伏竜鳳雛三国志!臥龍違い、意味由来、孔明龐統、四字熟語故事も解説

三国志の諸葛亮と龐統は、伏竜鳳雛としても有名です。

伏竜鳳雛の四字熟語は、隠れた賢者を意味しています。あなたも伏竜鳳雛な賢人を獲得したいですか?

劉備が伏竜孔明を得るために、三顧の礼を行ったことも説明していきます。偉大な人物を招くには、それ相応の厚遇が大事なのでしょう。

そして鳳雛龐統が、半分な英雄なことも記載していきます。伏竜諸葛亮は、伏せているだけですが、龐統はすぐには力を発揮出来なかったのでしょうか。

また、伏竜諸葛亮と鳳雛龐統が、水鏡司馬徽からも好印象だったことも述べていきます。良い主君に巡り合うためには、誰かからの推薦も重要なのでしょう。

ちなみに、伏竜鳳雛と臥龍鳳雛の読み方は、それぞれ、ふくりゅうほうすうとがりょうほうすうです。

三國志の伏竜鳳雛を詳しく解説していきます!

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伏竜鳳雛は未だ世に出ていない賢者の意味です

三国志の伏竜鳳雛は、当時の龐統と諸葛亮のような、隠れた賢人を意味しています。

若い時や環境に恵まれていない賢者を伏竜鳳雛、と言えるでしょう。

そして、伏竜を諸葛亮、龐統を鳳雛と呼びます。

諸葛亮と龐統は、同じくらいの能力の賢者と述べられることが多いですが、諸葛亮の方が完成された人物でしょう。

また、龍と鳳凰が戦った場合は、どちらが勝つのでしょうか。伏竜諸葛亮と鳳雛龐統がバトルして初めて、龐統が覚醒し鳳凰になれるのかもしれません。

諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)と龐統士元(ほうとうしげん)は、伏竜鳳雛と呼ばれ、まだ世の中で才能を発揮していない賢者として評判でした。

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劉備は伏竜諸葛亮を招くために三顧の礼を行いました


三国志の鳳雛龐統と並び評された臥龍諸葛亮は、劉備の三顧の礼に応じたのです。

三顧の礼とは、文字通り三度も訪れる礼儀を意味するため、この故事だけでも、諸葛亮がどれくらい凄い人物か、伝わって来るでしょう。

そして、日本の戦国時代の豊臣秀吉も若い頃、有能と評判だった竹中半兵衛に、三顧の礼を実行しました。

ですので、竹中半兵衛は今孔明、と呼ばれることもあります。

また豊臣秀吉には、もう一人軍師として黒田官兵衛がいるので、黒田官兵衛は鳳雛龐統、と言えるかもしれません。

伏竜諸葛亮と同じように、竹中半兵衛も三顧の礼で招かれた人物であり、黒田官兵衛は龐統鳳雛と似ているでしょう。

⇒三国志劉備!どんな人?能力、誓い仲間、最後、人肉逸話、曹操も解説

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臥龍鳳雛と伏竜鳳雛の意味の大きい違いは無いでしょう

三国志の伏竜鳳雛と臥龍鳳雛は、どちらも同じように、世に現れていない異才を意味しています。

臥龍は、横になって休んでいるドラゴンの意味で、伏竜は今は伏せている竜のことです。

ですが、臥龍の方が何か余裕があり、凄そうな響きがあるでしょう。

また、伏は逃げて隠れているような意味もあります。

伏竜だと、誰かに倒されているドラゴンと取る人もいるでしょう。

そして諸葛亮は五丈原の戦いで、司馬懿に勝てずに最後が来ました。伏竜は司馬懿に敗れるという意味だったのでしょうか・・・

臥龍鳳雛と伏竜鳳雛は、世に出ていない奇才を意味していますが、伏竜を敗れたドラゴンと思う人もいると言えます。

⇒五丈原の戦いと諸葛亮!司馬懿、武将、隕石星、星落秋風歌、雨も解説

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龐統は龐徳公から鳳雛と称され中途半端な英雄と見なされていました

