張昭!能力、赤壁の戦い降伏、逸話、孫策孫権、周瑜魯粛、別名も解説

三国志の張昭は、呉の大政治家なのです。

やはり張昭は、後世でも政治力が評価されているだけあって、勉強家でした。学問をしていたからこそ、人を指導したり見抜いたり出来たのでしょう。

そして張昭は、孫権の兄の孫策にも仕えていました。孫策の方が、張昭を厚遇していたのかもしれません。

孫策は武に秀で、孫権は文な人物なので、張昭の政治力を孫策の方が欲していたのでしょう。

また、あの有名な赤壁の戦いの場面でも張昭は、登場します。大政治家張昭なら、ここでも正しい決断をしたのでしょうか。

他にも、孫権の部下の魯粛が、非常に大きい事を述べた際に、たしなめたのが張昭です。張昭の対応は果たして、適切だったのでしょうか。

三國志の張昭を詳しく解説していきます!

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志ある学問好きの張昭の人柄

三国志の張昭は、陶謙への仕官をすすめられましたが、拒否しました。

陶謙は、曹操の父曹嵩殺害に関与したとされており、報復で曹操から激しく攻められたのです。

張昭は、もしかしたら陶謙の未来を見通していたのかもしれません。

そして張昭は、陶謙が最期を迎えた後、しっかり弔っています。

やはり、推薦してもらったのに断ったことが、心残りだったのでしょう。

ちなみに、三国志の世界で有名人な劉備に、陶謙は領土をあげて後継者にしようとしていました。

劉備は人に取り入る能力が高いので、陶謙には魅力的に映ったのでしょう。

張昭は、陶謙恭祖(とうけんきょうそ)からも才能を評価されていましたが、陶謙の将来を見抜いたのか、登用されませんでした。

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江東の小覇王孫策の管仲な張昭

三国志の張昭は、江東を一気に制圧した孫策に、味方しました。

孫策は覇者を目指しており、春秋の五覇である斉の桓公が管仲にしたように、全幅の信頼を張昭に寄せていたのです。

そして、孫策があえない最期を迎えた際に、後継者の孫権に張昭を頼るように述べました。

また、孫権に見込みがない場合、張昭が孫氏を引っ張っていってください、とも孫策は言い残したのです。

非常に深い信頼関係で、張昭と孫策はつながっていたことが、分かるでしょう。

ちなみに、劉備が最後を迎える時に、諸葛亮に息子の劉禅に可能性が無い場合、代わりに蜀漢を率いて欲しい、と言ったのです。

かなり内容が似ているので、張昭と孫策も、一種の信頼関係確認の儀礼とも取れるでしょう。

孫策伯符(そんさくはくふ)は、覇者桓公のように賢者張昭を信用して、全てを相談して任せるほどでした。

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孫権に曹操への降伏をすすめて間違った張昭の赤壁の戦い

三国志の張昭は、曹操の勢いが凄まじいため、孫権も軍門に降るのが望ましいと考えました。

  • 赤壁の戦い以外でも平和重視な性格の張昭
  • 孫権の野心を刺激した魯粛を非難した張昭の性格

有能な張昭ですから、正しいかと思ったら、なんと赤壁の戦いで孫権たちが勝利したのです。

曹操と戦う勢力として劉備がおり、劉備の軍師が天才諸葛亮でした。

そして、孫権の軍師が周瑜で、諸葛亮と協力し曹操を上手く火攻めしたのです。

さすがの張昭も、周瑜と諸葛亮がここまで有能なことを予測出来なかったのでしょう。

張昭は文官で、将軍ではないため、張昭が軍事について述べた場合は、疑うべきなのかもしれません。

張昭は、孫権が曹操と戦うのではなく、降伏する方が安全だと思っていましたが、逆の結果になりました。

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赤壁の戦い以外でも平和重視な性格の張昭

三国志の張昭は、甘寧が敵から孫権に降伏した際に、黄祖を攻めるべきと述べた際に、赤壁の戦いの時と同様に反対しました。

甘寧が敵の内情を把握していたことと、甘寧が猛将だったため、仇敵黄祖に張昭陣営は勝利したのです。

