刎頸の交わり!由来あらすじエピソード、類語、意味わかりやすく解説

完璧の故事で知られる藺相如と闘将廉頗は、刎頸の交わり関係でも有名なのです。

刎頸の交わりで後世知られている廉頗と藺相如は、初めは敵対していました。藺相如と廉頗は異なる才能を持っていたので、理解するまでに、時間がかかったのでしょう。

そして、楚漢戦争で活躍した張耳と陳余も、刎頸の交わり関係で、有名だったのです。しかし廉頗や藺相如と異なり、陳余と張耳は、最終的には戦を行い陳余に最後が来ました。

また、三国志の劉備と牽招も、刎頸の交わり関係として伝わっています。ですが劉備と牽招は、対立する勢力に所属し、あまり連携出来ませんでした。

ちなみに、刎頸の友と言われることもある、刎頸の交わりの読み方は、ふんけいのまじわりです。

刎頸の交わりを詳しく解説していきます!

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趙の将来を考え争いを避けていた完璧な藺相如の志に感銘を受け廉頗は刎頸の交わり関係を結びました

後に刎頸の友関係となる廉頗と藺相如も、当初は反目な間柄だったのです。

廉頗は、将軍として立身した武将であり、藺相如が巧みな弁舌で出世したことが認められませんでした。

また廉頗は、藺相如に会ったら、徹底的に非難しようとしていたのです。

ですので、ある時廉頗と鉢合わせになりそうになった、藺相如がわざわざ隠れたところ、とうとう部下が藺相如を批判しました。

すると藺相如は部下に、廉頗と争うと秦が攻めて来るので、無理にでも廉頗との戦いを避けていると語ったのです。

そして、藺相如の本心を知った廉頗は、趙を乱そうとしたことを恥じ、藺相如の大志を認めました。

廉頗(れんぱ)は完璧な藺相如(りんしょうじょ)を侮っていましたが、趙の将来を廉頗よりも見通していたため、藺相如と刎頸の交わり関係となったのです。

⇒廉頗と三国志!藺相如関係、最後史実、れんぱ性格、将軍李牧も解説

秦の昭襄王から和氏の璧を守り黽池の会で趙の威信を保護した藺相如が廉頗と刎頸の交わり関係だったのです

藺相如は廉頗と刎頸の友となる前、秦の昭襄王の威圧に屈せず、趙の国威を守護しました。

そして昭襄王が15もの城と、和氏の璧の交換を望んだ際に、藺相如は交換不可能なことを予期していながら、秦を訪れたのです。

藺相如が和氏の璧を渡したにも関わらず、昭襄王がなかなか城を割譲しないため、怒髪天を衝く姿で秦王を叱責し、こっそり璧を部下に持ち帰らせ、藺相如自身も無事に帰国しました。

また昭襄王が黽池の会でも、趙の孝成王を挑発したため、藺相如は昭襄王にも同等の礼を求め、趙の威信を守ったのです。

藺相如は完璧を実現し、黽池の会でも趙の孝成王趙丹(こうせいおうちょうたん)を秦の昭襄王嬴稷(しょうじょうおうえいしょく)から保護しただけでなく、後に廉頗の誤解を解き刎頸の交わりとなりました。

⇒孝成王!趙丹、廉頗趙括、王齕藺相如、白起、昭襄王長平の戦いも解説

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張耳と陳余は藺相如と廉頗のような刎頸の交わりでしたが後に敵対しました

陳余と張耳は、廉頗と藺相如を真似て、刎頸の友関係を結んでいましたが、危機に陥った際に反目したのです。

そして張耳は、陳勝呉広の乱で趙を攻略したため、秦の章邯から目を付けられ、包囲され絶体絶命に陥りました。

陳余は大軍を擁し、張耳と刎頸の友であるにも関わらず、章邯を恐れ秦を攻撃しなかったのです。

結局西楚の覇王項羽が、破釜沈船の覚悟で鉅鹿の戦いに参加し、章邯に勝ったことで、張耳は九死に一生を得ました。

張耳(ちょうじ)と陳余(ちんよ)は、完璧な藺相如と廉頗に憧れて刎頸の交わりでしたが、鉅鹿の戦いで陳余が張耳を救援しなかったことで険悪になり、以後激しく対立し続けたのです。