三国志の鳳雛な龐統は、伏竜諸葛亮と共に高評価でしたが、半分なヒーローとも述べられていたのです。

鳳雛とは、鳳凰の雛ですから、未だ鳳凰ではないということでしょう。

そして、劉備の入蜀で鳳雛龐統は、落鳳坡で最後を迎えました。

龐統は鳳雛のまま、鳳凰になり切れなかったのでしょうか。

ちなみに龐統は、劉備の的盧馬が目立つので代わりに乗っていたところ、敵の劉璋軍から劉備と誤解されて最期が来たのです。

龐統が生き残っていた場合、スムーズに漢帝室再興の流れに進めたかもしれません。

龐統は英雄になり切れていない鳳雛であり、劉備玄徳(りゅうびげんとく)と誤解されて、落鳳坡で最後が訪れました。

⇒劉しょう!益州りゅうえん、蜀劉備、劉瑁劉表、配下、厳顔張松も解説

鳳雛龐統は曹操の我が子房荀彧に近いのです


三国志の龐統鳳雛は、三国志の作者陳寿からも、張良な荀彧のような存在であると言われていました。

張良子房は、前漢の初代皇帝高祖劉邦の三傑の一人です。

そして曹操は、天下統一を望んでいたので、張良のような才能を持つ荀彧の到来を喜び、我が子房と呼んでいました。

また龐統は、劉備の荀彧であるなら、臥龍諸葛亮は劉備にとってそれ以上の存在なのでしょうか。

曹操の元には司馬懿もいたので、劉備にとって臥龍諸葛亮は、信頼出来る司馬懿と述べられるでしょう。

曹操の軍師荀彧文若(じゅんいくぶんじゃく)と鳳雛龐統は似ており、伏竜諸葛亮は能力的には、司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)に近いのではないでしょうか。

⇒我が子房荀彧!意味、曹操、軍師張良、美人、最後、郭嘉諸葛亮も解説

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水鏡司馬徽は劉備に臥龍か鳳雛どちらかを得れば天下を平定出来ると語ったのです

三国志の劉備は、仁義で漢帝室再興を目指していたので、水鏡司馬徽は伏竜諸葛亮と鳳雛龐統を推薦しました。

鳳雛龐統と伏竜諸葛亮は、どちらかを獲得するだけで、天下に多大な影響を及ぼせるほどの人材だったのです。

そして劉備は後に、伏竜と鳳雛の両方を味方としました。

そのことで、劉備は益州と荊州を領有したのですが、途中で鳳雛龐統が落鳳坡で脱落してしまったのです。

龐統が鳳雛な理由は、落鳳坡で急に最後が来ることを指していたのでしょうか。

実は落鳳坡の前に、諸葛亮は龐統に、不吉な予感を告げていたのです・・・

司馬徽水鏡は劉備に、鳳雛龐統と伏竜諸葛亮をおすすめしたところ、劉備は二人共獲得し勢力を拡大しました。

⇒三国志しばき!司馬徽水鏡、両者を得れば、三顧の礼、よいぞも解説

鳳雛龐統は伏竜諸葛亮の軍にスパイとして潜り込んだ疑いがあるのです


三国志の龐統鳳雛は、呉の魯粛のスパイとして、諸葛亮軍を偵察していた可能性があります。

赤壁の戦いの後、拠点の無い劉備に、呉は荊州を貸したのです。

そして劉備が今後、どのような動きをするか心配だったため、魯粛は鳳雛と呼ばれていた龐統を、劉備軍の軍師に推薦したとされています。

また鳳雛龐統は、赤壁の戦いの功労者周瑜が亡くなった際に、棺を運ぶ役割を行うほど、呉では重鎮だったのです。

呉で龐統鳳雛は、軍師として活躍出来るはずなのに、劉備軍に参加したのは、魯粛のスパイというのもあながち間違いではないでしょう。

伏竜諸葛亮と異なり、鳳雛龐統は劉備軍に、魯粛子敬(ろしゅくしけい)のスパイとして参加した、とも言われています。

⇒赤壁の戦いとは!あらすじわかりやすく、周瑜勝因、疫病、孔明も解説

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まとめ:三国志の伏竜諸葛亮孔明鳳雛龐統士元の四字熟語故事と意味由来

三國志の伏竜鳳雛が、誰のことを指していてどれくらい凄い能力を秘めているかを解説してきました。あなたにも伏竜鳳雛パワーが訪れていますか?

そして伏竜には、敗れたドラゴンのような意味があることも、説明してきました。諸葛亮は漢帝室再興に失敗したので、本当に伏竜だったのかもしれません。

また鳳雛龐統が、曹操の参謀の荀彧と、並び評されていたことも述べてきました。龐統が曹操陣営にいた場合、荀彧と良いタッグになったのではないでしょうか。

他にも、鳳雛龐統のスパイの可能性も言及してきました。龐統がスパイだとすると、落鳳坡で戦死したのは、諸葛亮にとっては喜ぶべき事柄だったのかもしれません。

伏竜鳳雛は、三国志の中でも大賢者として有名なので、賢い人から学びたい人にも最適でしょう。

⇒魏延と諸葛亮孔明!反骨の相頭蓋骨、能力性格、子孫息子、張飛も解説

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