趙括!机上の空論、史記趙奢有能、白起長平生き埋め、馬謖故事も解説

三国志の馬謖が、街亭の戦いで大敗を招いたように、趙括も机上の空論で大敗北を喫しました。

趙括は、優れた武将だった趙奢を、弁舌で制したこともあるのです。弁舌だけで見ると、趙括の方が有能と言えるかもしれませんが、実戦ではどうだったのでしょうか。

そして、敵国の秦の宰相范雎も、趙括の弱点に気付いていました。名将気取りの趙括に、命運を任せるように仕向けた、范雎の策謀も見落とすべきではないでしょう。

また、完璧な藺相如も、趙括の危うさを認識していたのです。かつて気迫な弁舌で秦王を威圧した藺相如には、趙括の弁舌が偽物であることが、ハッキリ見えたのでしょう。

趙括を詳しく解説していきます!

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机上の空論に長けていた趙括は父親の名将趙奢を論破したこともあったのです

趙括は、兵法の理論が複雑だったため、父の趙奢をやり込めていました。

ですが、趙奢は息子の成長を喜ばず、妻にむしろ趙括が大将軍に就任した際の悲劇を語ったのです。

そして趙括は、結局長平の戦いで指揮官になってしまい、白起の策にハマり趙軍を生き埋めにさせられました。

趙奢は、趙括の欠点に気付いていながら、矯正する実力が無かったという見方も出来るでしょう。

ちなみに、戦国四君の平原君の部下が税法を軽んじていたので、趙奢は強く罰し、怒る平原君を弁舌で説得したことがあるのです。

趙奢は巧みな机上の空論で、閼与の戦いの英雄趙奢(ちょうしゃ)を翻弄しましたが、馬服君趙奢には結局認めてもらえませんでした。

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三国志の馬謖は趙括と同様に蜀漢の皇帝劉備から机上の空論を咎められていたのです

趙括は、趙奢や藺相如から紙上で兵を談ずることを注意されていましたが、三国志の馬謖も劉備から、口達者に過ぎないと見なされていました。

馬謖は街亭の戦いで、張郃に水を奪われ自滅したのですが、劉備は馬謖の欠点を見通していたのです。

ですが諸葛亮は、馬謖を重用し、今後の蜀漢のためにも戦果を与えてあげたいと考え、街亭の戦いで大抜擢しました。

そして、泣いて馬謖を斬った後も、諸葛亮は北伐を続けましたが、結局魏を倒すことは出来なかったのです。

趙括と三国志の馬謖幼常(ばしょくようじょう)は、実践経験が少なく机上の空論が多かったので、国の命運を賭けた大戦で、大敗北を被りました。

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秦の宰相范雎は趙括が紙上で兵を談ずる武将に過ぎないと見抜いていたのです

趙括は、長平の戦いの大将軍となりましたが、この人事は范雎の策謀でした。

范雎は、長平の戦いで廉頗が、長期戦の構えで秦軍に勝とうとしていたため、趙王にわざと趙括を畏怖している、という噂を流したのです。

そして孝成王は、廉頗が大軍であるにも関わらず、秦を攻撃しないことに疑問を持っていたため、范雎の策略を良策だと勘違いしてしまいました。

また廉頗は、趙が長平の戦いで敗北し、大軍勢が生き埋めにされ弱体化した後も、燕の大軍の攻撃を退け、趙の領土を拡大してもいます。

趙括は、歴戦の勇将の廉頗(れんぱ)から長平の戦いを引き継ぎましたが、敵国の宰相范雎(はんしょ)の謀略に乗せられていたのです。

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白起は長平の戦いで趙括を破り大軍を生き埋めにしましたが范雎から死因をもたらされたのです

