冒頓単于と三国志!最強匈奴、妻、韓信劉邦、世界史、読み方も解説

三国志の時代には、超世の傑曹操の勢力下にまで衰退していた匈奴も、冒頓単于の際には前漢を圧倒していました。

劉邦は、命からがら覇王項羽に勝ち、遊牧民をまとめ上げた匈奴の冒頓単于と、対決したのです。項羽に勝利するほどの劉邦なので、最強な冒頓単于と善戦したのでしょうか。

そして冒頓単于は、前漢に勝利したことで気を良くしたのか、劉邦の妻の呂雉を慰めようとしました。当然前漢陣営は激怒し、劉邦の腹心の樊噲は、匈奴討伐を主張したのです。

また冒頓単于は、盧綰と韓王信を匈奴陣営に参加させました。盧綰は劉邦の幼馴染だったほどの武将なので、冒頓単于の力がうかがえるでしょう。

ちなみに、冒頓単于の読み方は、ぼくとつぜんうです。

冒頓単于と三國志を詳しく解説していきます。

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白登山の戦いで前漢の初代皇帝高祖劉邦を取り囲んだ匈奴の最強な冒頓単于

匈奴の冒頓単于は、楚漢戦争で西楚の覇王項羽に勝利した劉邦軍を、凌駕していました。

劉邦は、冒頓単于がわざと弱い兵を見せていることに気付かず、匈奴軍に深入りしてしまったのです。

そして高祖劉邦は、追い詰められ過ぎて、食べ物にも困る状況に陥りました。

前漢軍は歩兵が主な軍勢であり、匈奴の騎兵を主力とした軍勢とは、戦闘力が違い過ぎたのです。

また秦の始皇帝は、蒙恬に万里の長城を築かせ匈奴を征伐させましたが、劉邦の大敗を見ると、正しい政策だったと言えるでしょう。

前漢の初代皇帝劉邦は、白登山の戦いで、匈奴の冒頓単于の偽装退却を見抜けず、包囲され食べ物にも困窮するほど疲弊させられたのです。

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軍師陳平は最強な冒頓単于の妻を活用し白登山の戦いで主君劉邦を救出しました

匈奴の冒頓単于は、前漢軍を上手く包囲しましたが、劉邦には策士陳平がおり奇策を展開したのです。

陳平は冒頓単于の妻に、万が一劉邦が降った場合、前漢の美女が匈奴に訪れ、妻としての立場が保てないのではないでしょうか、と語りました。

そして陳平の策は、確かに劉邦を助けたのですが、匈奴の妻の弱味に付け込み出し抜いた内容だったため、劉邦と前漢の名誉のために長い間秘密にされていたのです。

冒頓単于がいくら強い軍勢を有していても、陳平クラスの策士を揃えなければ、中国制圧は容易ではないのではないでしょうか。

陳平(ちんぺい)は、匈奴の最強軍に対抗出来なかったため、冒頓単于の妻の立場を利用し、主君の前漢皇帝劉邦(りゅうほう)を退却させました。

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前漢軍に白登山の戦いで大勝利した冒頓単于は劉邦の妻の呂雉をからかう手紙を送りました

匈奴の冒頓単于は、劉邦に最後が来たので、妻の呂雉をいたわってあげよう、と述べたのです。

まるで呂雉皇后を、自分の妻のような扱いをした冒頓単于の文書は、亡き劉邦の部下たちを激怒させました。

そして樊噲は、呂雉の妹を妻としていたこともあり、冒頓単于を成敗させて欲しいと願い出たのです。

ですが、劉邦ですら白登山の戦いで、歯が立たなかった匈奴軍に、樊噲が勝てるはずがないと季布は主張しました。

冒頓単于は最強な匈奴軍を率いていたため、劉邦の妻の呂雉(りょち)を軽視する手紙を渡し、樊噲(はんかい)から攻められそうになりましたが、季布(きふ)は冷静に状況を分析していたのです。

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前漢の三傑の国士無双韓信は劉邦への謀反で最後が近付いていたので最強な匈奴冒頓単于と戦えなかったのです

