三国志の臥龍諸葛亮の兄には、諸葛瑾がいます。
諸葛瑾は、自らと主君孫権の関係と同じくらい、兄弟の諸葛亮と劉備は信頼し合っていると語りました。諸葛亮を知る人物であるとを示すと同時に、自画自賛を巧みに行ったのでしょうか。
そして諸葛瑾は、呉が貸していた荊州の返還を劉備に求めました。劉備は仁義な英雄ですが、素直に重要拠点荊州を返したのでしょうか。
また諸葛瑾が、怒りに我を忘れ夷陵の戦いを仕掛けて来た劉備と、交渉したことも説明していきます。
諸葛瑾は、あまり力押しをしない有能な政治家なのですが、怒りに囚われた劉備軍に通用したのでしょうか。
三國志の諸葛瑾を詳しく解説していきます!
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目次
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諸葛瑾は主君孫権と深い信頼関係があったので兄弟の諸葛亮を鞍替えさせられないと考えていました
三国志の諸葛瑾は、孫権から弟諸葛亮を呉に仕えさせたいと問われた際に、劉備と諸葛亮の信頼関係は諸葛瑾と孫権と同様なので、崩せないと主張したのです。
孫権はこの発言から、諸葛瑾をより一層厚遇するようになりました。
そして諸葛亮は、劉備から何度も訪問され、三顧の礼で採用された逸材です。
また、諸葛瑾の兄弟諸葛亮と劉備は、水と魚が双方を不可欠としているような、水魚の交わりとも評価されていました。
ちなみに、劉備と諸葛亮は、劉備の昔からの義兄弟関羽と張飛から、嫉妬されるほどの仲の良い関係だったのです。
諸葛亮の兄弟諸葛瑾は、呉の主君孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)と、水魚の交わりのような深い信頼関係で、結び付いていました。
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諸葛瑾は虎と称せられ兄弟の諸葛亮は龍と評価されたのです
三国志の諸葛瑾は、虎な人物と言われ、兄弟の諸葛亮は龍として評判でした。
劉備の軍師龐統は鳳雛で、諸葛亮は伏竜と述べられていたので、諸葛亮が龍なのでしょう。
そして諸葛瑾の主君孫権の父は、江東の虎孫堅なのです。
諸葛瑾が有能さから虎と評価されたのは、孫権の父孫堅の影響かもしれません。
また、諸葛一族には諸葛誕もおり、狗と言われていました。
狗とは犬ではなく、功狗を意味するとされています。
ただ、諸葛誕は乱を起こしているので、やはりただの狗な人物に過ぎなかったのでしょうか・・・
諸葛瑾は能力の高さから虎と評価され、兄弟の諸葛亮は龍、諸葛誕公休(しょかつたんこうきゅう)は功狗の狗と述べられていました。
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劉備が益州を獲得したので諸葛瑾は赤壁の戦い以来貸していた荊州の返還を求めました
三国志の諸葛瑾は、劉備に荊州返還を希望しましたが、涼州を獲得してから、とはぐらかされたのです。
そもそも劉備は、荊州を孫権から借りた際に、益州を得てからと述べていたので、結局返す気は無いのかもしれません。
また、諸葛亮の兄弟諸葛瑾は、高潔な性格で知られているため、劉備の狡猾さが際立ったのでしょう。
そして劉備は、乱世の奸雄曹操とも争っており、曹操が涼州近くの五斗米道張魯を降伏させたので、諸葛瑾への対応を軟化させたのです。
諸葛瑾の兄弟諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)の主君劉備は、呉の孫権から荊州を借りていたので、涼州を理由にして、返還を先延ばしにしようとしました。
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諸葛瑾の主君孫権は荊州を無理にでも返還させようとしましたが関羽に妨害されたのです
三国志の諸葛瑾が、劉備から煙に巻かれたので、孫権は荊州を呂蒙に力ずくで獲得させました。
劉備の義兄弟関羽は武神として知られており、呂蒙に対抗し、孫権の部下の魯粛との会見の際も、話し合うフリをして周倉に騒がせ会談を終わらせたのです。
