平原君の子孫は、三国志であまり出て来ませんが、平原君は戦国四君と称されていました。
食客を重用していた平原君の元に、足の不自由な者が、面会を求めたのです。実は、平原君の部下の女性が、馬鹿にした対応をしたことが原因でした。
そして范雎が激怒し、魏の宰相魏斉に最後を与えようとしたのです。元々魏斉が、秦の宰相范雎の恨みを買っていたことが原因ですが、平原君は魏斉を守ろうとしました。
また平原君が、韓の上党を無傷で確保することが得策、と考えていたことも説明していきます。上党は、秦も狙っていた領域ですが、本当に大丈夫なんでしょうか。
平原君と三國志を詳しく解説していきます!
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目次
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足の不健康な者がゆっくりと歩いていたので平原君の部下の女性が大笑いしたのです
平原君の配下の女性は、足の不自由な者が動く姿を滑稽に感じ、見下して笑いました。
すると笑われた者が平原君に、あの嘲笑した女性の首をもらわなければ、食客への待遇が良いとは言えないと主張したのです。
そして平原君は、上辺では足の不自由な者に応じましたが、結局そのまま放置しました。
しばらく後に、食客が減り始めたので、以前大笑いした女性の首を持って足が不健康な者に詫びに行き、食客を再確保したのです。
やはり人は、より大事にしてくれる人のところに、移動していくものなのでしょう。
戦国四君の平原君の部下に、足が不健康な者を嘲笑する女性がおり、本当に食客からの評価が下がり始めたので、平原君は見下した女性に最後を与え、食客を取り戻しました。
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趙奢は戦国四君の平原君の部下が法を軽んじ税を納めなかったため厳酷に処罰したのです
平原君の配下を法律に基づき、罰したので、趙奢は平原君から激しく責め立てられました。
ですが趙奢は、平原君が法を守り納税することの重大性を論じたのです。
平原君は、趙奢が賢者であることが分かったので、逆に恵文王に推挙しました。
そして趙奢は閼与の戦いで、狭い地形で勇敢さを発揮し、秦軍を撃破し馬服君と評価されたのです。
また息子の趙括を趙奢は、兵法論に問題があることに気付いていないので、将軍にすべきではないと語っていました。
戦国四君の平原君は、配下が法と税の件で趙奢(ちょうしゃ)に処刑されましたが、有能だったので趙王に推薦し、趙奢は秦軍にも勝利し馬服君と称されたのです。
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秦の宰相范雎に報復された魏斉を保護し戦国四君の威信を示した平原君
平原君は、魏斉と親しかったので、義のために范雎と昭襄王からの脅しに抵抗したのです。
そして、昭襄王は趙王を脅迫し、平原君に最後を与えるそぶりを見せたので、趙王は恐れ魏斉を斬ろうとしました。
ですので、魏斉は別の戦国四君の信陵君の元に行きましたが、信陵君は秦王を畏怖していたのです。
信陵君は、食客の進言で魏斉を受け入れることに決めたのですが、一旦拒絶された魏斉は自害してしまいました。
すでに、戦国四君が二人でも対抗出来ないほどに、秦は強大化していたのです。
戦国四君の平原君は、范雎(はんしょ)と昭襄王の強大な権力にも屈せず魏斉を守りましたが、信陵君は秦を恐れ魏斉(ぎせい)を最期に追い込んでしまいました。
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韓の上党を味方としたことで平原君は秦の怒りを買い長平の戦いの大敗を招きました
平原君は、韓の上党が秦の支配を嫌い帰属して来たので、大儲けしたと思ったのです。
しかし実際は、秦を激怒させ長平の戦いが発生し、趙軍の多くが白起に生き埋めにされました。
そもそも長平の戦いの指揮官は、歴戦の勇将の廉頗であり、上手く強力な秦軍を弱体化させていたのです。
ですが、廉頗を難敵と感じていた秦の宰相范雎は、馬服君趙奢の方が手強い、と趙王に信じさせました。
趙王が范雎の策を見破り、廉頗を任用し続けていたら、長平の戦いの勝者は趙だったのではないでしょうか。
戦国四君の平原君は、安易に韓の上党を受け入れたせいで、白起(はくき)に長平の戦いで、趙括(ちょうかつ)が大敗する結果を呼び込んだのです。
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秦軍に包囲された絶体絶命の平原君に良策を提示した李同
平原君は、秦に攻略される寸前にまで陥っていましたが、身内は贅沢していたのです。
李同は、趙が滅亡しかねないので、平原君は持っているお金と人材をすべて活用すべき、と主張しました。
そして平原君の私財のおかげで、趙は一気に生き返り、李同は決死の覚悟で秦を猛攻したのです。
また趙の滅亡の危機は、信陵君も憂慮する事態だったため、李同が秦をかく乱したところを信陵君も攻撃し、秦を撃退しました。
ちなみに信陵君は、前漢の高祖劉邦からも慕われていたほどの武将です。
戦国四君の平原君は、李同(りどう)の献策のおかげで趙を救うことに成功し、信陵君(しんりょうくん)も助けに来たため、秦を追い払えました。
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信陵君が博徒や味噌屋で有能な食客を求めていたのを侮った平原君は戦国四君でも下の格付けでしょう
平原君は、戦国四君の信陵君が食客を好み、味噌屋や博徒と関わっていたことを見下していたのです。
反対に信陵君は、平原君を本当の食客を求めていない人物である、と非難しました。
すると、平原君の元から信陵君に鞍替えする食客が相次いだため、平原君は信陵君に詫びたのです。
そして信陵君は、食客で強勢を極めていたのですが、魏王の警戒も招いてしまい失意の内に最期が来ました。
また、国士無双韓信と共に、背水の陣で陳余に勝利した張耳は、信陵君の部下だったこともあるのです。
戦国四君の平原君は、信陵君魏無忌(ぎむき)が博徒や味噌屋と交流していたことを見かけで判断し、食客の信頼を失いました。
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嚢中の錐の故事成語を生み出した平原君の食客毛遂の合従策
平原君は、楚と合従するために、食客から選りすぐりの賢者を選び、毛遂もついでに加えました。
そもそも毛遂は、平原君と側近から知られておらず、平原君も同行を渋っていたのです。
ですが毛遂は、今までは嚢中に入っていなかったからこそ、才能が表れていなかったと主張しました。
そして嚢中に入れば、錐が出るだけでは済まないくらい能力が発揮出来る、とまで豪語したのです。
ちなみに、最初は毛遂を侮っていた他の食客も、議論に敗れ、毛遂が楚王を巧みに説得したため、心服しました。
戦国四君の平原君は、有能な食客を選び楚に合従を求めようとした際に、嚢中の錐を語る毛遂(もうすい)も同行させたのです。
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まとめ:平原君(へいげんくん)の故事と三国志と古代中国戦国四君格付けと信陵君能力
平原君が戦国四君として、どのような故事を編み出したかを解説してきました。自分が優れていなくとも、有能な人物が付いてくれれば、何とかなる生き方の事例と言えるでしょう。
そして馬服君趙奢から平原君が、厳しく責められたことも説明してきました。逆上せずに趙奢の才能を評価したところも、平原君の長所と述べられるでしょう。
また、秦に強く包囲され窮地に陥った平原君が、李同の助言で復活出来たことも、記載してきました。
戦国四君に名を連ねるくらいなので、平原君はどこか、人から助けてもらえる才能を持っていたのではないでしょうか。
平原君は、戦国四君の中での格付けは下の方と言える武将ですが、食客を好み過ちを正していった偉人でもあるでしょう。