匈奴の冒頓単于は白登山の戦いで、劉邦には圧勝しましたが、国士無双と称された韓信とは勝負していません。

そもそも劉邦が、項羽の軍師范増から左遷されながらも、楚漢戦争に勝ち皇帝に就任出来たのは、韓信が大将軍だったからなのです。

蕭何から国士無双と評価されていた韓信は、秦の名将章邯を暗渡陳倉の策で撃破し、劉邦を左遷から脱出させました。

そして章邯に勝つほどの韓信なら、匈奴の偽装退却にわざと引っ掛かったフリをし、逆に冒頓単于をおびき出して、勝利出来たかもしれません。

最強な匈奴軍の冒頓単于も、前漢の三傑の国士無双韓信(かんしん)と戦った場合、逆に罠に掛かり、秦の名将章邯(しょうかん)のように敗北してしまうのではないでしょうか。

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劉邦の幼馴染で親友の盧綰と韓王信を味方とした匈奴の冒頓単于

匈奴の冒頓単于は、劉邦に白登山の戦いで勝つだけでなく、韓王信や盧綰も鞍替えさせたのです。

盧綰は楚漢戦争で、盗賊から出世した彭越と共に、西楚の覇王項羽の兵糧に大ダメージを与えました。

項羽は、勇猛で武勇では劉邦を凌駕していましたが、人材活用力に劣っており、亜父范増すら疎んじていったのです。

そして韓王信は、冒頓単于から攻撃を受けると、何とか和睦しようとしたのですが、主君劉邦から逆に疑われ、匈奴に投降しました。

また盧綰は、皇帝に就任し猜疑心が強くなった劉邦から、謀反の嫌疑をかけられ、やむなく匈奴に付いたのです。

冒頓単于は、匈奴を更に最強にするために、劉邦の親友の盧綰(ろわん)を部下とし、前漢に疑われた韓王信(かんおうしん)も受け入れました。

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最強な冒頓単于が築いた匈奴の大勢力も武帝の大将軍霍去病と衛青により敗れました

冒頓単于は、前漢の勢力を圧倒していましたが、前漢に武帝が現れたため、匈奴は衰退していったのです。

武帝は、匈奴への屈辱的な対応を嫌っており、聶壱を偽装投降させ、冒頓単于の孫に最期を与えようとしました。

しかし聶壱の作戦は、匈奴に見抜かれ失敗し、聶壱は難を避けるために、張の名に変更したのです。

そして衛青と霍去病は、匈奴事情に詳しく騎兵の扱いも巧みだったので、劉邦以来劣勢だった匈奴戦争で、連戦連勝するようになりました。

ちなみに、聶壱の子孫が、合肥の戦いで有名な張遼とされています。

武帝には、匈奴に精通した衛青(えいせい)と霍去病(かくきょへい)がいたので、最強な冒頓単于以来やり込められていた前漢の形勢が、逆転したのです。

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他の匈奴と異なる思考を持っていた冒頓単于は遊牧民を世界史的に中国に比肩する存在へと変貌させました

冒頓単于は、最強な匈奴軍を統率していただけでなく、世界史上の遊牧民の地位も向上させました。

遊牧民は、他の人々から奪い家畜を利用して過ごすことが、多かったのです。

ですが冒頓単于は、前漢のように国家を作り上げ、組織的に遊牧民を運営しました。

そして、匈奴の冒頓単于が基礎を確保したので、後にモンゴル帝国が、中国全土を制圧することに成功したのです。

また、春秋戦国時代の趙の武霊王は、北方の遊牧民の胡服騎射を導入することで、他国に軍事力で勝利したとされています。

昔から遊牧民は、中国の人々よりも、軍事的には優れていたのでしょう。

最強な冒頓単于が匈奴に現れたことで、世界史上の遊牧民が中国に匹敵し凌駕する、下地が形成されました。

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まとめ:匈奴の最強冒頓単于(ぼくとつぜんう)の能力と三国志世界史と劉邦韓信

冒頓単于が、前漢の劉邦を打ち負かしただけでなく、世界史的にも大きな役割を果たしたことも解説してきました。

遊牧民の英雄としては、チンギスハーンが有名ですが、冒頓単于も知るべきなのでしょう。

そして、匈奴の用兵で劉邦を包囲した冒頓単于も、妻にはあまり強くなかったことも、説明してきました。

もしも冒頓単于が、陳平の策に上手く対処していたら、白登山の戦いで、前漢が滅亡していたかもしれません。

また、劉邦の部下には、かつては国士無双韓信がいたため、韓信なら冒頓単于に勝てた可能性があることも述べてきました。

劉邦の大粛清が、このような形で影響したことは、誰も予測していなかったでしょう。

冒頓単于が最強な匈奴軍を組織したからこそ、後の遊牧民が漢人を支配する状況が、訪れたのではないでしょうか。

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