ほうとう三国志!龐統能力、評価、最後、鬼才、名言、生きていたら

龐統士元(ほうとうしげん)は、三国志の中でもかなりの賢さを誇っているのです。

まずは、龐統がどれくらいの才能を持っていたかを解説していきます。

司馬徽と言う人物評価に長けている人物が三国志にはいるのですが、龐統のことをかなり高評価しています。

他にも、曹操の配下のあの人に近いと述べている人もいるのです。やはり、龐統は有能だったのでしょう。

龐統は鳳雛と呼ばれることもありますが、亡くなった際にもその特徴が表れているのです。鳳雛の最後は、いかなるものだったのでしょうか。

龐統は賢いだけでなく、すごい話も残しているのです。名言を放ってみたい人も、使えるでしょう。

もしも諸葛亮孔明が亡くなったとしても龐統がいたとしたら、劉備は蜀漢皇帝どころの騒ぎではなかったかもしれません。

三国志の龐統の活躍を示していきます!

⇒赤壁の戦いとは!あらすじわかりやすく、周瑜勝因、疫病、孔明も解説

⇒三国志しばき!司馬徽水鏡、両者を得れば、三顧の礼、よいぞも解説

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諸葛孔明に匹敵する鬼才は龐統でしょう!

劉備の陣営には諸葛孔明がいましたが、その孔明と比類する鬼才として龐統(ほうとう)は名前を残しています。

諸葛亮孔明の賢さを知っている人は今の時代にも多いですが、龐統の偉大さを知る人は少ないかもしれません。

そして、曹操は赤壁で大敗北を喫するわけですが、それも龐統の功績とされることがあります。

赤壁は水軍戦だったのですが、曹操の軍勢は北の地域の人々なので船酔いに弱かったのです。克服するために船同士をつなげるように献策したのが、龐統だったみたいです。

一見良い策に見えると思いますが、船をつなぐことで、火攻めを受けた際に、どんどん燃えて逃げられないという弱点があったのです。

三国志の龐統は、諸葛亮と同じくらいの才能を有していたと言えます。

⇒曹操のすごさ!どんな人?性格、魅力、曹丕、劉備、名言、死因も解説

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龐統の高い能力にふさわしい対応

龐統が初め劉備に採用された際、名前を偽って登用され仕事をさぼっていたのですが、責められると、50日くらいの業務を1日くらいで処理したとされています。

龐統だと知られると厚遇されるので、名前を偽ることで劉備がどれほどの器量か試したのです。

反対に、呉では周瑜という偉人が亡くなったのですが、葬儀の期間に龐統は周瑜を非常に批判したわけです。

案の定、呉の君主の孫権の母親が怒り、呉で龐統は採用されなかったのです。

龐統は自分自身が鬼才であることを知っているので、それにふさわしい人物を見極めていました。

龐統は賢いので、何十日もかかるはずの業務が1日ほどで完成したとされています。

⇒法正三国志!ほうせいすごい能力、性格、定軍山の戦い、私刑も解説

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三国志世界で飛び立つ鳳凰な龐統の高い評価

三国志の龐統(ほうとう)は、司馬徽から鳳雛と称され高く評価されていました。

鳳雛とは鳳凰の雛ですから、神童のような意味と言えるでしょう。

龐統は劉備を得て、鳳凰として飛び立ったのでしょうか。

そして、曹操の有能な配下に荀彧がいますが、龐統を荀彧のような存在と評している人もいます。

ちなみに、前漢の三傑の一人に張良子房という人がいるのですが、荀彧は曹操から子房と呼ばれていたのです。

張良は前漢の建国者劉邦からも、知力を高く称賛されていました。合戦での功績があまりないにも関わらず、張良は留というところをゲットしたのは知力ゆえでしょう。

龐統は、鳳雛と評価される賢い偉人なのです。

⇒劉備は劉邦の子孫?関係性や性格の違いを解説します

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落ちた鳳凰龐統の最後

三国志の龐統(ほうとう)は、落鳳坡(らくほうは)で亡くなったとされています。

鳳凰が落ちた場所のような意味です。

劉備は、愛馬として的盧馬(てきろば)を持っていました。的蘆に乗っていると劉備と分かるので、龐統が代わりに乗ることにしたのです。

敵は案の定、劉備と勘違いし、龐統を打ち取ってしまいました。

