嚢中の錐!毛遂由来、史記故事意味、ことわざ四字熟語、現代語訳解説
戦国四君の平原君の食客の毛遂は、故事成語の嚢中の錐を語ることで、自らの実力を誇示しました。 そして、嚢中の錐を主張した毛遂は、平原君の人材登用の問題点も露呈させたのです。平原君は毛遂がいたからこそ、戦国四君たり得たのではないでしょうか。 また、嚢中の錐の故事を作り出した毛遂の論戦は、春申君に趙を助けさせました。春申君も戦国四君なので、毛遂は戦国四君に認められるほどの才能、でもあったのでしょう。 ちなみに、四字熟語の嚢中の錐の読み方は、のうちゅうのきりです。 史記のことわざの嚢中の錐を、書き下し文や漢文では ...
鶏鳴狗盗!あらすじ意味わかりやすく、孟嘗君問題、作者現代語訳解説
戦国四君の孟嘗君田文が登場人物の鶏鳴狗盗は、一見大した能力でなくとも何かに貢献することがある、という意味の故事成語です。 そして孟嘗君は、食客を平等に扱うことで、鶏鳴狗盗な異才を集めていました。史記に偉業が残るほどの人物は、人材登用も特殊なのでしょう。 また、司馬遷が作者の史記でも孟嘗君は登場しており、巨大な影響力が見受けられます。孟嘗君が他の戦国四君としっかり組んでいれば、戦国四君が天下を得られたのではないでしょうか。 ちなみに、ことわざの鶏鳴狗盗の読み方は、ひらがなでけいめいくとうです。 鶏鳴狗盗を、 ...
指鹿為馬!宦官趙高由来、鹿を指して馬と為す故事意味、史記閻楽解説
故事成語の指鹿為馬は、二世皇帝胡亥を操っていた宦官の趙高が、権力を自負したことを意味しています。 そして二世皇帝胡亥は、趙高が鹿を指して馬と為すを行った意味を見通せずに、無残な最後を迎えました。胡亥がもっと賢ければ、そもそも趙高を礼遇していなかったかもしれません。 また最後の秦王の子嬰は、趙高が指鹿為馬で示した権力を、打ち砕いたのです。扶蘇や子嬰が始皇帝嬴政の後継者になっていれば、趙高も好き勝手には出来なかったのではないでしょうか。 ちなみに、ことわざの指鹿為馬は、しろくいばです。 指鹿為馬を中国語や原文 ...
先ず隗より始めよ!故事成語昭王問題、意味2つわかりやすく現代語訳
ことわざの先ず隗より始めよは、昭王が郭隗の献策で、荒廃した燕を復活させるために、楽毅や劇辛を招いた人材登用方法を意味しています。 そして、昭王が用いた郭隗の先ず隗より始めよは、2つの意味で使用されているのです。郭隗の献策から出現した意味なので、故事成語を理解する上でも重要でしょう。 また、郭隗の先ず隗より始めよは、三国志の諸葛亮も一目置いていた楽毅をも、呼び寄せました。楽毅が燕で大将軍を担い続けていれば、秦のみが強国化する事態も防げたかもしれません。 ちなみに、先ず隗より始めよの読み方は、ひらがなでまずか ...
奇貨居くべし!呂不韋由来、現代語訳意味あらすじ、使い方背景も解説
故事成語の奇貨居くべしは、文信侯呂不韋が、秦の王族の荘襄王に大投資したことが、由来です。 そして呂不韋は、荘襄王への大提供を成功させるために、愛人の趙姫をも差し出しました。後に呂不韋は、趙姫との関係により失脚するので、因果を感じさせるでしょう。 また呂不韋は、戦国七雄の四国の戦国四君との食客集めの勝負にも、勝とうとしたのです。一字千金の呂氏春秋を作り上げた呂不韋は、まさに戦国五君の一人と言えるでしょう。 ちなみに、ことわざの奇貨居くべしの読み方は、きかおくべしです。 奇貨居くべしを書き下し文や原文ではなく ...
狡兎死して走狗煮らる!由来范蠡話、続き韓信故事、意味現代語訳解説
故事成語の狡兎死して走狗煮らるは、臥薪嘗胆の越王勾践の軍師范蠡の言葉が、由来です。 范蠡は越王勾践の性格を見抜いていたため、偉大な功績があるにも関わらず、越から去りました。秦の宰相范雎も、剛成君蔡沢の進言で引退し安泰を得たので、去り際も大事なのでしょう。 そして蒯通は、国士無双韓信が天下三分の計を採用しなかったため、狡兎死して走狗煮らるを予見し、脱出しました。 韓信は謀反で最期を加えられましたが、蒯通は釈放されたので、蒯通は先見の明を有していたと言えるでしょう。 ちなみに、ことわざの狡兎死して走狗煮らるの ...