しかし、超世の傑曹操が劉備の勢力を脅かしたため、劉備は荊州の一部を諸葛瑾たちに返還しました。
そして諸葛瑾の君主孫権は、関羽が手強いと分かったので、息子と関羽の娘関銀屏との縁談を望んだのです。
関羽雲長(かんううんちょう)は義兄弟劉備の仁義と漢帝室再興のために、荊州が重要であると考えていたので、諸葛瑾の主君孫権からの荊州返還要求に抵抗しました。
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義兄弟関羽の復讐に囚われた劉備に夷陵の戦いを思い留まらせようとした諸葛瑾
三国志の諸葛瑾は、劉備が本来戦うべき文皇帝曹丕ではなく、呉を攻めて来たため、道理で説得しました。
しかし劉備は義兄弟張飛も斬られ、斬った者が呉に逃げ込んでいたこともあり、諸葛瑾の言葉を聞けなかったのです。
そして劉備は、当初夷陵の戦いで非常に優勢で、呉の領土を大きく占領しました。
ですが諸葛瑾陣営には、関羽討伐で功績のあった陸遜がおり、遠大な計略で劉備を火攻めで破ったのです。
ちなみに、諸葛瑾の兄弟諸葛亮は、北伐には呉の力が必要だと考えていたため、後に陸遜と連携しています。
諸葛瑾は、劉備玄徳(りゅうびげんとく)が呉の主君孫権と連携してこそ活きると気付いていたので、夷陵の戦いで本当の敵と道理を示しました。
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諸葛瑾は息子諸葛恪から兄弟で天才軍師の諸葛亮以上の能力があると言われていました
三国志の諸葛瑾は、兄弟の諸葛亮よりも能力が劣っている、と思われることが多かったのですが、子供の諸葛恪は、父が孫権に仕えているので、諸葛亮以上だと主張したのです。
孫権は、驚くと共に、諸葛恪の賢さを称賛しました。
諸葛恪は、一般的な考えを巧みな話術で、有利に覆す手法を得意としていたので、父諸葛瑾は将来を危惧していたのです。
また諸葛恪が、常識をどんどん変更しているため、勝気な性格とも言えるでしょう。
かつて春秋戦国時代趙括は、父の馬服君趙奢を言葉でやり込めていましたが、後に長平の戦いで大敗してしまいました・・・
諸葛恪元遜(しょかつかくげんそん)は、父諸葛瑾を諸葛亮以上の賢者だと述べたのですが、勝気な性格が後に災いを招いたのです。
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諸葛瑾の息子諸葛恪は巧みな話術で能力を示したので孫権から高評価でした
三国志の諸葛瑾の子供の諸葛恪は、論戦に長けており、孫権からも将来を期待されていたのです。
しかし父の諸葛瑾は、諸葛恪が才能をひけらかしていたため、一族を滅亡させる危険性を感じていました。
そして諸葛恪の適当な性格が、夷陵の戦いの英雄陸遜が最後を迎えると、目立ち出したのです。
諸葛恪が功績を挙げている内は、批判も少なかったのですが、合肥新城の戦いで偽りの降伏に欺かれ失敗すると、不満が噴出し、最期を与えられました。
ちなみに、諸葛瑾の息子諸葛恪は、最後の直前も得意の弁舌で、問題を誤魔化そうとしたのですが、遂に虚勢がバレてしまったのです。
諸葛恪は、弁舌能力が高かったことで、主君孫権から好印象でしたが、父諸葛瑾は問題の方が大きいと思っていました。
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まとめ:三国志諸葛瑾子喩(しょかつきんしゆ)の能力と兄弟諸葛亮と息子諸葛恪
三國志の諸葛瑾が、呉の主君孫権からどれくらい信頼され、能力を発揮したかを解説してきました。真面目で律儀な諸葛瑾がいると、孫権も主君をやり易かったのではないでしょうか。
そして諸葛瑾が、虎と高評価だったことも説明してきました。龍な諸葛亮と虎な諸葛瑾が本気で戦ったら、どちらが勝つと思いますか?
また諸葛瑾が、関羽と劉備どちらへの交渉も、失敗したことも述べてきました。諸葛瑾は、高潔な道理を示す役割だったのでしょう。
他にも、諸葛瑾の息子諸葛恪が、危うい能力の高さを秘めていたことも、記載してきました。諸葛恪が父諸葛瑾から、性格の良さを学ぶ謙虚さがあれば、諸葛亮を超えられたかもしれません。
諸葛瑾は、兄弟諸葛亮と並び評され息子諸葛恪の将来も見抜いていた、有能な人物だったのです。