⇒張耳と三国志!陳余能力、韓信背水の陣、章邯信陵君、項羽劉邦も解説

国士無双韓信が井陘の戦いで背水の陣を行ったため張耳は刎頸の交わりだった仇敵陳余に最後を与えました

張耳と陳余は、鉅鹿の戦いで敵同士となってから、張耳は劉邦に味方し陳余は趙王趙歇に付いたのです。

そして国士無双韓信は水攻めで、三秦の雍王章邯を破り、魏豹にも勝ち破竹の勢いでした。

しかし劉邦が軍勢を必要としたことで、韓信軍は弱体化し、正面から戦えば、趙の陳余の大軍に踏み潰されかねない状況だったのです。

そこで韓信は張耳と共に背水の陣を布き、味方を死地に追い込むことで士気を倍増させ、陳余軍を防ぎ、趙の城も確保し大勝しました。

かつては刎頸の交わりだった張耳と陳余は、井陘の戦いで激突し、国士無双韓信(かんしん)が背水の陣で陳余の大軍に対抗出来たため、張耳が陳余に勝利したのです。

⇒章邯と三国志!三秦制圧人物、韓信能力最後、楚漢戦争項羽劉邦も解説

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三国志の仁義な劉備と烈義な牽招も廉頗と藺相如のように刎頸の交わり関係でした

劉備は仁義で曹操と戦い、牽招は師の棺を賊から必死に守るほどの烈義だったため、響き合う刎頸の友な間柄だったのでしょう。

しかし、劉備は蜀漢で昭烈皇帝に即位し、牽招は魏の曹操と曹丕に仕えました。

劉備が定軍山の戦いで勝利し、荊州の関羽が曹操を攻めた際に、刎頸の交わりの牽招が呼応してくれれば、劉備の後漢再興は達成されたのではないでしょうか。

ちなみに劉備は、夷陵の戦いで強引に呉に侵攻し、陸遜の火攻めで大敗を被り、凋落していきました。

三国志の牽招子経(けんしょうしけい)と劉備玄徳(りゅうびげんとく)は、義を大事にする者同士で、刎頸の交わり関係でしたが、劉備と牽招は敵対する勢力で生涯を終えたのです。

⇒三国志劉備玄徳の性格!魅力的な人柄、カリスマ性、エピソードの話

完璧な藺相如と廉頗の刎頸の交わりの類語として管仲と鮑叔牙の管鮑の交わりがあります

廉頗と藺相如は趙の将来を守るために、刎頸の友として結託しましたが、鮑叔牙と管仲は斉のために管鮑の交わりを行いました。

そして、鮑叔は春秋の五覇桓公に仕えていたのですが、管仲は敵の公子糾に付き、桓公の命を取りかけたこともあったのです。

ですが鮑叔は、桓公が覇者に就任するためには、奇才管仲を重用しなければならないと力説しました。

また管仲は、鮑叔が昔から自分に分け前を多くくれ、斉の宰相にまでしてくれたことを大きく感謝した、と伝わっています。

完璧な藺相如と廉頗は、刎頸の交わりで有名であり、類語のことわざの管鮑の交わりでは、春秋の五覇桓公に仕えた管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)の関係が著名です。

⇒鮑叔牙!管鮑の交わり意味、人柄、管仲塩、公子糾楽毅、三国志も解説

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長平の戦いで善戦していた廉頗が趙括に変更させられそうだったので刎頸の交わりだった藺相如も趙の孝成王に諫言しました

戦国四君の平原君と孝成王が、秦の狙っていた韓の上党を無理に獲得したため、昭襄王の将軍王齕が侵攻し廉頗が迎え撃ったのです。

王齕は廉頗軍に連勝したので、廉頗は無理に戦わず、長期戦で秦を撃破することにしました。

しかし趙の孝成王は、廉頗が大軍を使いこなせていない、と感じたのです。

また孝成王は、廉頗よりも趙括が有能という、敵の宰相范雎の嘘を信じてしまいました。

老将廉頗が長平の戦いで奮闘しているにも関わらず、趙の孝成王は、秦の宰相范雎(はんしょ)の偽りを真に受け、馬服君趙奢(ちょうしゃ)の妻と完璧な藺相如の忠告も聞かず、趙括(ちょうかつ)を大将軍とし白起からの大敗を呼び込んだのです。

⇒趙括!机上の空論、史記趙奢有能、白起長平生き埋め、馬謖故事も解説

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まとめ:刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)のあらすじわかりやすく解説と由来意味類語と故事成語エピソード

刎頸の交わりが、どのような経緯で誕生したかを、あらすじと共にわかりやすく解説してきました。大きな目標があると、廉頗や藺相如のように性質が異なる武将も、組めるのでしょう。

そして、初めは刎頸の交わりだった張耳と陳余が、井陘の戦いで衝突したことも説明してきました。張耳に国士無双韓信がいたからこそ、陳余に勝ち恨みを晴らせたのでしょう。

また、管仲と鮑叔牙の管鮑の交わりが、刎頸の交わりの類語であることも述べてきました。史記で偉大な業績を残せる人物には、自然と故事成語も付いて来るのでしょう。

刎頸の交わりは、廉頗と藺相如を象徴する故事成語なだけでなく、後世の武将も憧れた関係だったのです。

⇒鍾離眜と三国志!季布龍且韓信、陳平逸話、項羽の墓、劉邦特徴も解説

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