三国志の呉の初代皇帝は、孫権という偉人です。
三国志の孫権は、越王勾践の雰囲気を感じさせる大人物と言えます。どのような点が勾践風なのでしょうか。
そして、孫権はあの有名な兵法家の子孫でもあるのです。かなり知っている人も多いあの人です。
孫権のまさに名君な性格も、説明していきます。これだけの性格を兼ね備えてこそ、劉備や曹操と張り合えるのでしょう。
また、呉の最後の皇帝もご紹介していきます。初代皇帝を超える存在だったのでしょうか。
他にも、いろいろな地域の初代皇帝もお知らせしていきます。把握しておくだけで、物知りになれるでしょう。
呉の初代皇帝を詳しく解説していきます!
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目次
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臥薪嘗胆越王勾践の再来な呉の初代皇帝孫権
呉の初代皇帝孫権は、勾践のような忍耐と実力を兼ね備えた人物だったのです。
- 兵法の達人孫子の子孫な三国志孫権のエピソード
- 三国志の呉で人気な将軍兼軍師は周瑜と陸遜です
- 三国志呉の人物の孫権は病が死因、晩年も解説
勾践(こうせん)は、敵の夫差王(ふさおう)に敗れ臣従することになりましたが、じっと再起をうかがうことで、夫差王を逆に打ち負かすことが出来ました。
孫権は、敵である曹操や曹丕の臣下になったふりをして難を逃れたのですが、勾践の忍耐強さに似ていると言えます。
また、忍耐強さでは、日本の江戸幕府初代将軍徳川家康も、引けを取らないでしょう。
忍耐中に、実力が磨かれるのでしょうか。
勾践は、春秋の五覇という春秋時代を代表する実力者とされてもいるのです。
孫権も三国志を代表する偉人ですから、三国志の五覇の一人とも言えるでしょう。
三国志の呉の初代皇帝は、春秋の五覇勾践の再来な人物だったのです。
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兵法の達人孫子の子孫な三国志孫権のエピソード
三国志の呉の初代皇帝孫権は、兵法書で有名な孫子の末裔と言われています。
赤壁の戦いと夷陵の戦いで不利な情勢で勝利するほど、孫権は兵法にも長けていたので、血筋の影響かもしれません。
赤壁の戦いは、北方を制覇した曹操が天下統一に向けて、呉の孫権を倒そうとしたものです。
孫権は、大軍の曹操の弱点である水上戦をさらに火攻めで追い打ちをかけて、勝利しました。
夷陵の戦いは、関羽と張飛の件で恨みを買った呉の孫権に、劉備が大軍で攻め込んできたのです。
孫権たちは、劉備を奥深くに導くことで戦線を伸びきらせ、再び火計で大軍を負かしました。
2度の大戦を巧みな兵法と火計で勝利した呉の初代皇帝孫権は、まさに孫子の子孫な人物です。
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三国志の呉で人気な将軍兼軍師は周瑜と陸遜です
呉の初代皇帝孫権の部下には、呉の五大将軍と言うべき周瑜と陸遜がいました。
赤壁の戦いの大勝利の立役者が、イケメンなので美周郎と呼ばれていた周瑜です。
周瑜は、曹操からの引き抜き工作を逆手に取って、曹操軍の重要人物を葬り去るほどの知略がありました。
そして陸遜は、武神な関羽の性格上の問題点を逆に活用する事で、呉の領土拡大に貢献したのです。
また、三国志の人気な軍師周瑜は、35歳という若さで亡くなりました。
もっと長生きして陸遜と共闘していたら、魏と蜀漢に対してダブル火計で大勝利、となったかもしれません。
周瑜公瑾(しゅうゆこうきん)と陸遜伯言(りくそんはくげん)は、最強軍師将軍武将として孫権に尽くしました。
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三国志呉の人物の孫権は病が死因、晩年も解説
呉の初代皇帝孫権は、70歳くらいで病で最後を迎えたと言われています。
名君として知られる孫権も、晩年になってくると、後継者争いで呉国を混乱に陥らせたのです。
三国志の孫権は、二人の息子を同じくらいに待遇することで、跡継ぎ争いを発生させてしまいました。
呉の家臣たちも二人のそれぞれに分散して加担したため、大変な状況になったのです。
夷陵の戦いで活躍した陸遜でも、収集出来ないほどの混乱ぶりでした。
結局息子二人共を罰することで、収束したのです。
どのような偉人名君でも、最後まで観察しなければ、その人物の本質は見えないのでしょう。
三国志の孫権は、呉を後継者問題でかき乱しましたが、かなり長生きして亡くなりました。
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呉の初代皇帝孫権は聡明仁智雄略な性格です
魏の君主曹丕に呉の使者が、参謀の魯粛や大将軍の呂蒙や捕虜の実力者于禁や領土戦略や曹丕への仕え方に関する事で、孫権の凄い性格を語りました。
- 孫権の妻は藩淑(はんしゅく)です
- 孫権の兄はいにしえの覇王項羽に似ていた孫策(そんさく)です
- 孫権の父の孫堅の策略無中生有
曹丕も見事な話に感心し、孫権に呉王を与えたとされています。
そして、曹丕は陰湿な性格で、歴戦の勇将于禁が降伏したことを憎んでおり、わざと見える場所に、于禁が降伏した画を飾ったのです。
陰湿な曹丕から呉王を引き出した使者を部下としていた孫権の才能も、垣間見えるでしょう。
また、孫権は三国を統一することよりも、呉あたりの地域を治められれば充分、という考えだったのかもしれません。
蜀漢としっかり同盟し、全兵力で魏を攻めた場合、呉が三国統一もあり得たのでは?