趙括は、秦の大将軍白起に大敗したのですが、白起も大勝し過ぎて権力に押し潰されました。

范雎は、九死に一生を得て秦の宰相となっていたため、白起が大名声で立場を奪おうとしていることを危惧したのです。

そして白起は、長平の戦いの大勝利の勢いで、趙の邯鄲を攻略する予定を妨害されたので、范雎の指示を聞かなくなりました。

ですが、范雎には昭襄王も味方したため、結局白起は偉大な功績を獲得したことで、最期に追い込まれてしまったのです。

ちなみに、三国志の鄧艾は蜀漢制圧後に驕り処罰されたので、白起と似ている運命であると悟りました。

趙括は確かに、白起(はくき)に趙軍を生き埋めにさせられましたが、白起は長平の戦いの大戦果で范雎からの災いを招いたのです。

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廉頗と刎頸の交わり関係だった完璧の故事で有名な藺相如も趙括が長平の戦いで大将軍となることに反対していました

趙括は、藺相如からも、長平の戦いの大将軍就任を非難されていたのです。

藺相如も秦の宰相范雎や趙奢と同様に、趙括が机上の空論を弄ぶ人物に過ぎない、と見通していました。

しかし趙の孝成王は、重病で訪れた藺相如の言葉を聞かず、趙括を長平の戦いの指揮官としてしまったのです。

また廉頗も藺相如も、孝成王の前の王に仕えた名将だったため、孝成王は趙括を重用することで、変革したかったのかもしれません。

そしてもしも藺相如の健康状態が良ければ、趙括の補佐として藺相如も出陣し、大敗を避けられた可能性もあるのではないでしょうか。

趙括は、完璧の故事で知られる藺相如(りんしょうじょ)からも、長平の戦いで廉頗の後任を担うことを批判されていました。

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白起は趙括に確実に勝利するためにわざと退き趙軍を分断しました

趙括は、白起が退却したことを、趙軍を恐れたためと誤解し無理に追撃したので、兵糧不足に陥ったのです。

白起は、趙軍と正面から戦うと秦軍の被害が増えてしまうので、趙括の気力を利用して突出させました。

そもそも趙括は、名将たちが警告していた通り、机上の空論者に過ぎないため、白起の偽りの退却を見抜けなかったのです。

そして、匈奴の冒頓単于も、白登山の戦いで前漢軍にわざと弱い兵を見せて、白起と同じ様に劉邦を誘い出し撃破しました。

趙括は、兵法通りに物事が進むと思い込んでいたので、白起の偽装退却を信じてしまい、冒頓単于(ぼくとつぜんう)に大敗した劉邦(りゅうほう)のように、悲惨な結果となったのです。

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馬服君趙奢の妻は息子の趙括が上手くいかなくとも一族が生き残れるように趙王に懇願しました

趙括が父の趙奢から、兵法の本質を会得していないと忠告されていたため、趙奢の妻は孝成王に趙括を使わないことを求めたのです。

そして趙括は、大将軍になっても父趙奢のように部下を大事にはせず、自分の利益にばかり拘っていました。

趙奢は兵法論ではなく、部下への厚遇を重視して閼与の戦いで勝ち、趙括は配下を軽んじ兵法の持論に固執することで、長平の戦いで大敗したのではないでしょうか。

また、三国志の五虎大将軍の錦馬超は、趙奢の子孫と言われています。

趙括は、趙奢の妻からも批判される程度の兵法論だったので、長平の戦いで大失敗しましたが、馬服君の嫁の事前の主張のおかげで子孫は生き永らえたのです。

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まとめ:趙括(ちょうかつ)の机上の空論と三国志の馬謖と白起の長平生き埋めと史記の趙奢故事

趙括が、馬服君趙奢を弁舌で畳み掛けるほど有能でありながら、長平の戦いでは、白起に大敗したことを解説してきました。

白起と趙括が直接論戦していれば、趙括が勝者だったかもしれません。

そして三国志の馬謖も、諸葛亮から弁論で評価されていながら、趙括のように大敗北したことも説明してきました。

諸葛亮でも見誤った馬謖と、藺相如や趙奢に批判されていた趙括では、失敗の重みが多少違うのかもしれません。

また趙括に勝った白起にも、後に宰相范雎から災難がもたらされたことも、述べてきました。

范雎は、趙括だけでなく白起にも勝利しているので、范雎が真の大将軍と言えるかもしれません。

趙括は、偉大な趙奢を議論で征していながら、長平の戦いでは白起に大負けしているので、弁舌と実戦がいかに異なるかも分かるでしょう。

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