三顧の礼!三国志孔明由来、意味現代語訳、史実使い方わかりやすく
三顧の礼は、三国志の蜀漢の昭烈皇帝劉備が、諸葛亮を三度も訪れて軍師に招いたことが由来です。 諸葛亮は、三顧の礼で劉備に登用され、天下三分の計で後漢を復活させる策を語りました。劉備が後世に残るほどの偉人になれたのも、孔明の天下三分の計があったからこそでしょう。 そして、劉備の死後の出師の表でも、諸葛亮は三顧の礼の厚恩を明示したのです。劉備が何度も孔明を訪れたことはやはり、諸葛亮にとっても、重要な意味があったのでしょう。 また日本史の豊臣秀吉も、奇才竹中半兵衛を三顧の礼で招いたのです。竹中半兵衛は今孔明と称さ ...
戦国七雄!史実武将強さ、韓燕日本、滅亡順、地図現在覚え方も解説
戦国七雄とは、古代中国の戦国時代に他国よりも優勢だった、秦と魏と趙と楚と燕と斉と韓のことです。 そして、戦国七雄が強さを競っていた時期に、戦国四大名将も出現しました。戦国七雄の激戦は、偉人や名軍師をたくさん誕生させる土壌にもなったのでしょう。 また戦国四君も、戦国七雄が激闘を繰り広げた時代に、食客を厚遇し大名声を得ていました。有能な武将を集められれば、自分が優れていることと同等の意味が、あるのでしょう。 また、秦が戦国七雄を統括しましたが、胡亥の失政で戦国七雄が再臨したのです。戦国時代が長かったので、本当 ...
鶏口牛後!となるなかれ、鶏頭牛尾間違い?意味わかりやすく現代語訳
故事成語の鶏口牛後は、縦横家の蘇秦が小国の韓王に、合従策を取らせたことが、大勢力の下よりも小勢力のトップが良い、という意味の例文で使われることが多い、由来です。 そして縦横家の張儀は、鶏口牛後を提示した蘇秦の合従策の対義語の連衡策で、秦の覇権を確立しました。 張儀が秦で宰相を務めていなければ、蘇秦の合従策で、秦が攻略されていた可能性もあるでしょう。 また三国志の劉備は、鶏口牛後な思想と後漢再興と仁義で、皇帝になったのです。長い期間、仁義と鶏口牛後な考えで醸成された劉備勢力は、定軍山の戦いで乱世の奸雄曹操の ...
怒髪天を衝く!故事成語使い方、藺相如由来意味、類語例文読み方解説
激怒を意味する例文で使われることも多い、ことわざの怒髪天を衝くは、完璧な藺相如の故事です。 藺相如は、強国秦の昭襄王に怒髪天を衝くことで、趙の威信を示しました。秦は商鞅の法治主義で大国化しましたが、趙にはまだまだ名将が多かったのです。 そして、樊噲も頭髪上指す凄みにより、鴻門之会で怒髪天を衝く迫力を見せました。西楚の覇王項羽と張り合える猛将を、部下としていた劉邦の人望も、見逃せないでしょう。 また三国志の張飛も、長坂橋仁王立ちで、怒髪天を衝く気迫を現したのです。乱世の奸雄曹操の軍師程昱は張飛を、1万人の軍 ...
屈原!名言漁父投江、楚辞離騒漢詩、史記故事ちまき、横山大観代表作
屈原は、西楚の覇王項羽の軍師亜父范増に擁立された、義帝の祖父の懐王に仕えていました。 縦横家の張儀が、楚の懐王の合従を崩そうとしたため、屈原は忠告したのです。しかし、忠言は耳に逆らうと言われるように、屈原の進言は聞き入れられませんでした。 そして、屈原が楚を憂い投江したことで、端午の節句にちまきを味わうようになったのです。風習にまで影響を及ぼしているので、屈原の憂死は無駄ではなかったのでしょう。 また楚の懐王が、張儀に最期を加えなかったことと秦を安易に信じたことも、屈原は非難しました。懐王がもっと聡明であ ...
桃園の誓いとは!セリフ我ら三人場所、劉備関羽張飛、史実裏切り意味
我ら三人のセリフで有名な、蜀漢の劉備と関羽と張飛の桃園の誓いは、三国志の中でも屈指の名場面でしょう。 桃園の誓いは、琢県の張飛の家近くの場所で、宣言されたのです。張飛は猛将で知られていますが、義兄弟の関羽と劉備がいたからこそ、力を見せられたのでしょう。 そして、我ら三人のセリフで名高い桃園の誓いは、史実ではないとも言われています。ただ、劉備と関羽と張飛が偉大だったからこそ、桃園の誓いは誕生したのでしょう。 また、桃園の誓いを立てた劉備と張飛と関羽は、義兄弟の序列を木登りで決着させました。劉備はやはり、張飛 ...











