三国志司馬炎!能力、評価、晋武帝、司馬懿孫、父司馬昭、曹操も解説

三国志を統一した偉人は実は、司馬炎なのです。

司馬炎が、どんな人物でどんな能力で評価な武将かも述べます。中国を再統一するほどの偉人なので、凄過ぎて驚く人もいるでしょう。

そして、司馬炎はあの賢人の司馬懿の孫であることも知られています。司馬炎が偉業を成し遂げたのは、司馬懿がいたからではないでしょうか。

また、司馬炎の父は司馬昭で、司馬昭も有能さが現在にも伝わっています。司馬一族には司馬懿、司馬昭、司馬炎と、立て続けに優れた武将が現れたのです。

他にも、司馬炎と同じ武帝な曹操の能力も説明していきます。古代中国史には、同一人物でない武帝は何人も出て来るのです。

三國志の司馬炎を詳しく解説していきます!

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西晋の初代皇帝司馬炎の能力!どんな人?

三国志の司馬炎は、何十年も続いた乱世を統一した皇帝なのです。

  • 司馬炎は好色で女好きな性格の偉人です
  • 霊帝と桓帝でありながら文帝でもある司馬炎の評価

当時を三国志というので、魏か蜀か呉が中国を再統一したと考えている人もいますが、実は晋が統一しました。

そして、司馬炎は仁義を重んじ心も広く思慮も深い、と高評価だったのです。司馬懿仲達の孫らしい能力の高さでしょう。

心の広さで、中華全土を包み込むことが出来たのでしょうか。

また、司馬炎は若い頃は他の人と比べられないくらいの能力を持っていた、とも言われています。

司馬炎が中国を再統一したため、かなり高めに評価されたのかもしれませんが・・・

司馬炎は、三人の皇帝が同時に並存する乱世を再びまとめ上げた、偉大で才能に満ちあふれた皇帝でした。

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司馬炎は好色で女好きな性格の偉人です

三国志の司馬炎は、たくさんの女性を後宮に入れ、毎晩楽しんでいました。

女性の結婚をまずは禁止して何千人もの自分好みの女性を確保しただけでなく、呉の皇帝孫晧の後宮からの女性もプラスしたのです。

司馬炎は、かなり欲望に忠実な皇帝と言えるでしょう。

そして、豊臣秀吉も好色で知られており、戦国時代を統一したことが知られています。

乱れを再統一出来るのは、女好きな人物なのでしょうか。

ちなみに、孫晧は悪名高い皇帝でしたが、最後を与えられなかったのです。

孫晧の後宮から、上手く女性を獲得するためだったのでしょうか。

司馬炎は豊臣秀吉のように色好みで、何千人もの女性を後宮に配置していたのです。

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霊帝と桓帝でありながら文帝でもある司馬炎の評価

三国志の司馬炎は、官職を販売しているだけでなく、自らの私腹を肥やしていたことを指摘されたにも関わらず、逆に褒めたのです。

司馬炎は部下から、悪名高き霊帝と桓帝のように悪行を行っている、と批判されました。

ですが、正しいことをハッキリ述べたとして、批判した者を称賛したため、素晴らしい主君な文帝であると高評価されたのです。

そして、呉の君主孫晧は、評判の悪い人物でしたが、司馬炎は処刑せずに地位を与えたので、司馬炎の度量が広いことの現れ、とされてもいます。

ちなみに、孫晧も初めの頃は名君な態度でしたが、堕落していったため、司馬炎も親近感があったのかもしれません。

司馬炎は、自分の批判を明確にする者を罰せずに、評価することで、器の大きさを示しました。

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司馬懿仲達の孫が司馬炎です

三国志の司馬懿が、司馬一族の隆盛を築き、孫の司馬炎が完成させたと言えます。

  • 司馬懿の兄司馬朗は賢い人格者
  • 司馬昭の息子が司馬炎です

司馬懿は超世の傑曹操に謀反を疑われながらも、何とかかわしながら生き残ったのです。

その際に、曹操の後継者曹丕にも取り入っています。良い処世術と言えるでしょう。

そして司馬懿は、曹操一族の曹爽と権力争いを行い、曹爽の落ち度と甘さに付け込み軟禁し、曹操の子孫たちを朝廷から一掃しました。

