西施!どんな人?眉をひそめることわざ意味、故事范蠡、中国美人解説

越王勾践の臥薪嘗胆の達成には、呉王夫差に提供された美女西施が不可欠でした。

西施は、傾国の美女だったので、兵法三十六計の美人計を夫差王に行ったのです。呉王夫差は越王勾践に大勝利し、気持ちが緩んで、西施に付け込まれたのでしょう。

そして、有名な故事成語の顰に倣うは、西施が眉をひそめていたことに、起因しています。西施クラスの美人でなければ、認められない所作もあるのでしょう。

また、西施の舌と蛤が呼ばれる所以も、説明していきます。一国の王を色仕掛けで翻弄するのは、出来たとしても止めておくべきなのでしょう。

ちなみに、西施の読み方はせいしです。

西施を詳しく解説していきます!

⇒趙姫!始皇帝母親、荘襄王妻名前、ろうあい子供、呂不韋最後も解説

⇒呂雉と三国志!呂不韋エピソード、呂后美人最後、戚夫人人豚も解説

スポンサーリンク
おすすめ中国史商品検索窓口

鄭旦と中国古代四大美人の西施は呉王夫差に美人計を仕掛けることで越王勾践に貢献したのです

西施は鄭旦と共に、絶世の美女として知られていたので、夫差王を夢中にさせ呉国を傾かせる役割を命じられました。

傾国の美女という言葉がありますが、まさに西施のような美人を指しているのでしょう。

そして越王勾践や范蠡の思惑通り、呉王夫差はかつて臥薪嘗胆していた頃と打って変わり、暗君になっていきました。

また、呉王夫差の父親の春秋の五覇闔閭が、生前伍子胥に、息子の夫差は器量不足だと警告していたことが、現実になってしまったのでしょう。

西施は、范蠡(はんれい)と越王勾践(こうせん)から、鄭旦(ていたん)と一緒に呉王夫差を誘惑する命令を受け、夫差を凋落させることに成功したのです。

⇒伍子胥と三国志!漁師エピソード、孫武、臥薪嘗胆、端午の節句も解説

スポンサーリンク

故事成語の沈魚美人は西施が魚も泳がずに見惚れるほどの美女であることを意味しています

西施は、越王勾践や范蠡から認められ、呉王夫差に取り入った美人だったため、魚も翻弄されたのです。

しかし荘子は、どのような美人が来ても、魚は驚いて身を隠すことが多いと述べています。

荘子は万物斉同思想なので、西施や三国志の貂蝉のような美女も、相対的な存在であると伝えたいのでしょう。

また荘子は、捻じ曲がった大きな木は、役立たないからこそ長寿である、という無用の用も主張しています。

結局荘子の思想を体現するには、無為自然がベストということでしょう。

西施は、魚を沈ませるほどの美女であったことが、沈魚美人(ちんぎょびじん)の故事成語から窺えますが、荘子(そうじ)は美女の相対性を主張しました。

⇒南華老仙!太平要術清領書、荘子、于吉、張角弟、黄巾の乱鎮圧も解説

顰に倣うのことわざは傾国の美人の西施が眉をひそめると皆が魅了されたことを勘違いした女性により誕生しました

西施は、病で眉をひそめることがあり、元が美女であることと相まって、人々から好印象だったのです。

そしてそれを見たある村人が、西施ほどの美人では無いにも関わらず、眉をひそめた仕草を行いました。

すると、他の民衆が気味悪く感じて、逃亡する者まで、出現したのです。

ですので、中身を考えずに上辺を真似ることを、顰に倣う、と訓戒するようになりました。

また、自分の自然な長所を伸ばすべきで、他人で屈折させる必要が無い、とも言えるでしょう。

西施は、呉王夫差(ふさ)を虜に出来るほどの美人でしたが、それほどの美女で無い者が、同じように眉をひそめると悪い結果を招くので、顰に倣うのことわざが後世に残ったのです。

