三国志で一番の美女と言えば、貂蝉(ちょうせん)ではないでしょうか。
貂蝉はあまりにも美人なので、古代中国四大美女にも含まれています。他の美人も一挙にお知らせしているので、必見です。
貂蝉は、あの呂布奉先将軍と非常に親しかったと言われています。呂布奉先をどのように誘惑し、利用したのでしょうか。
そして、貂蝉が実在していないという話も読めます。絶世の美女である貂蝉は、本当に実在していないのでしょうか。
また、貂蝉の父と呼ぶべき存在も説明しています。貂蝉の養父は、自らの希望をつかんだのでしょうか。
他にも、貂蝉を演じた女優や幼名も書いています。挑戦についての知識を一気に得られるでしょう。
三國志の貂蝉を詳しく解説していきます!
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三国志の貂蝉は古代中国四大美女のひとり
三国志の貂蝉は、四大美女に数えられるほどの美貌を誇っていたのです。一度は実物を見てみたいと思う人は、多いでしょう。
- 美人貂蝉の最後は呂布と一緒に亡くなった?
- 三国志の美人貂蝉は実在していない?
他の三人は、西施(せいし)と楊貴妃(ようきひ)と王昭君です。
臥薪嘗胆の故事成語で有名な勾践が、呉王夫差を油断させるために送り込んだのが、西施とされています。
兵法三十六計のひとつの美人計でもあるのです。
そして楊貴妃は、古代中国四大美女だけでなく、世界三大美女にも入っています。
また、王昭君は美女なだけでなく、人柄も素晴らしい女性なのです。
宮女として務めていた王昭君は、似顔絵を描く者に賄賂を渡しませんでした。
残念ながら、本物と異なる描かれ方をされたせいで、皇帝から選ばれなかったのです。
西施と楊貴妃と王昭君と美を競えるほどの美女が、三国志の貂蝉と言えます。
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美人貂蝉の最後は呂布と一緒に亡くなった?
三国志の美女貂蝉は、飛将呂布が曹操に敗れて処刑された際に、亡くなったと言われています。
呂布は、貂蝉を非常に可愛がっていたため、その呂布がいない世界に、貂蝉もいる意味が無かったのかもしれません。
また、呂布が処刑された後に、貂蝉を自分のものにしようとした曹操から逃れるために、あの世に旅立ったという話もあります。
曹操は、人材収集家としても知られているので、貂蝉の際立った美貌は、見逃せなかったのでしょう。
そして、貂蝉の最後には、横暴な董卓と呂布が仲違いした際に、争乱に巻き込まれ亡くなったという説も、存在しているのです。
呂布は、貂蝉が欲しくて董卓を打ち取ったのに、何のためか分からない最後と言えるでしょう。
かわいい貂蝉は、呂布将軍と共に、亡くなったとされています。
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三国志の美人貂蝉は実在していない?
三国志の美女貂蝉は、創作で、実在していないとされています。
創作で、他の3人の中国古代の美女と張り合っていた、ということです。
ただ、かわいい美人貂蝉のモデルとされている女性がおり、その女性は董卓の身の回りの世話をしていて、呂布から気に入られてもいた、と言われています。
また、美人貂蝉は本当は、かなり醜い女性という説もあったのです。醜い女性だった場合、呂布と董卓は、何のために貂蝉を取り合ったのでしょうか・・・
人生において何が一番重要かは、よくよく考えなければならないのでしょう。
かわいい三国志の貂蝉は、実在していない女性と言われています。
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董卓の専横に悩む養父王允が貂蝉に託した兵法連環計
三国志の貂蝉の養父王允は、後漢朝廷のために良い政治を行いたかったのですが、実力者董卓が邪魔だったため、貂蝉を活用して董卓を排除しました。
董卓だけでなく董卓の近くにいる飛将呂布も、手強い存在だったのです。
そして、王允の手元にいる貂蝉はかなりの美女で、気に入る人は多かったため、王允は、董卓と呂布を貂蝉の美貌で操ろうとしました。
貂蝉に、董卓と呂布両方に気を持たせる対応をさせることで、董卓と呂布を仲違いさせたのです。
兵法三十六計に、強大な敵を混乱させ疲弊させる連環計がありますが、今回の話で使われた兵法と言えます。
貂蝉は、養父王允の希望を叶えるために、董卓と呂布を誘惑しました。
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三国志呂布奉先の妻は美女貂蝉じゃない?
三国志の人中の呂布の妻は、厳氏であり、呂布の参謀陳宮の作戦を台無しにしてしまいました。
呂布は裏切りと自己利益をむさぼり、三国志の世界を雄飛していたのですが、かつて自らがしたように、陳登と陳珪に裏切られ窮地に陥ったのです。
因果応報という言葉がありますが、裏切りも跳ね返ってくるのでしょう。
そして、超世の傑曹操孟徳に攻め立てられたため、呂布と有能な部下が城外と城内に分かれて、一発逆転を狙おうとしました。
ですが、呂布の妻が、部下の仲が良くないから危険と述べたことで、流れてしまったのです。
ちなみに、呂布の妻厳氏との娘が、呂玲綺と言われています。
呂布奉先(りょふほうせん)は、起死回生の作戦よりも、妻の発言を優先して滅亡しました。
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三国志の美人貂蝉役の女優と任紅昌と幼名と読み方
三国志ThreeKingdomsで、美女貂蝉を熱演したのが、陳好です。
あの大人気ゲーム三國無双にも、貂蝉は登場しています。かわいい美人貂蝉を操ってみたい人にも、おすすめです。
また、任紅昌として貂蝉が出演していることもあります。その場合、幼名が貂蝉とされているようです。
貂蝉の読み方は、そのまま、ちょうせんと読みます。
そして、かわいい美女貂蝉の死因は、一見有能な武将を操り過ぎたことにある、と言えるでしょう。
董卓も呂布も一見武勇に優れていましたが、最後は残念な末路だったためです。
美女貂蝉が気になる人は、三国志ThreeKingdomsも、要チェックでしょう。
貂蝉と黄月英は真逆
三国志の貂蝉は、美人という意見が多いですが、一部に醜かったというものがあり、黄月英は、美女でないという話が多いですが、美人という話もあるのです。
やはり昔の人々なので、いろいろな意見が出て来るのでしょう。
美女貂蝉は、賢いという評判は少ないですが、黄月英は、天才諸葛亮孔明にふさわしい才能を有していた、と言われています。
妖艶な美人とあまり美人でない賢女、どちらかしか選べないとしたら、悩みどころでしょう。
天才な諸葛亮孔明も、美人な貂蝉が妻だったら、堕落して女に溺れていたのでしょうか。
黄月英は、外見よりも才能を評価されることが多く、貂蝉は内面よりも美貌が評判でした。
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まとめ:三国志の絶世で妖艶な美女貂蝉(ちょうせん)
三國志の貂蝉について解説してきました。あなたも会いたくなる美人でしたか?
貂蝉は自らの美貌で、横暴な董卓と飛将呂布奉先を色仕掛けで誘惑したことも説明しました。どのような武将も、美人には弱いのでしょう。
古代中国には、本当にいろいろな兵法があるのです。使いこなしたら無敵かも!?
そして、美女貂蝉の最後も述べました。美人にふさわしい最後なのでしょうか。
また、かわいい美人貂蝉と天才軍師諸葛亮孔明の妻黄月英が、逆で似ていることも語りました。欲を言えば、外見と内面どちらもパーフェクトが良いでしょう。
妖艶な美人貂蝉は、三国志を彩る華ですので、このブログの他の記事を読んだ後に、戻ってきたくなるのでは?