また司馬懿は、対外的にも蜀漢の天才軍師諸葛亮孔明の挑発に乗らずに防御を固め、諸葛亮の寿命が来たため、勝利を収めたのです。

司馬炎と諸葛亮が勝負した場合、果たして司馬懿のように上手く防備出来たでしょうか。

司馬懿仲達が慎重に曹操孟徳に仕え、曹操一族にも勝ったので、子孫の司馬炎の中国再統一の礎となりました。

⇒曹丕司馬懿!性格どんな人?四友関係、曹操曹真曹爽曹植、最後も解説

司馬懿の兄司馬朗は賢い人格者

三国志の司馬朗は、父思いの人物で、父の知人が父の字を読んだので批判しました。

躾が上手くいったと言うべきか、型にハマってしまったと見るべきなのか・・・

専横な董卓の近くにいると危ないので、司馬朗は実家に戻ろうとしました。

ですが、董卓に判明してしまい、一時拘束されましたが、率直な意見を述べる事で、むしろ評価されセーフだったのです。

そして、神謀の諸葛亮孔明と対抗し得た司馬懿も、人格面で兄の司馬朗の方が優れている、と言っていました。

三国志の乱世でも、人格を磨いていると評価されることはあるのでしょう。

現在でもどの能力を上げれば良いか迷ったら、人格も選択のひとつと言えます。

司馬朗伯達(しばろうはくたつ)は、人格者と呼ぶべき人物で、悪な董卓や鬼才司馬懿も敬服していたのです。

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司馬昭の息子が司馬炎です

三国志の司馬炎は、司馬一族を飛躍させた司馬昭の子供です。

司馬昭は、父の司馬懿が、曹操の一族である曹爽を追い払う手伝いもしました。

更に、司馬昭は、司馬懿すら手こずった蜀漢を滅亡させることにも、成功したのです。

そして、司馬一族は力を増し、とうとう曹操の子孫で皇帝の曹髦に最後を与えるまでに、権力をアップさせました。

皇帝を打倒したことで司馬昭の悪名も上がりましたが、部下に罪を擦り付けることで、事なきを得たのです。

司馬昭が曹操一族の皇帝に優るくらいになったことで、司馬炎が晋の皇帝に就任することが容易にもなりました。

司馬昭子上(しばしょうしじょう)は、司馬炎の父で、司馬一族が皇帝を輩出するための大きい貢献をしたのです。

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同じ武帝の名前な司馬炎と曹操

三国志の司馬炎は、西晋の武帝ですが、曹操は魏の武帝なのです。

武帝というのは、武力で大きい功績を残した皇帝という意味と述べられます。

そして、曹操は武帝と言われていますが、周の文王を見習い、終生後漢皇帝に仕え続けました。

司馬炎は自らが皇帝となっているため、曹操の方が徳が高いと書けるでしょう。

また、曹操は敵の将兵であっても、有能で見所があれば、登用して活躍させました。

魏を代表する将軍の張遼や軍師の賈詡も、元は曹操の敵として命を狙っていたのです。

ただ、その曹操すら出来なかった中国再統一を武帝司馬炎が成功させた、という見方もあるでしょう。

曹操は魏の武帝、司馬炎は晋の武帝で名前は同一ですが、曹操の方が徳があり人材活用にも長けていました。

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まとめ:三国志の司馬炎安世(しばえんあんせい)の能力と評価

三國志の司馬炎が、凄い能力で一気に中国を再び統一したことを解説してきました。ずーっと乱世だったとしたら、偉人がどんどん出現するという良い面もあるのでしょうか。

そして、司馬炎が家臣から批判されたにも関わらず、むしろ評価して、心の大きさを魅せたことも記載しました。

問題が起きた時こそ、その人の心の能力が現れるのでしょう。

また、司馬炎が司馬懿の孫なので、大事業を成し得たことも書きました。親の七光りのような先祖の力があると、いろいろ助かる人もいるのでしょう。

司馬炎のような偉大な業績を打ち立てたいなら、様々なパワーを結集してみては?

司馬炎は、三国志の誰もが憧れた中国再統一を成功させた偉人なので、今後も語り継ぐべき人物でしょう。

⇒漢王朝劉邦とは?妻、どんな人柄?項羽比較、家臣軍師、始皇帝も解説

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