⇒大喬小喬三国志美人!美女かわいい評価、死因読み方、孫策周瑜も解説

スポンサーリンク

西施は夫差王への美人計が成功し呉が滅びると美貌を恐れられ長江で最後が来たのです

西施は、范蠡と越王勾践の指示で、呉王夫差に美人計を行ったのですが、魔性の女と見なされていきました。

ですので、呉滅亡後に、西施は長江に投げ捨てられる、悲惨な最期を迎えたのです。

やはり、人を謀略で陥れるような人物は、残念な末路になるものなのでしょう。

そして越王勾践は、呉に大勝利した際の功労者の文種を、警戒し、自刃させてもいます。

越王勾践が、臥薪嘗胆し呉王夫差に報復することではなく、天下統一を目的にしていれば、文種ももっと長生き出来たでしょう。

西施は、呉王夫差への美人計があまりにも上手くいったため、長江で最期が訪れ、文種(ぶんしゅ)も有能を危惧され、越王勾践から最後に追い込まれたのです。

⇒ちょうせん三国志!美女貂蝉、父、呂布、最後、美人、かわいいも解説

呉王夫差が最後を迎え用済みになった西施が長江に投げられ蛤が大漁になりました

西施は、呉王夫差を色気で惑わしたことで、人々から危険視され長江に投げられた後、蛤の収穫が増えたのです。

ですので、蛤が西施の舌と、中国では言われており、れんこんを西施臂、フグの白子を西施乳とも呼びます。

そして呉王夫差は、越王勾践に大敗した際に、勾践を生かしていたため、島流しで済む予定でした。

夫差が島流しを受け入れていれば、西施も、悲しい最後を迎えずに済んだのではないでしょうか。

そして、好敵手を失くした越王勾践も、かつて勝利者だった呉王夫差のように、段々失墜していったのです。

西施は、夫差王を誘惑し呉を滅亡させられるレベルの美女だったので、蛤やれんこんやフグ白子が西施の舌や臂や乳、と名付けられるほどでした。

⇒越王勾践!剣、臥薪嘗胆、呉王夫差、范蠡、文種、春秋の五覇も解説

スポンサーリンク

陶朱公の范蠡と共に美人な西施は越王勾践の元を旅立ったとも伝わっています

西施は、呉王夫差への役目を終えた後は、越王勾践の元から無事に逃げ切れた、とも言われているのです。

文種は、越王勾践に必死に奉仕したことで、逆に警戒され、無残な最後になったので、西施は先を見通していたのでしょう。

そして、同じく先見の明があった范蠡は、移住先で莫大な富を獲得し、陶朱公となったのです。

また范蠡は、偉人クラスの大金持ちとなったため、司馬遷の史記の貸殖列伝にも、偉業が掲載されています。

范蠡ほどの変わり身の早さがあってこそ、春秋の五覇に仕えて、生き永らえることが出来るのでしょう。

西施は、移住先で毎回大富豪となった陶朱公范蠡と共に、越王勾践から上手く亡命し生き残れた、とも伝承されているのです。

⇒鮑叔牙!管鮑の交わり意味、人柄、管仲塩、公子糾楽毅、三国志も解説

中国古代四大美女の西施は太い足が弱点であり三国志の貂蝉も小耳が欠点とされているのです

西施は、足が大き過ぎることが、美女としての問題点で、三国志の貂蝉にも小さい耳という弱点が存在していました。

特に中国では、足が小さいことを美人であるとする文化があったので、西施の足は重大な事柄だったのです。

また三国志の貂蝉は、実在していなかったと言われているため、耳よりもこちらの方が欠点かもしれません。

ちなみに貂蝉は、三国志の王允の指示で、後漢皇帝献帝劉協を軽んじていた董卓と飛将軍呂布に、兵法三十六計の連環計を披露した美女、とも伝わっています。

西施は、大きな足が美女とは言えない部分であり、三国志の貂蝉(ちょうせん)には外見の小耳だけでなく、実在していないという弱点もあるのです。

⇒漢王朝最後の皇帝!劉協、献帝、末裔、曹操司馬懿、滅亡、皇后も解説

スポンサーリンク

まとめ:西施(せいし)とはどんな人?と范蠡と中国美人眉をひそめる意味と故事ことざわ

西施が、呉王夫差を美人計で利用し、どのような最後が来たかを解説してきました。あまりにも美しいと、国王や鬼才に、美貌が活用されることもあるのでしょう。

そして、沈魚美人のことわざが出来るほどの美女が、西施だったことも説明してきました。ただ、荘子は異説を唱えているので、西施の美も絶対的とは述べられないでしょう。

また、越王勾践の軍師范蠡と一緒に西施が、逃亡出来たという話も記載してきました。范蠡は国王だけでなく、美女を導く才能も持っていたのでしょうか。

西施は、越王勾践と臥薪嘗胆を勝負した、呉王夫差の心を奪える美女なので、中国古代四大美人にふさわしいと言えるでしょう。

⇒夫差!呉王闔閭、臥薪嘗胆、越王勾践、西施故事、伍子胥剣自決も解説

重要なお知らせ

スポンサーリンク

おすすめ中国史商品検索窓口

 

 

↓中国史大人気関連記事↓

中国史史記と三国志のカテゴリー

-いにしえ武将