呉の初代皇帝孫権は、様々な美徳を兼ね備えた名君だったのです。
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孫権の妻は藩淑(はんしゅく)です
呉の初代皇帝孫権の妻の藩淑は、絶世の美女でした。
藩淑は親族が罪となっていたため、不遇な人生を過ごしていました。
ですが、藩淑は美貌を身に付けており、孫権からも注目され、次の皇帝である孫亮を誕生させたのです。
藩淑は、自分の立場を有利にするために人を批判することが多かったので、敵を増やし過ぎ自分も追い込まれ亡くなっていきました。
そして、呉の初代皇帝孫権には、他にも愛する夫人歩練師がいたのです。
孫権は歩練師を愛し過ぎていたので、皇后にしようとしました。皇帝や偉人クラスの人から好まれたい人は、歩練師を学んでみてください。
大変な美人だった藩淑は、孫権の妻を努め、呉の第二代皇帝の母となったのです。
孫権の兄はいにしえの覇王項羽に似ていた孫策(そんさく)です
三国志の孫策は、大将軍項羽のような覇気があったため、小覇王と呼ばれていました。
項羽は威圧感で皆がひれ伏すほどの武将でしたが、孫策も気合で敵を落馬させたことがあるのです。
若い時は、気迫や気合だけで乗り切れることも多いでしょう。
項羽は、参謀の范増のことすら疑う人物で、身を破滅させました。
しかし孫策は、周瑜や張昭などの軍師を信頼していたため、後継者の孫権は呉の初代皇帝に就任出来たのでしょう。
もしかしたら、項羽が生まれ変わって孫策として無念を晴らさせたのかもしれません。
呉の初代皇帝孫権の兄孫策伯符(そんさくはくふ)は、項羽と同じようなオーラで、小覇王と評されていたのです。
⇒劉邦と韓信!逸話、ことわざ、名言、最強将軍、子孫、妻、最期も解説
孫権の父の孫堅の策略無中生有
呉の初代皇帝孫権の父孫堅は、暴挙をしている者たちを見たため、わざと身振り手振りで官憲を装い、暴漢を追い払いました。
兵法三十六計に、意図して手の内を明かすことで、相手を思い通りに動かす無中生有(むちゅうしょうゆう)がありますが、孫堅の策は、この兵法でしょう。
そして、孫堅は幸運なことに皇帝になる証である伝国璽を発見したのです。
江東の虎と呼ばれ勇猛な孫堅が野心にまみれていくと・・・
孫堅が、伝国璽を持っているといううわさは瞬く間に広がり、孫堅の敵は倍増してしまい、あえない最後に終わりました。
強力なアイテムは、それにふさわしい器量が無ければ、むしろ害になるのでしょう。
孫堅文台(そんけんぶんだい)は、無中生有の兵法で、暴漢を手玉に取ったのです。
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呉の最後の皇帝は孫晧(そんこう)です
三国志呉の最後の皇帝孫晧は、若い頃は小覇王の孫策に似ていると言われていました。
それに、皇帝就任の初期のころも、評判が良い政治を行っていたのです。
そして、孫晧は、いつの間にか皇帝の権力に取り込まれてしまい、酒と女性関係の問題を頻発させました。
ただ、孫晧自身も責任は感じていたようで、国が傾いて晋に攻められ出すと、自らは責任を負い、部下たちには晋で活躍して欲しいと願ったとされています。
また、孫晧の時代には、陸凱という夷陵の戦いで大戦果を上げた陸遜の親戚もいました。
陸遜の親戚らしく名将な雰囲気をまとっており、何とか孫晧を正そうとしたのです。
呉の初代皇帝孫権の孫の孫晧は、呉の最後の皇帝であり、若年の際は期待されましたが、荷が重過ぎて、呉を滅亡に導きました。
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他の初代皇帝!三国志中国以外も解説
唐・中国・明・清・後漢・三国志・ロシア・元・宋の初代皇帝だけでなく、初代皇族将軍も解説していきます。
唐の初代皇帝は、李淵です。中国自体での初代皇帝は、始皇帝と言われています。明の初代皇帝は、朱元璋です。
そして、清朝の初代皇帝は、ヌルハチとされています。後漢の初代皇帝は、光武帝劉秀で、新の初代皇帝は王莽です。
三国志の魏の初代皇帝は曹丕で、蜀漢の初代皇帝は劉備と言われています。
ロシアの初代皇帝は、ピョートル1世です。元朝の初代皇帝は、クビライで、モンゴル帝国の初代皇帝はチンギスとされています。
宋の初代皇帝は、趙匡胤です。初代皇族将軍は、宗尊親王と言われています。
呉の初代皇帝以外の初代皇帝をたくさん説明しました。
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まとめ:呉の初代皇帝孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)のエピソードと性格
呉の初代皇帝孫権がどのような性格で凄いエピソードも持っていたことを詳しく説明してきました。見習いたい話も多かったのではないでしょうか。
三国志で人気の呉の最強武将も解説しました。呉のことをあまり知らない人も、陸遜と周瑜をまずは、チェックしておいてください。
そして、孫権の美人妻の話も書きました。皇帝クラスになると凄い美人が、選び放題なのでしょうか。
また、孫権の兄の孫策と父の孫堅の驚くべきエピソードも示しました。孫策の項羽なオーラと孫堅の兵法が身に付いたら、自由に初代皇帝になれるかもしれません。
初代皇帝と一口に言っても、様々な人物がいることも述べました。もっと知りたい偉人もいたのではないでしょうか。
三国志の初代皇帝孫権は、蜀漢や魏としのぎを削った偉人なので、学ぶところも多いでしょう!