そもそも的盧馬は、持ち主に不幸をもたらすとされていたのです。にも関わらず、劉備は所有していました。

劉備が的盧を名馬であるとしてゲットしようとしていた際に、不吉だと忠告を受けた際に、人の生死は天の定めであるとして取り合わなかったのです。

天を知る劉備であるからこそ、天に選ばれ蜀漢皇帝の立場を得られたのでしょうか。

龐統は落鳳坡で、劉備の身代わりになって亡くなったとされています。

⇒諸葛亮孔明死因、どんな人?逸話、赤壁の戦い、司馬懿仲達、妻も解説

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三国志龐統士元(ほうとうしげん)の他の話

龐統(ほうとう)は、賢さだけでなく名言やIFでも話題なのです。

  • 乱世で善をプラスする龐統の名言
  • 羽ばたいた鳳凰龐統が生きていたら・・・

龐統は残念ながら若くして亡くなりますが、もしももっと長生きしていたら。龐統の才能を考えると、三国志のその後の流れを変えるほどの大活躍を想像したくなるでしょう。

諸葛亮孔明は、魏を攻める際に司馬懿とかなり戦っていますが、龐統と司馬懿だとどちらが勝つのか!

諸葛亮が魏を攻略し切れなかった背景に、正攻法を重視し過ぎた点を挙げる人もいます。

赤壁の戦いの船つなぎからの火攻めという奇計を思い付いたとされている龐統なら、魏を奇策で打ち負かしたかもしれません。

諸葛亮の後の大将軍姜維と龐統が組んだ場合は!

三国志の龐統の覚えておきたくなる名言ともしもを解説していきます。

⇒姜維の北伐!第五次、諸葛亮の遺志、蜀の伯約能力、評価、最後も解説

乱世で善をプラスする龐統の名言


龐統(ほうとう)は、戦乱の世を憂いていたので、人を必要以上に褒めていました。

戦乱の時代は皆の心もすさんでいくので、龐統は善を奨励する事を狙っていたのです。

そして劉備は、同族の劉璋の益州をスムーズに支配下に収めていきます。

勝利を祝う席で龐統が、戦争をしていながら楽しむのは仁義でしょうか、と劉備に問うたようです。

そもそも益州攻略は龐統が劉備にすすめたものですが、劉備が図に乗ることを戒めるためだったのでしょうか。

また、龐統は人物評に長けているとされているので、他の人が気付かない劉備の欠点を見抜いたのかもしれません。

龐統は、戦乱状態を改善していくために、善事を奨励する名言を残しています。

⇒三国志劉備玄徳の性格!魅力的な人柄、カリスマ性、エピソードの話

羽ばたいた鳳凰龐統が生きていたら・・・


関羽は結局統括していた荊州という重要地域を失うのですが、龐統(ほうとう)が生きていた場合、関羽も荊州も劉備の支配下だった可能性があるのです。

関羽が敗北したのは、劉備が益州や他の地域を統治していくために、多くの人材を引き連れていってしまった点も大きいからです。

龐統が生きていたら、そもそも関羽の軍師として活躍する事も可能でしたし、龐統は人物評にも長けていたので、有能な人を見つけて来ることも考えられるのです。

劉備は夷陵の戦いで大敗北をしますが、龐統がいた場合、奇策を巡らして呉を逆に攻略する事もあり得たでしょう。

龐統とは、劉備たちの陣営で様々な活躍を予測していけるだけでなく、史実を覆す動きを想像したくなる偉人なのです。

⇒劉備の部下一覧!どんな配下?諸葛亮孔明、関羽、張飛、評価も解説!

まとめ:三国志の龐統(ほうとう)の鳳雛な能力と鬼才な評価

龐統(ほうとう)が、諸葛亮クラスの才人であることを示してきました。諸葛亮に興味がある人は龐統も気に入るでしょう。

三国志の龐統は、あまりにも賢いので、数十日分の業務を1日もかからずに成し遂げられたとされていることも、解説しました。

これくらいのことが出来てはじめて天下の事を論じられるのでしょうか。

龐統は、人物評に長けている司馬徽から高評価であることも、ご紹介しました。あなたも、司馬徽に評価されてみたいですか?

三國志龐統の最後が、ちょっとした見せ場になっていることも書きました。鳳凰の雛の最後ですから、やはり派手な最終回なのでしょうか。

龐統が、世の中を良い方向に導くための名言を述べていることも説明しました。策略家らしい名言でしょう。

三国志の賢い人に興味がある人は、今回の記事で龐統を研究してみてください!

⇒しょかつりょう!天才諸葛亮孔明とは?名言、劉備、龐統、魏延も解説

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