのでしょう。
曹操は、絶世の美女大喬(だいきょう)と小喬(しょうきょう)の父橋玄(きょうげん)からも世を救う逸材、だと見なされていました。
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正史三国志の作者陳寿は曹操を超世の傑非常の人と高評価したのです
三国志の英雄曹操は、三国志の著者の陳寿からも、時代を超えたヒーローであり特別な人物である、と書いています。
陳寿は、たくさんの三國志の世界の武将を論評しているのです。
その陳寿から好印象ということは、それだけで曹操が、すごい英雄だということが分かるでしょう。
そして陳寿は、蜀漢で活躍した人物だったので、蜀漢への格別な思い入れが三国志の蜀書に出ています。
にも関わらず、魏の偉人の曹操に絶大な評価をしたというのは、曹操がやはり大英雄だからでしょう。
曹操は、正史三国志の著者陳寿承祚(ちんじゅしょうそ)から、非常の人超世の傑と、諸手を挙げて称賛されるほどの英雄だったのです。
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曹操は諸葛亮からも孫子呉子クラスの兵法であると評価されていました
三国志の英雄曹操は、劉備の軍師諸葛亮からも、いにしえの偉大な兵法家呉子孫子レベル、と思われていたのです。
そして曹操は、孫子の兵法を魏武注孫子に、編纂し直したほどの兵法家でした。
曹操が常に戦に強いのは、孫子を編纂して自分自身で習得したからでしょう。
また呉子は、呉起の考えを兵法書にしたもの、と言われています。
呉起は、強欲で女好きでしたが、天下無双な用兵だったのです。
ちなみに呉起は、楚で宰相となりましたが、厳酷な法治で中央集権体制を目指したので、旧来の利権集団を敵としてしまい、あえない最期を迎えました。
曹操は、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)からも、孫子呉子レベルの兵法の実力がある、と高評価な英雄だったのです。
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曹操は求賢令で呂尚や陳平レベルの英雄や軍師を獲得しようとしたのです
三国志の曹操は、中国の伝説的な軍師陳平や呂尚クラスの偉人を招こうとしました。
呂尚は、太公望と呼ばれる軍師で、清らかな人柄で釣りをしていたのです。
そして、曹操も尊敬していた周の文王は、呂尚を獲得することで、後に子の武王が殷の紂王を倒すことに貢献しました。
また陳平は、素行の悪い道徳的に問題のある人物でしたが、前漢の初代皇帝劉邦を助けた軍師だったのです。
道徳的に優れているかどうかではなく、能力を重視した登用方法を曹操は優先していました。
曹操は、どのような能力の人材でも、使う自信があったのでしょう。
曹操は、呂尚子牙(りょしょうしが)や陳平(ちんぺい)のような、すごい軍師や英雄を採用しようとしたのです。
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曹操は自らを英雄であると語り劉備は袁紹以上の英雄であるとも語っていました
三国志の曹操は、自分自身で能力の高さを自負しており、劉備を四世三公の名門袁紹以上の英雄と考えてもいたのです。
曹操と劉備は後には、完全に敵対しますが、当初は劉備が曹操に仕えるような間柄でした。
劉備は勢力基盤が無く、実力者に付きながら生き永らえる人物、だったのです。
そして袁紹は、一時期は曹操を飲み込むほどの大勢力でしたが、官渡の戦いで曹操に負けました。
また、劉備はしばらく後に、曹操や他の勢力から自立し、定軍山の戦いで、曹操軍の勇将夏侯淵を討ったのです。
曹操が予測した通り、劉備は袁紹以上の人物だったのでしょうか。
曹操は自分の能力だけでなく、劉備玄徳(りゅうびげんとく)の将来性も、的確に分析した英雄でした。
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曹操は英雄にふさわしい天をも斬れる倚天剣を持っていたのです
三国志の英雄曹操は、倚天剣という天すら討てる、と評判の名剣を所有していました。
曹操は後漢朝廷で、前例を超えるような大出世を果たしましたが、倚天剣の効力だったのでしょうか。
そして曹操は、もうひとつ名剣として青釭剣も持っていました。
曹操は、青釭剣を夏侯恩に預けていたのですが、長坂の戦いで夏侯恩が討たれ、趙雲に名剣も取られたのです。
英雄な曹操でも、名剣を二本を持つのは不適切、という天の判断なのでしょうか。
ちなみに趙雲は、劉備陣営において五虎大将軍であり、武神関羽と張飛の次くらいの武将でした。
曹操は英雄らしく、天も斬れると評判の倚天剣(いてんけん)と青釭剣(せいこうけん)も保持していたのです。
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まとめ:三国志の曹操孟徳(そうそうもうとく)は超世の傑で乱世の奸雄なすごさを示した天才英雄
三國志の曹操が、どれくらい凄い英雄かを解説してきました。英雄を目指している人はまずは、曹操を学ぶと良いでしょう。
曹操は、すごい美人な大喬と小喬の父橋玄からも、絶大な支持を得ていたことを説明してきました。
やはり歴史に業績が残る偉人は、若い時から片鱗があるものなのでしょう。
そして曹操が、諸葛亮からもすごい兵法家、だと思われていたことも記載してきました。兵法や用兵を知りたい人も、曹操を把握するのがおすすめでしょう。
また曹操が、自分自身を英雄として自覚していたことも述べてきました。曹操レベルになると嫉妬ではなく、むしろ英雄では足りないくらいに思われるのではないでしょうか。
曹操は、乱世の奸雄でありながらも超世の傑な英雄なので、どのような人物でも、能力次第で未来があると思えるでしょう。