そもそも張昭は軍人ではなく、政治家なので国内の平穏を重んじています。

張昭は、武将な甘寧たちとは発想がことなるため、赤壁の戦いや黄祖攻めの失策につながるのでしょう。

呉の君主孫権が、張昭と甘寧の話の質の違いを見抜いて正しい選択をしたことも、見落とさないでください。

甘寧興覇(かんねいこうは)は、黄祖攻略を孫権に進言し、張昭は危惧しましたが、結局成功しました。

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孫権の野心を刺激した魯粛を非難した張昭の性格

三国志の張昭は、魯粛が孫権に後漢皇帝を支えるのではなく、皇帝になることを薦めたため、批判しました。

張昭は、立派な人格者なので、魯粛があまりにも壮大なことを述べたため、危険だと感じたのでしょう。

ただ、後年孫権は呉の初代皇帝に就任しているので、魯粛の方が先を見ていたと言えます。

張昭は、立派な政治家を演じようとするあまり、皆を批判してしまう傾向にあるのかもしれません。

呉の孫権の元には、いろいろな性格の異才がおり、上手く適材適所に配置したのでしょう。

魯粛子敬(ろしゅくしけい)は、先を見通して呉の主君孫権に、皇帝を目指すことを希望しましたが、張昭はあまり喜びませんでした。

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孫権に泣きながら主張しつつも無視された張昭の逸話

三国志の張昭は、呉の孫権に帰順したふりをしている、遼東の公孫淵の思惑を見抜いていました。

そして張昭は、強く諫言したため、孫権に斬られそうになったのです。

孫権は張昭の話を聞き入れたふりをして、結局公孫淵に使者を派遣しました。

すると、公孫淵は使者を処刑し魏への手土産にしたのです。

さすがの孫権も非を悟り、張昭に謝ったのですが、強情な性格の張昭は、許しませんでした。

孫権と張昭はお互いにバトルしていたのですが、結局和解したのです。

呉の君臣関係は、どこか仲間の集まりの延長のようで、見ているとホッとする人もいるでしょう。

張昭は、公孫淵の黒い考えを見抜いていたため、孫権が公孫淵を受け入れる事を批判しました。

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別名江東のニ張な張昭と張紘は能力の高い官吏

三国志の張昭は、張紘と共に孫策と孫権に仕え、有能さから江東のニ張と称されていました。

孫策が暗殺された際に、混乱に乗じ曹操は江東を手に入れようとしたのです。

ですが、張紘は他人の不幸に乗ずるよりも、徳を頼みとするのが良いでしょう、と曹操に述べました。

そして、日本の初代室町幕府将軍足利尊氏は、父の供養をしっかり出来ていない内に、北条氏に出陣命令を受けたため、逆に北条氏と戦うことを決めたのです。

曹操が張紘の発言を聞かずに、孫権を攻めていた場合、足利尊氏に北条氏が滅亡させられたように、曹操も危なかったかもしれません。

張紘子綱(ちょうこうしこう)は、曹操に諫言することで、孫氏の江東支配を助けました。

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まとめ:三国志の張昭子布(ちょうしょうしふ)は呉の菅仲な能力

三國志の張昭が、呉で政治を行い、かつての菅仲のような働きをしたことを述べました。管仲にふさわしい対応をしてこそ、能力が遺憾なく発揮されるでしょう。

そして張昭が、赤壁の戦いで間違ってしまったことも説明しました。普通に考えれば、赤壁の戦いで呉の孫権が勝てないので、すごい失策とは言えないでしょう。

また張昭が主君に対しても、しっかり意見を主張する剛毅な性格であることも、記載しました。

主君の器が大きくて初めて、名臣の能力が出て来るのでしょう。

他にも、張昭が公孫淵に対する良い見解を示していたことも、書きました。年を重ねることで、張昭の人を見る力が磨かれたのでしょうか。

張昭は、政治的な能力に優れた名臣なので、立派な政治家を目指している人も、参考にしてみてください。

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